第五章・バックドア
「日本から手を出してくれれば、我が合衆国は憂いなく欧州に介入できる」
──フランクリン・D・ルーズヴェルト合衆国大統領
一九四一年九月一日
ホワイトハウス コロンビア特別区
「白き殿堂」の主、合衆国大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトは、世間ではあまり知られてはないが、車椅子の利用者だった。
大統領選挙戦でもその事実は目立たぬようにし、頑健で筋肉主義なアメリカ世論に違わぬイメージを国民に植え付けることに成功していた。
そんな彼の趣味に水泳がある。これは、彼が車椅子生活の原因となった、ポリオによる下半身麻痺克服のためのリハビリを兼ねていた。
おかげで、大統領三期目の現在も、精力的に政務に励むことができた。
今、彼はひとつの決断を海軍に伝えようとしている。
「うん、そうだ。君のところから、空母を何隻かを、アジア艦隊に分派するのだ」
執務机を挟んで対面しているキンメルは戸惑いと怒りの表情を滲ませていた。
「何故です? アジア艦隊に派遣してしまえば、実質兵力が二分されてしまいます。そうなれば、彼らのコンバインド・フリートと正面から対決するのが、大変に困難となります。大統領閣下、それでよろしいのですか?」
しかめ面をしたルーズヴェルトが応える。
「それはわかっている。しかしな、提督。太平洋の守りも重要だが、フィリピンの防衛も、また重要な課題だ」
「それはそうですが……」
キンメルにはただ、太平洋艦隊の主力を割く恐怖だけがあった。
ルーズヴェルトはそんな彼の真情を読みつつ、長広舌で返した。
「日本が仕掛けるとなれば、最初の目標はフィリピンだ。私はそこに楔を打ち込む。フィリピン防衛に成功すれば、彼らは南方の資源を手に入れることが不可能となるだろう。また、アジア艦隊が時間稼ぎをしている間に君の太平洋艦隊が応援に駆け付ければよい。例の……レインボーとやらも渡洋侵攻を企図しているのだろ。君はそれに従い、太平洋を押し渡ればよい」
“論理的にはそう間違ってはいない。……しかし、何かが引っかかる”
キンメルには思い当たる節があった。
“恐らく、彼の地にいるマッカーサーの要請だろう……”
しかし、それは口にしなかった。
“下手なことを言うと、リチャードソン前長官と同じ目に遭うかもしれん……”
彼の前任のジョン・O・リチャードソンは、太平洋艦隊の寄港先を巡って大統領と対立し、解任された、という事実があった。
それを思うと、キンメルは必要以上の反対意見を述べる勇気は持てなかった。
「わかりました」
「ほぉ」
しばらく沈黙していたキンメルが、あまり反抗しなかったことに、ルーズヴェルトは意外に思った。
「空母四隻、四隻をアジア艦隊に貸します。それでよろしいですか?」
ルーズヴェルトはしばらく計算する素振りを見せた。キンメルはじっと待った。
「わかった、それでいい」
「その代わり、と言ってはなんですが」
「新型の巡洋戦艦のことか?」
「はい」
「大丈夫だ。君に全て渡す」
「ありがとうございます」
「礼はいい。全ては祖国のためだ」
・・・
どこか、安堵の表情となったキンメルが退室すると、ルーズヴェルトは車椅子を反転させ、執務室の窓から見える景色を眺めた。
まだ、夏の気配が濃厚な陽ざしが彼の膝に降り注いだ。外はまだ緑が燃え、ときおり車のクラクションが響いていた。
未だ、合衆国は平時であり、街頭にはビジネスマンが闊歩している。
──八月に石油の対日全面禁輸を打ち出してから、彼らは目に見えて焦り出した。このままだと、一年も持たず、石油備蓄が底を尽くに違いない。彼らの習性からみて、その前に開戦を決意するだろう。
「民主主義の兵器廠」を謳ってから、ラジオ演説を介して少しずつ世論を開戦論に導いてきたが、そろそろ「最後の一撃」が必要だ。我々は欧州を喪う訳にはいかない。ソヴィエトもまた、今では貴重な友邦だ。
日本から手を出してくれれば、我が合衆国は憂いなく欧州に介入できる。
ルーズヴェルトは、アジア艦隊司令長官の顔を思い出した。
──彼は「政治家」としては有能だが、「軍人」としてはどうかな? まぁ、彼もアナポリスの訓練を受けたのだ。与えられた兵力をそれなりに使いこなすことはできよう。……それよりも、だ。
あのマッカーサー“元帥”、か。彼は英雄であり、同時に野心家だ。彼の方が厄介かもしれぬ。本当はあまり彼に勝って欲しくはないのだが、仕方がない。フィリピンを喪うと、私の指導力に傷がつくかもしれぬ。まぁ精々、黄色い連中を翻弄してもらおう。
ふん、日本か。この際だ、徹底的に“教育”する必要があるな。我々の“新秩序”建設のため、一度叩き潰さねばならん。
キンメルの要求に応じるのもそのためだ。彼も……合衆国の未来のために働いてもらおう。
彼は、自身の思考形態が、アドルフ・ヒトラー氏と鏡写しであることに、全く気づいてはいなかった。




