第75話 護衛騎士ヘルマンの訪問
マチルダ嬢のところには、緊急に、護衛騎士ヘルマンがお使いに出された。
マチルダ嬢の家は王都にタウンハウスを持たない。
従ってパーティを開く会場がなかったのだが、婚約とはなかなか重大だ。ということで、親戚にあたる男爵家が、その日は自邸をパーティ用に貸してくれることになっていた。もちろんマチルダ嬢の実家からたんまりとお金をもらったうえでの話である。
その家の一番上等の客間に、護衛騎士は案内された。
ギシギシ、ガチャンと鎧兜の音を響かせながら、ヘルマンは乗り込んできた。
マチルダ嬢はもちろん、親戚の男爵家一家も、この異様な出で立ちの護衛騎士には、心の底から驚いた。
しかしながら、主役の護衛騎士としては、当日、舞台となる屋敷の状況を少しでも知っておきたい。お使いがてらの下見だった。
更に、当日はフィリップ殿下の役を仰せつかっている。今は顔も身体的特徴も知られたくない。
もちろん、パーティ当日はフィリップ殿下のカツラとメガネと深い襟の服を着るので、顔はバレない予定だが、念には念を入れて、本当の顔を知られないように護衛騎士の格好で行った方が都合がよろしい。当日、極力フィリップ殿下としてはしゃべらない予定だが、万一声を出した時、聞き覚えがあってはならない。護衛騎士は普段からしゃべらないことになっているので、その点も都合がよろしい。
『こんにちわ』
護衛騎士はマチルダ嬢にうやうやしく紙を差し出した。
「こんにちわ? ……私はしゃべってもよいのですか? 紙に書いた方がよいですか?」
混乱したらしいマチルダ嬢が聞いてきた。想定外の質問にあわてたヘルマンは、コンニチワの裏に走り書きした。
『あなたは、しゃべってくださって結構です』
「それで?」
今度は用意した書状を捧げ持って渡した。
『フィリップ殿下が、友人のエリック殿を連れてあなたのパーティに参加したいとおっしゃっておられます』
「え? なぜですか?」
『ハンナ嬢に興味があるのです』
「え? 何の興味ですか?」
『異性として興味をお持ちです』
「え……」
マチルダ嬢は眉をしかめた。あのフィリップ殿下に、性的に興味を持たれてしまった?
髪の毛ボサボサ、色は真っ黒で少々異常、縁が厚くて重さでずり落ちている眼鏡、その眼鏡を支えるほど深くまで顔を覆っている襟の付いた服と、異様だらけである。
中身も変態を強く疑われるではないか。
さもなくば、よほどまずい顔か。
どう考えてもいい方向ではない気がする。
「ちなみに、エリック様とはどなた様でしょうか?」
『エリック様は、王家の夏の離宮のそばにお屋敷がある貴族の子弟で、フィリップ殿下の幼馴染です。半年前まで隣国に留学されていました。この度、王都に来られたので皆様方に紹介したいと言うのがフィリップ殿下のご希望です』
長文だが、この質問は想定されていたのだろう。エリック様の今後の予定まで書いてあった。しばらく王都に滞在していたが、来月、隣国ではなくその向こうの砂漠の国に向かう予定だなど。
正直、顔も知らないエリック様の予定はどうでもいいのだが、フィリップ殿下の来訪は少々困る気がする。
「わたくしどものような末端の貴族の内輪のパーティなど、殿下にお越しいただいても、面白いようなものは何も用意できません。食事もお口に合うかどうか……」
『ハンナ嬢がいれば十分です』
前のめりになって、すぐに差し出された一文を読んだマチルダ嬢は、ますます猜疑心を起こした。
ハンナは食べ物ではないんだけど。それとも、やっぱり、食べる気?
「でも……」
『ご心配ありません。不安ならエリザ嬢とジョゼフィン嬢をお呼びになられては?』
この提案には、マチルダ嬢は目の玉が飛び出るほど驚いた。エリザ嬢とジョゼフィン嬢のことは、すっかり忘れていた。
「あの方たちに何の関係があるのですか?」
『実はエリザ嬢とジョゼフィン嬢は、エリック様が留学した際、そのイケメンぶりにのめり込み、ファンクラブまで作ってしまったのです』
「はあ」
それはマチルダ嬢の婚約と何の関係もないではないか。
『このお二人、なぜか、エリック様がフィリップ殿下だと疑っておられまして』
「なんで?」
『実は、フィリップ殿下が仲介して、エリック様の手紙をエリック様のお母様に届けておられました。それというのも、当時、エリック様のお母様は離縁訴訟の最中でして、だんなさまから行方をくらませておいでだったのです。王宮からお手紙が届くものですから、お二人はロマンチックな想像を膨らませまして』
知りたくもない他人の事情のオンパレード。本気でどうでもいいんだけど。
『今回、無理を承知でお願いしましたのは、出来るだけ騒ぎを大きくしないで、小規模の会合にエリザ嬢とジョセフィン嬢を呼び寄せて、エリック様とフィリップ殿下が一緒のところを見てもらい、二人が別人であると理解していただきたいのです』
本気でどうでもよい話だった。だが、王家のお願いなら一応なんでも聞くしかなかった。




