第60話 芝居2
休憩時間にハンナはその短い小説を走り読みした。
自邸で読んだ方がいいのでは? と提案したが、フィリップ殿下はできるだけみんなの前で読んでと、注文をつけた。
「なかなか面白い話だと思うんだよね。流行るといいかも」
それは、礼儀も遠慮もない男爵令嬢が、身分や財産目当てに、特に秀でたところのない王子にすり寄り、ベタベタする。しかも、正当な婚約者である公爵令嬢にいじめられたと訴える。信じた王子は婚約破棄を発表。しかし公爵令嬢は毅然として、男爵令嬢の嘘の被害届を否定し、婚約は破棄となったが、王子よりずっとステキな新たな恋人を得て幸せになった。男爵令嬢は田舎の修道院に入れられ、王家は公爵家に謝罪して、件の王子は王家から追い出され、辺境の領主になった……という真実の愛の物語。
「こんなもの、流行らせていいのかしら? 王家の威信にかかわると思うけど」
ハンナはつぶやいた。
内容的に教室の中で読むのがはばかられる。読み終わったハンナは急いでカバンの中に本をしまい、誰も見ていないよねと周りを見まわして、愕然とした。
同じ本を結構な人数が読んでいる。
「あ、あの」
思わず、なぜか三人で寄ってたかって一冊の本を読んでいる令嬢に声を掛けてしまった。
「そのご本、面白いのでしょうか?」
「まあ、ハンナ様」
彼女たちは真っ赤になった。ちょうど、具合悪く、王子と男爵令嬢のベタベタシーンを読んでいるところだったのだ。
「いえ。あの、特にそういう訳では」
「大勢の方が、読んでらっしゃるわ。有名な本ですの?」
ではないと思うが、念のため聞いた。
「私どもも、読みたかったわけではないのですわ」
三人は一生懸命言い訳を始めた。
「読んでいらしたのに?」
「この本はいただきものですの。ぜひお読みなさいって」
「まあ。どなたから?」
こんな本を配って歩くだなんて、どんなもの好きなのだろう?
「あのう、ヒルダ様からですの」
ヒルダ様!
「公爵令嬢の?」
「そうですわ。ですから、一応読んでおかないと、万一、感想を聞かれた時に困りますから」
残りの二人もうなずいた。
「公爵令嬢が、この本を」
なぜだろう。意味が解らない。
「ハンナ様も読まれたのですか?」
「ええ。知り合いが貸してくださったの」
嘘は言っていない。
ヒルダ嬢は何をしたいのかしら? フィリップ殿下も訳が分からないわ。
しかし、授業の開始時間ピッタリに、教室に入ってきたのは、驚いたことに先生ではなくてフィリップ殿下だった。
彼はすぐにハンナを見つけると、口元をゆるめて、横に座りに来た。
ハンナとフィリップ殿下を、クラス全員が食い入るように見つめた。
全員が一言も発しないその中を、フィリップ殿下の声が響く。
「愛しい人」
「ひっ?」
と言ったのはクラスの中の誰かではない。ハンナである。
「ずいぶん静かだな。珍しい。何かあったのか?」
と教室のドアをさっと開けて入ってきたのは、歴史の先生。ヒューゴ先生である。
先生も生徒の視線の先を追い、フィリップ殿下と、ドン引きになっているハンナを見つけた。
「あっ。フィリップ殿下」
フィリップ殿下はガタンと椅子を後ろにひっくり返して立ち上がった。
「授業よりやりたいことがある。さあ、ハンナ嬢、一緒に。愛しの僕のデイジー嬢」
そう言うとハンナを引きずるようにして教室を出て行ってしまった。
「どこへ?」
ハンナは必死になって聞いた。
「ええと、全教室から見える中庭がいいかな」
「殿下、これはなんの真似ですか?」
「さっき説明したろ。僕らは道ならぬ道を歩む恋人同士だ」
さっきの本の解釈と違う。
「あのう、低位の令嬢が媚びを売って高位貴族の頂点の王子殿下を篭絡するお話だったのでは?」
「次、ハンナ、それやってくれる?」
「いやです」
にべもない。
「僕一人でやるのはつらいんだよ。お願い。僕に笑いかけて、僕の腕に触って」
「あのう、私の結婚に差支えが出ると思うので、困ります」
「大丈夫。その件に関しては保障するから。僕と結婚しよう」
ハンナはあきれ果てた。
「たかが伯爵家の娘と王子殿下では差があり過ぎて結婚できません」
フィリップ殿下が手をつないできた。後ろから護衛騎士団が駆け足でやってきた。
いつもは気の利く護衛騎士団だったが、今日ばかりはみんなでワイワイとハンナとフィリップ殿下を中庭に向けて押し出していく。
「これ、何のために?」
「本によると、僕がヒルダ嬢に婚約破棄を宣言することになってる」
「婚約していないのでは?」
ハンナは縦じわを寄せながら、フィリップ殿下に詰め寄った。
「まあまあ。それでヒルダ嬢はジョージとの婚約を了承することになっている。本の通りだな」
「それ、何のメリットがあるんです?」
ちょっと殿下に対して不敬だが、ハンナは厳しめの口調で尋ねた。
「婚約破棄はどうでもいいんだ。僕の場合、婚約してないって宣言することが大事なんだ。あと、(ゴホッ)ハンナ嬢とは親しい関係って言うだけだから。そこはちょっと小説と違うな」
「親しい関係は困ります」
ハンナが言い切ると、フィリップ殿下は黙り込んだ。
カツラとメガネと襟に隠れてよく見えないが、なんだか打ち萎れている。
しかし、しばらくすると立ち直って、ペラペラしゃべり出した。
「とにかく他の女性に夢中な男と結婚したい女性はいないだろ? なので、ヒルダ嬢はジョージと婚約してくれると思うんだ」
「最低! 私は小道具ではないですか!」
ハンナは中庭の真ん中に設置してあるベンチに座るところだったが、フィリップ殿下の手を振り切って立ちあがろうとした。
護衛騎士があわてて、まあまあと手を振ってくる。
フィリップ殿下も焦った様子で、言い出した。
「父上の伯爵から、許可を得ている」
「何ですって? 父がそんなこと許可するわけないわ!」
あわてた殿下はポケットを探し出した。
後ろの護衛騎士数名も鎧のポケットを探し出し、一人が大急ぎで一枚の紙を取り出し、うやうやしく殿下に捧げた。
『娘に手を出したら、承知しないわよ アリス』
アリスは母の名前である。筆跡も間違いない。母だ。
「ほら、ご覧なさい。どこが許可なの?」
大慌てに慌てた護衛騎士が、全員でポケットをひっくり返して、もう一枚の紙を取り出した。
『娘をよろしく アルフォード』
「よろしく?」
思わずハンナは口走った。何をどうよろしく? ちなみにアルフォードは父の名前だ。
サッともう一枚差し出された紙には、こう書かれていた。
『殿下の芝居に付き合って欲しい アルフォード』
「これ。これが正しいやつ」




