第二章・レインボーの尖兵
「しかし、どうも奇妙な世界だ。戦艦が否定されるなど、正直考えられん。どこでおかしくなったのだろう?」
──ハズバンド・E・キンメル大将・合衆国太平洋艦隊司令長官
一九四〇年四月一日
真珠湾 オアフ島 ハワイ準州
陽光が降り注ぐ中、水平線の向こうから艦影が浮かびあがってきた。
真珠湾に繋がる水道に、複数の大型艦が進んでいた。彼女たちはどれも扁平な外観をしており、合衆国においても主力を担っている空母であることが見てとれた。
「ようやく来たか」
合衆国太平洋艦隊司令長官、ハズバンド・E・キンメル大将は双眼鏡で新たに太平洋艦隊の所属となった四隻の空母──レキシントン級二隻とヨークタウン級二隻──を眺め、満足そうに呻いた。
そばにいた参謀長もうなずく。
「これで、守りは盤石になった、というわけですな」
「参謀長」
キンメルは、ケアレスミスをした生徒をしつける教師のような態度をとった。
「我々の任務は守りだけではない。冒険主義をとり続ける国に、法と秩序を身につけさせるのもまた、我々の任務だ」
「おっしゃる通りです」
・・・
一時間後、太平洋艦隊司令部の会議室で、キンメルは幕僚と会議に入った。
参謀長は指揮棒を手に、スライドを用いて現有戦力の解説を始めていた。
「今回の増援により、太平洋艦隊の戦力は大いに拡充された。我々は諸君を歓迎する。早速ハワイの陽気にやられているようだな。心配ない、明日には艦隊演習を開始する。訓練を通じ、太平洋の波に慣れてもらう」
艦長たちからは、声にならないどよめきが聞こえた。
キンメルが口を挟んだ。
「これで、具体的に太平洋艦隊の戦力がいかほどのものになったのかね?」
「イエス」
参謀長は幕僚に命じてスライドを交換させた。艦隊編制図がスクリーンに映し出される。
「空母は今回の増援により、レキシントン級六隻、ヨークタウン級六隻を集結させることができました。ちなみに、このことにより、大西洋艦隊にはインディペンデンス級四隻のみが残ることとなります」
ひとりの提督が手をあげた。巡洋艦戦隊を率いるレイモンド・A・スプルーアンス少将だった。理知的な彼の眼差しは、灰色の海原を駆ける戦友たちを想っていた。
「大西洋艦隊から主力をこれだけ引き抜けば、あちらが手薄になりませんか?」
キンメルが質問に応えた。
「スプルーアンス少将、君の疑問はもっともだ。しかし、大西洋艦隊の主任務は、今のところ哨戒だ。潜水艦にさえ気を付ければよい。それに──」
「はい」
「英国海軍によって、ドイツ海軍主力は北海に拘束されている。それほど、心配はあるまい」
キンメルの言葉に、スプルーアンスはうなずいた。
参謀長は説明を再開した。
「これら空母一二隻を主力とし、装甲巡洋艦、重巡洋艦、その他を護衛に当てる。内容は、見ての通りだ」
またひとりの提督が手をあげた。太い眉に目力の強い眼差し。ウィリアム・ハルゼー少将だった。
「あくまで、我々が主力、というわけなんだな?」
彼は普通に質問をしているだけなのだが、どこか威圧感があった。
「イエス。ローマ条約以降、戦艦の保有が禁じられてしまいました。“当面”は装甲巡洋艦を準主力として空母の護衛についてもらいます」
「はんっ」
ハルゼーの鼻が鳴った。
「巡洋戦艦か。ビンソン計画に組みこまれているのは知っているが、今更時代遅れの『大艦巨砲主義』でもあるまい」
空母以外のフネの指揮を執る提督や艦長たちの視線が、一斉にハルゼーへと刺さった。
「ハルゼー」
キンメルは海兵同期であるハルゼーをたしなめた。
「君の主義は私も知っている。しかし、海軍はバランス感覚が必要だ。水上戦闘艦は艦隊決戦だけが仕事ではない。今の空母の護衛も重要だが、敵艦隊との近接戦闘の可能性もないわけではない。それに──」
キンメルはワシントンにおける研究を思い出していた。
「仮に、日本帝国と事が起きた場合、レインボープランの発動となるだろう。そうなれば、我々はトウキョウのインペリアルパレスを制圧するまで止まらない。そのためには、太平洋の島々を攻略する必要がある。その際、上陸支援にはむしろ水上戦闘艦のほうが適任だ」
「ふん、そんなもんかい」
「私はスターク(海軍作戦総長)に、新型巡洋戦艦も全てこちらに寄越すように要求している。レインボーが発動されれば、空母と砲戦部隊の両輪で、彼の国を屈服させることも可能だろう」
再びハルゼーの鼻が鳴った。
「ジャップなんぞ、ドンガラばかりの三流海軍だ。我々が負けるわけがない」
「ハルゼー。君は有能な空母指揮官のひとりだ。勇猛でもある。しかし、日本を侮るのは感心せんな」
「しかし」
キンメルはいらだたしげに手をあげた。
「まぁ待て、私は太平洋艦隊を預かる者として、失敗は許されない。守るにせよ、攻めるにせよ、戦力は多いに越したことはない。そのために、空母の拡充も実現できた。それは、君も理解できるだろう」
「ふん」
“所詮は猪武者なのか? このまま対日戦となれば、私は彼を掌握しきれるだろうか……?”
キンメルは表情だけはにこやかに、ハルゼーの肩を叩いた。
「いずれにせよ、ハルゼー。あくまで我が艦隊をしても空母が主役だ。そして、君がレインボーの切っ先を担うことになる。対日戦が発動されたら頼むぞ」
ハルゼーは口角をあげ、気取った敬礼をした。
「イエス、パパ」
・・・
会議のあった夜。キンメルは宿舎で深酒をしない程度に嗜んでいた。彼は合衆国海軍の来し方を想っていた。
──ハルゼーか。奴が大きな顔をできるのも、ローマ軍縮条約のおかげ、ということか。
しかし、どうも奇妙な世界だ。戦艦が否定されるなど、正直考えられん。どこでおかしくなったのだろう?
やはりワシントン条約で日本がおかしな行動をとったのが始まりか……。最初は彼らの八八艦隊計画を潰すだけでよかったのに、どうして彼らは「長門」や「陸奥」、果ては既存の戦艦の放棄まであっさりと承諾してしまったのか? おかげで我々も戦艦を手放さざるを得なくなった。
まぁいい。ある程度の装甲巡洋艦は揃えられた。今の艦隊計画では「巡洋戦艦」の建造も進んでいる。彼女たちは「巡洋戦艦」とは名乗っているが、実質は「戦艦」に等しい。
海軍の主力はやはり戦艦、巨砲を備えた戦艦だ。その内……彼女たちが洋上にでれば、ハルゼーの妄想も収まるだろう……。
……結局のところ、キンメルは大艦巨砲主義の枷からは逃れることはできなかった。
そのことが今後、どのような影響を与えることになるのか。彼の思想が正しかったのか。それが判明するには、もう少し、時間が必要だった。




