第31話 マルク先生
マルク先生は、しょぼい見た目と違い、天才だった。彼の才能は多岐にわたり、多くの新発明や発見をしていたが、才能があっても世渡りは下手だった。
先生の発明小屋には、ガラの悪そうな商人や怪しげな戦士や、どう考えても産業スパイじゃないのか、みたいな連中が、うじゃうじゃ出入りしていた。
「秘書のエリックです」
フィリップ殿下は素通しの黒縁メガネを手に入れた。
「マルク先生へのお話は僕を通してください」
高そうな服を着ている、いかにも世間知らずそうな自称秘書の登場は、怪しげな連中の激高を買った。
「なんだと、この小僧」
「子供のくせに生意気だ」
「マルクはな、俺の金を待ってんだ。通せ」
「邪魔立てするとどうなるか、わかっているだろうな?」
ブレード先生にはああ言われたが、フィリップはちゃんとした剣の授業を受けている。自国にいた時の教師はいずれも一流だ。
「かわいい顔をしているな。その顔、つぶしてやろうか」
ひげ面で歯が欠けた大男が、刀を抜いた。
口が臭いのでは? フィリップは男の歯並びを見て、口臭が気になった。
「そのような暴言、お止めください。命がありませんよ」
フィリップは確信していた。絶対に王家の影がどこからかフィリップを見守っている。
したがって、この言葉は完全な忠告だった。断じて、自分の腕前を誇示したいわけではない。
フィリップが劣勢になったら、ブレード先生のセリフではないが、王家に忠誠を誓う影が現れる。そして、フィリップの後始末をつけてくれる。
しかも、この男の剣は自己流だ。王家の影の敵ではない。何ならフィリップの敵ですらなかった。
「なんだとう?」
隙だらけの格好で突っ込んでくる冒険者崩れの大男の剣をすらりとかわし、急所に打ち込んで、男を草の上に伸ばしてからフィリップはゆっくりと剣を納めた。
「口ほどもない。命が助かっただけでもありがたいと思え」
これも別にフィリップが自分の力を誇示して発した言葉ではない。
王家の影が本気になったら、この大男は命どころではない、ミンチにされるはずだった。影が出てこなくて、本当によかったねと温かく言葉をかけただけである。
しかしながら、この大男、勢いとは裏腹にあまりにも剣技が稚拙だったために、王家の影はチラリとも姿を現さなかった。
そんなわけでフィリップにも出番が発生したわけである。
「次は誰だ?」
みすぼらしい戦士風や、マルク先生の発明だと名乗ってインチキ薬を作って儲けようとする偽商人たちは青くなった。
そしてそのまま逃げ去った。
「あー、君、エリック君?」
先生はかなり困った様子で話しかけてきた。
「あの人たちを追い払っちゃったら、わしが払わなきゃならない肥料代とか、この間買った度量衡の支払いができなくなっちゃうんだけど」
度量衡って何かな?
しかし、エリックはにっこり笑った。
「大丈夫です。僕はこう見えても貴族の端くれです」
端くれどころではない。貴族中の貴族、王家の御曹司である。
「僕がスポンサーになりましょう、ご心配なく」
先生は心細げに若いエリックの顔を見つめた。
「ご両親は……?」
「実家は極太ですから」
先生は首をひねりまだ不安そうだったが、フィリップは、そんな先生にはおかまいなくそこらに散乱していた紙をペラペラとめくりだした。
「差し迫った支払いと言うのはこれですか?」
フィリップには教育がある。
令嬢方の顔色はサッパリ読めなかったが、請求書と契約書の内容は完全に読めた。
こんなでたらめで、穴だらけの契約は見たことがない。完全に論破できる。なんなら賠償請求に持ち込んでもいいくらいだ。
「ふっ……」
フィリップは嗤った。このジャンルなら得意だ。
「土地改良の他に鉱石の分析や、新しい作物の導入にも取り組んでらっしゃるのですね? 先生は素晴らしいですね」
先生を持ち上げておこう。しばらくここに居させてもらおう。
何よりここは肥え臭い。畑にまいた肥料の悪臭がほのかに風に乗って流れてくる。
絶対に令嬢はここまで来ない。すなわち安全。
フィリップは、先生の研究小屋に居座った。
しかし、そのうちにおかしなことが起き出したのだ。
「なぜ、今日も雨なんだろうな?」
先生は空を見上げた。
「雨……鬱陶しいですよね?」
感想に困ったフィリップは曇天を見上げた。
「何言ってるんだ。ここんとこ二週間に一回は雨だ」
フィリップの故郷なら、そんなものである。何だったらもっと降る。
「うん。今年はおかしい。いつからだったっけ。そうか。いつだったか忘れたけど、変なセレモニーがあって、そうだ、エリック、お前さんだ。留学生を大事にしましょうって会。サンドイッチがうまかった」
あったな、そう言えば。フィリップももうっすら思い出した。
フィリップの安全のために行われたのだ。
フィリップの正体がバレませんように!
「あれから、変わったんだ! その時の留学生って、エリックのことだよね。お前は雨の神か! 今年は大豊作が見込めるぞ!」
誰が雨の神だ。しかし、先生は大興奮していた。
「大豊作……本当ですか?」
「私を誰だと思っているんだ。みんな私のことを疑うが、一度だって予言を外したことはない!」
先生、そこを長年の精密な研究の成果とか言わないからなあ。
予言とかお告げとか言うから、いつまで経ってもインチキ臭いと思われるんですよ。
だが、王子のくせに意外と自分が実際的な人物であることを発見しつつあったフィリップは、先生の研究小屋に彼の基準を持ち込んだ。
売り物になる研究、ならない研究、あと一歩でモノになるのに先生が投げ出している発明など。
なにしろ、今や彼こそが、唯一のスポンサーなのである。
研究の完成を強要して何が悪い。
「それ、興味ないんだけど」
先生は渋ったが、フィリップは言った。
「金の鑑定方法を先にやり遂げないと、お金、あげませんよ?」
フィリップは、ネコ撫で声で先生に向かってさらに言った。
「ミセス・ロビンとソワレのエサ代が出ませんよ?」
ミセス・ロビンはキジトラの十歳のネコで、ソワレは二歳の黒猫である。フィリップを見ると、シャーと威嚇する。両方とも雌なのに。さすがのイケメンも猫には通用しないと見た。
学校へ授業を受けに戻って、フィリップはこれまで聞いたこともない雨について話を集めてみた。
「確かに最近は雨が多い。嬉しい話ではあるが、王都周辺だけだよね」
「フーン」
調査の結果、フィリップは麦畑の契約に勤しんだ。なんだか儲かりそうな気がしたからである。それに、二束三文だった。
「あー、代わりに水撒いてくれるの? そりゃいい」
領主は憎まれ口を叩いた。
「今は良くても、どうせもうすぐ一滴も降らなくなる。雨なんか運さ! 外国人は知らんのだろう。おっと! 契約は終わったからな。今更、覆せんぞ!」
そして、その数ヶ月後、稀に見る大豊作が訪れた。




