第50話 ダンス
「踊ってください」
エリック様は、膝をついて申し込んだ。
「エリック様は、フィリップ殿下だったのですか?」
ハンナは大慌てで言った。だとしたら飛んでもない話だ。王子殿下が伯爵家の娘に懇願している。
エリック様は、楽しそうに笑った。
「大丈夫。もう、婚約は破棄してもらった。あなたはフリーだ」
「そんな」
その問題ではない。王子殿下が跪くなど身分違いも甚だしい。
「大丈夫。ヒルダ嬢さえよくわかっていない。今、フィリップが僕だってわかっているのは、王家の人間とあなただけ。さあ」
ハンナはふらふらとフィリップ殿下の手を取った。
フィリップ殿下はハンナの手を取った。
ダンスホールの真ん中では、ヒルダ嬢とジョージが所在なげに立っていた。ダンスをするはずなのだが、音楽が始まらないのだ。
しっかりした足取りで、フィリップ殿下はホールの真ん中に進んでいった。
殿下が軽くうなずくと、指揮者が音楽を始めた。その老楽長を見てハンナは仰天した。
あれはダンスの練習の時、いつもバイオリンを弾いてくれたおじいさんでは?
まさか、宮廷楽長だったの? ハンナはエリック様……ではないフィリップ様の顔を見た。
「練習が役に立つ時が来たね」
破壊力抜群の顔面でフィリップ殿下は微笑んだが、ハンナには、バイオリン弾きのおじいさんが宮廷学長だったという事実の方がショックだった。
間違いない。
フィリップ殿下だわ。
一方でヒルダ嬢とジョージも踊っていた。
「れ、練習が本当に役に立ちましたわ」
ハンナも同意した。
だって、ヒルダ嬢とジョージのダンスときたら見ていられないほどだったからだ。
よくわからない成り行きで、二組だけが踊っていた。
他の組をジョージとヒルダ嬢が我が物顔で追っ払ってしまった後に、殿下が割り込んだのだ。
しかし、そうなるとなんとなく比較してしまうのは世の常で、いささかふくよか気味でダンスの練習をしたことがないらしいジョージとヒルダ嬢の組と、フィリップ殿下の命令でダンスの練習を何時間も重ねてきたフィリップ殿下とハンナの組とでは、ものすごく差がついた。
考えてみたら、ジョージとヒルダ嬢とでは、練習するわけには絶対行かない事情があった。
この二人、いけしゃあしゃあと踊っているが、今晩、いきなり婚約者のハンナに婚約破棄を勝手に突き付けたばかりなのだ。
そして、堂々と踊っているフィリップ殿下とハンナだったが、これまた、即席のカップル。即席のくせに、ダンスは板についている。
「大丈夫。次にもっと大きなイベントが控えているから、みんな忘れると思う」
一生覚えている人、いるんじゃないかな。ハンナは不吉な予感にさいなまれた。
「こうしたかった。フィリップとしてあなたに会いたかった」
フィリップ殿下はささやいた。
「ジョージがバカなら、僕もバカさ。二人とも、取り返しのつかないことをやらかしたかった。そしたら、あなたを手に入れられる」
ハンナは殿下の顔を見上げた。
あほかー。好き好んで、ジョージのレベルまで堕ちるんじゃない!




