第65話 婚約者募集中
パース夫人は眉を曇らせたが、アレクサンドラ殿下は話を聞くと声をたてて笑った。
「何を言っているのかしら。私が無視すればあの人たちは社交界でいる場所もなくなってしまうのに」
わー。アレクサンドラ様、怒ってる?
パース夫人とハンナは、アレクサンドラ様の私室にいた。
パース夫人に説明するだけのつもりだったが、会場にアレクサンドラ殿下の部屋を指定されてしまったのである。
アレクサンドラ殿下のお部屋に呼ばれることはしょっちゅうになってしまった。これでは腹心と言われても無理はない。
「アレクサンドラ殿下……」
「だって、私を利用しようなんて考えるのですよ? あんまりじゃないこと?」
ハンナは困り切って、目顔でパース夫人に助けを求めた。
波風を立てたい訳ではない。
「それにフィリップにはフィリップの事情があるわ。私だって、あの変装を止められなくて困っているのに!」
アレクサンドラ様は言った。
フィリップ様の事情ってなんなのだろう。パース夫人の困ったような表情を見ると、どうやら夫人も詳しいことは知らないようだった。
そして、ややこしい話だらけで悩むハンナは自宅に帰っても、心の平安は得られなかった。母が待ち構えていた。
「ハンナ、あと3回くらいお茶会に参加してもらって、内輪のパーティをやるわよ」
「お茶会とパーティですか?」
え。面倒くさい。何のためにするのかしら。それでなくても面倒ごとは多いのに。
何かが顔に出たらしい。
母が、厳しい表情に変わった。
「婚約は白紙になったわよね?」
「でも、それは私のせいじゃなくて……」
なんというか不可抗力? ハンナが何かしでかした訳でもなければ、希望した訳でも……いや、ほんのり希望した。ジョージなんか要らない。白紙になってせいせいした。
「次はどうするのよ?」
「つ、次?」
「結婚相手よ。さては、その顔はまったく何も考えてないわね?」
「ええと?」
あ、考えてなかった。つい、ヒルダ嬢やジョージや、フィリップ殿下の変装とかエリザ様、ジョゼフィン様のパワーあふれる推し活を感心して見入っていた。
いやいや、自分は完全に巻き込まれていた。ただの見物人ではない。見物しないわけにはいかなかったのだ。
「でもね、あなたは自分自身のことを忘れてない?」
「は?」
「皆さん、好き放題やってるわよね? ヒルダ嬢は、ジョージにチヤホヤされて、あなたの悪口をしゃべって歩いているし、ジョージも同じでしょう? 婚約者だったくせに、なんてこと」
「……そのとおりです」
反応を求められて、ハンナは答えた。
「アレクサンドラ殿下は、フィリップ殿下の用事もあなたに押し付けているそうではありませんか」
「そちらはもう済みましたので」
ハンナはあわてて答えた。
済んだのかどうかわからない。だけど、ジョージとヒルダ嬢が婚約目前なら、フィリップ殿下は目的を達成し終わったのではないだろうか。
もう、ハンナに用はないだろう。ちょびっと納得いかない部分もあったが、エリック様はハンナをもう誘わないはずだ。
「ですからね、新しいご縁を探さなくてはなりません」
母が厳しめの口調で言い出した。
「はい。お母さま」
母の言うことは正しい。でも、ハンナはどうしても、今は、乗り気になれなかった。
「まずは、ご招待いただいたお茶会に出ます」
ハンナはうなずいた。元々、おとなしい娘なのだ。
「私がご招待されていますの。あなたを一緒に連れてきて欲しいと言われてますわ。以前にこの屋敷でパーティを開きましたね? あの時にお越しになった方々ですわ。皆さん、お年頃のご子息がいらっしゃるの」
ハンナは心の底からビビった。少しずつ顔を広めようとか言う作戦ではない。かなり具体的である。
「お母さま、私には婚約者が……」
「いませんよね」
母が詰め寄ってきた。
忘れていた。いなかった。
「合わない方と無理にとは言いませんわ。でも、ご縁を作っていくことは大切だと思います」
「ご縁なら学園で……」
母がフンッといったように頭をそらした。
「あの学園! ジョージはあなたを大切にしますと言ってきたので、譲歩して婚約するつもりだったのに、ヒルダ嬢に鞍替えするし、アレクサンドラ殿下に捕まって、色々なことをさせられるし。私たちが心配しているのは、あなたがこのままだとアレクサンドラ殿下に気に入られ過ぎて、隣国に侍女として連れていかれるんじゃないかということなのよ」
「そんなことが?」
「あります。侍女なんて嫌な仕事よ。それより、奥方としてゆっくり暮らした方が絶対いいわ」
「でも、そのためには良い旦那様でないと……」
ここで母の罠に引っ掛かったことに気が付いたが、もう遅かった。
母がズイッと身を伸ばして近付いた。
「ね? でしょう? この家でずっと暮らしてももちろんいいのよ。だって、お父様はお金持ちですもの。見た目よりずっとお金持ち。ヒルダ嬢の公爵家より、動かせるお金の額ははるかに大きい。お金のことなら心配いらないわ。でもね、やさしくて大事にしてくれる旦那様とかわいい子どもがいた方が幸せよ」
そう言うものなんだろうか。
「はい。予定表」
「ふつう、こういう会に出席するのは卒業後なのではないかと思っていました」
「それは、王都に屋敷を構えない方の場合。母の私が一緒なら、何も問題ないわ。私はそのためにここへ来たのですから」
「最初からそうしなかったのはどうしてなのですか?」
ハンナは不思議だった。そもそも両親はハンナが人見知りで引っ込み思案なことをよく知っていたはずだ。ずいぶん心配してくれてもいた。
「だからこそよ。守ってくれるはずのジョージもいましたしね。何の助けにもならなかったけれど。最初から弟たちとこの家で暮らしたら、あなたは何にも巻き込まれなかったと思うわ」
「巻き込まれない方がよかったのでは?」
母はにっこり笑った。
「巻き込まれてよかったわ。あなたは全部うまい具合にさばいていった。さすがは私たちの娘よ。思いがけない能力だったわ。でも、今回ばかりは、私たちのバックアップが必要な時だと思うの」
「そうなのですか?」
ハンナは怪訝そうに母親を見上げた。
決して着飾らなかった母は、王都に来てからは隙の無い流行のドレスを身にまとい、お茶会やパーティにも決して頻繁にではなかったが、かなりの回数参加している。




