第三章・デンマーク海峡の蹉跌
「私は言った。確かにそう言った。それを実現するためなら、悪魔とも契約しよう」
──ウィンストン・チャーチル・英国首相
一九四一年五月二三日 深夜
ダウニング街一〇番地 ロンドン
「間もなく接触するというのかね?」
葉巻を咥え、超然とした態度をとる首相に、第一海軍卿が応えた。
「はい。『プリンス・オブ・ウェールズ』の戦隊が間もなく」
「司令官はホランド君か。ふむ」
第一海軍卿は、考え事をしている首相に、内心で毒づいた。
“首相が海軍に愛着を持っているのは知っている。だが、俺自ら報告する必要があるのか?”
首相は彼の内心を無視し、どこか楽観的に話をした。
「艦長はリーチ君だったね」
「……はい」
「ならば、まずは心配なかろう。海軍の勇戦に期待する」
ふいに首相が尋ねた。
「ところで、『ウェールズ』の僚艦は?」
第一海軍卿は即答できなかったが、副官が耳打ちする。
「『ネルソン』と『ロドネー』です」
「彼女、たちか……」
首相の顔に皺が刻まれた。
「やはり、気になりますか?」
首相は葉巻の灰を落とし、再び咥える。しばし沈黙が続いた。
「……場合によっては」
重々しい態度で首相は続けた。
「今後の建艦計画について話がしたい」
「戦時計画については既に……」
「わかっている。ただ、彼奴らが『戦艦』を持ち出すなら、我々もそれなりの対応をしなくてはならぬ。果たして、『ビスマルク』に国王陛下の軍艦が対抗しきれるのか、それに……」
「はい」
「極東にも目を向けねばならん。我々の戦備が日本帝国に通用するのか、否か……」
「それは……」
“ドイツだけでも手が余るのに、今度は日本か。うん、準備だけは進めておくか”
首相はどこかで気分を切り替えたのだろう、ブランデーを手に応えた。
「まずは、『ウェールズ』の奮戦に期待しよう」
一九四一年五月二四日 払暁
デンマーク海峡
旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の司令部では「合戦準備」の号令とともに、寮艦へ命令を送信していた。
参謀長が報告する。
「『ネルソン』『ロドネー』、前進します」
「うん」
戦隊司令官・ランスロット・ホランド中将がうなずいた。
“彼女らが猟犬のように『ビスマルク』を引きずり回し、その間に我々が仕留める”
参謀長が心配げに尋ねた。
「大丈夫でしょうか?」
「あの二隻のことかね?」
「えぇ」
ホランドは、さきほど考えていたことを参謀長に伝えた。
「ふむ……、彼女らは、速力の“優位”を活かして、ビスマルクの鼻先を駆けまわりさえすればよい」
参謀長の脳内では、戦力比が天秤にかけられていた。
「……勝てますかね?」
ホランドが参謀長を見つめる。
「君、ロイヤル・ネイヴィの伝統は『見敵必殺』、だよ」
数分後、遠くから閃光が見えた。
「ビスマルク」が「ネルソン」「ロドネー」を半ば無視したように「プリンス・オブ・ウェールズ」へ砲戦を仕掛けてきているようだ。
ホランドはリーチ艦長にうなずいた。彼が伝声管に叫ぶ。
「射撃開始」
間もなく、「ウェールズ」も火を噴いた。露天艦橋に爆風がなびく。
ホランドは火薬の匂いに舌なめずりし、結果を待った。その間にも報告が届く。
「『ネルソン』射撃開始」
「『ロドネー』射撃開始」
彼は内心で思った。
「彼女らの火力では牽制で“精一杯”だろう。それでよい。我が『ウェールズ』が仕留められればよい」
しばらく、砲弾の交換をおこなった後、先に命中弾を得たのは「ウェールズ」だった。
「ビスマルク」に射撃以外の火焔が見えた瞬間、艦橋に歓声が響く。
リーチが叫んだ。
「まだだ、奴は固い。どんどん打て」
「ビスマルク」からの主砲弾も届く。それは至近弾となり、艦体近くで水柱が延びた。
水しぶきを浴びながら、ホランドはつぶやいた。
「中々やるな……ふふ、ドイツの科学力は世界一、ってところか?」
砲戦が続く、双方とも決定的な打撃を与えられぬまま三〇分が経過した頃……。
「ウェールズ」は「ビスマルク」からの被弾によく耐え、ホランド自身も砲撃の衝撃に慣れつつあった。
リーチも歌うように艦の指揮を執っていた。
ホランドはその情景を横目で見つつ思った。
“このまま押し込めば……”
突然、第二砲塔に衝撃が走るのが見えた。「ビスマルク」の主砲弾が命中したらしい。砲弾は砲塔の装甲を突き抜け、そのまま射撃をする直前だった、自らの主砲の誘爆を生んだ。
砲塔が吹き飛ぶ光景を、どこか他人事の様に眺めていたホランドの目の前が真っ赤に染まる。
ふいに、横を向く。リーチも人以外のなにものかに変貌しつつあった。
自身も衝撃で次元の異なる存在になりつつ、彼は最期の思考を巡らせた。
“やはり、「巡洋戦艦」じゃ勝てんか……”
「プリンス・オブ・ウェールズ」が爆沈したのは、間もなくである。
一九四一年五月二七日 深夜
ダウニング街一〇番地 ロンドン
「閣下、ようやく『ビスマルク』を仕留めました」
どこか、うなだれたままの首相に第一海軍卿が報告した。
「……詳細は?」
「はい。……本国艦隊所属の機動部隊……、『ジブラルタル』の艦載機が留めを刺したそうです」
「あの装甲空母、か」
首相はどこか安堵した。
“空母で戦艦を仕留めることが可能、そう証明された訳だな……”
「はい。やはり大型化して正解でした」
「うん……そうか。……『ネルソン』と『ロドネー』は無事か?」
「はい。双方とも中破したものの、航行に支障はありません。現在本国に向けて回航中です」
「うん、……やはり『装甲巡洋艦』の限界、か?」
第一海軍卿は、内心でため息をつきつつ応える。
「『ビスマルク』の相手は荷が重すぎたようです」
首相は過去の政策を悔いるようにうなずいた。
「所詮、G3型を縮小しただけの、巡洋艦の亜種だからな」
ローマ条約締結後、英国は廃棄された戦艦の代わりに、「ネルソン」級と「セント・アンドリュー」級の装甲巡洋艦を建造していた。彼女たちは高速性に優れていたものの、「ビスマルク」級“戦艦”の前では、やはり巡洋艦に過ぎなかった。
首相は先人たちの施策を呪った。
“ワシントン条約で、我々は少し日本をやり込め過ぎたようだ。彼奴らはどういう思考か、戦艦の全廃を謳い出した。ジャットランドでの借りもあったせいで、彼奴らの話に乗ってしまったのが間違いの元だった。そこにローマ条約だ。結果として半端な戦力でドイツに対抗せざるを得なくなった……”
第一海軍卿は、姿勢を正し、新たな報告を始めていた。
「『ウェールズ』につきましては……」
首相は腕を組んだまま、沈黙した。やがて口を開く。
「『ウェールズ』は、果敢に戦った。それは事実だろう。しかし……」
彼は目を伏せた。
「ホランドもリーチ艦長も勇敢で偉大な海軍軍人だった……」
第一海軍卿も口を引き締め、なにかに耐えるようだった。
しばらくうずくまったままの首相が顔を上げた。葉巻に火を点け、一口吹かす。深呼吸した後の首相の覇気はこれまでものとは異なっていた。
「『キング・ジョージ五世』級巡洋戦艦は、まだ建造中のがいたな」
「はい。四番艦と五番艦が目下のところ……」
首相は断固たる表情で伝えた。
「うむ、……今からでもよい。『ライオン』級に作り替えたまえ」
「それは……」
「構わん。これはドイツを打倒するため、将来の対日戦に備えるためだ」
「……かしこまりました」
・・・
第一海軍卿が下がると、首相──ウィンストン・チャーチルは改めて決意した。
──いつか、私は議会で演説したな。……我々は最後までやり抜く、──我々は決して降伏しない、と。
我々は、我が国は、今のところ独りぼっちだ。このままでは負けることはないだろうが、勝つこともあるまい。どうにか、合衆国をこの戦争に引きずり出さねば。
──新世界が、そのあらゆる力と武力をもって、旧世界の救済と解放のために立ちあがるまで、か。
私は言った。確かにそう言った。それを実現するためなら、悪魔とも契約しよう。それにはまず……




