第五章・アルカディアより来たり
「天にまします我らの父よ。彼らに祝福を。そしてジャップには鉄槌を」
──ウィリアム・ハルゼー中将
一九四二年四月一八日 払暁
西太平洋 日本本土からおよそ七〇〇海里
軽巡洋艦「ナッシュヴィル」が、敵哨戒艇の撃沈を報告した。遠くに黒煙が上がっているのも視認することができた。
「ようやく沈めたか……」
ウィリアム・ハルゼー中将は忌々し気に呟くと、通信参謀へ顔を向ける。
「奴はなにか発信していたか?」
「イエス。どうやら、沈む直前まで電波が出ていたようです」
「……わかった」
ハルゼーは腕を組む。
今回の日本本土空襲に当たり、彼の「エンタープライズ」と第十六任務部隊は支援任務を引き受けていた。第十八任務部隊の「シャイロー」には、この作戦のために、双発大型爆撃機が搭載されていた。
──流石のジャップも、洋上監視網を組んでいたか……。本来ならば、日本本土五〇〇海里まで接近してから飛ばす予定だったのだが……。こんなところで発見されてしまうとはな。
ここからだと二〇〇海里くらい航続距離が伸びてしまうが、クソ、夜間空襲のつもりだったのに……。
参謀長はハルゼーの言葉を待っていた。
彼に振り返ったハルゼーは断固とした調子で下令した。
「ジミーに『馬に乗れ』と伝達せよ」
ハルゼーの命令を受けた空母「シャイロー」の飛行甲板では、大型の双発爆撃機がウォームアップを開始していた。
陸軍航空軍爆撃機「B-25」
この日のために大小さまざまな改修を施された機体だった。
指揮官のジェイムズ・ハロルド・ドーリットル中佐は一番機の操縦桿を握りしめる。
彼は副操縦士に語り掛けた。
「訓練通りにやればいい」
やがて、発艦のサインが出る。彼はおもむろにスロットルを全開にした。
爆撃機特有の重たげな走り出しだった。それでも、甲板から飛び出す直前に離陸速度に達する。ドーリットルは操縦桿を引き上げた。
「上がれ、上がれ……」
飛び出した直後、彼の機体は大きく沈み込んだ。飛行甲板から見えなくなる。作業員がギョッとするものの、ゆっくりと上昇する一番機が空に浮かんだ。
飛行甲板の二番機にも発艦命令が下された。
およそ十数分で十六機全機が離陸する。彼らは編隊を組むと、一路日本本土を目指し始めた。
ふたつの任務部隊は爆撃機隊を見送ると、直ちに避退行動に移った。
ハルゼーは神に祈りを捧げた。
──天にまします我らの父よ。彼らに祝福を。そしてジャップには鉄槌を。
それは祈りというより、呪詛に近かった。
一九四二年四月一八日 〇九〇〇時
聯合艦隊司令部 横須賀 神奈川県
山本聯合艦隊司令長官は背筋に氷を入れられた気分だった。
「ついに米空母が日本本土に」
宇垣参謀長が応える。
「幸い、発見できましたが、奴らは来ますかね?」
「来る。きっと来る」
「……やはり。作戦参謀、奴らの来襲予想時刻は?」
「はい、彼らの艦載機の航続距離からして、明日になるかと」
「そうか、そうだな」
参謀たちのやりとりを聞きながら、山本は疑問を抱いた。
──奴ら、そんな見え透いた手で来襲するのだろうか? 予想されていた展開とはいえ、まだなにか裏の手を使っている、だとしたら……。
山本は基地航空隊に厳重な索敵を下令した。
一九四二年四月一八日 一一〇〇時
日本近海
ドーリットル中佐は円錐形の美しい山を視認していた。
「ほぉ、あれが『マウント・フジ』って奴か」
少しの間富士山を眺めていた彼は、探照灯で各機に命令を下した。そして、海面すれすれまで高度を下げ、哨戒網をかい潜りつつ、針路を西寄りに修正した。
一九四二年四月一八日 一二一五時
東京
突然の敵機の来襲に、警報すら発することができなかった。
五月雨式に関東上空へ侵入した機体は、帝都とその周辺にある民間施設に爆弾を投下した。
遅すぎる空襲警報と、逃げ惑うひとびとの叫びが街に木霊した。
「戦争はどこか遠い世界の出来事」と思い込んでいた彼らの頭上に、現実が降り注いだ。
同時刻 聯合艦隊司令部
司令部のバルコニーで双眼鏡を構えていた山本に、参謀が叫ぶ。
「長官、危険です! 中へ!」
「いや、構わん」
付近の対空陣地が高角砲を放ち始める。空にポツポツと黒い華が咲いた。
山本の双眼鏡が敵機を捉えた。
「あれは……、双発の大型機か? まさか、陸軍機を空母に載せたのか?」
敵機が爆弾を投下した。数秒後、爆発音と黒煙が上がる。
山本は呆然と事態を受け入れていた。
──そういえば、東京は、陛下はご無事なのだろうか?
一九四二年四月二〇日
聯合艦隊司令部 横須賀 神奈川県
過日の空襲による被害が明らかとなりつつあった。死傷者は四百人以上、家屋の喪失も多数に登った。不幸中の幸いは、皇室と宮城に被害がなかったことであった。
本土の防空体制の不備を突かれた形となり、軍の面目は喪われた。報道機関に圧力をかけたものの、実際に爆弾が投下された国民の記憶を消し去ることは不可能だった。
一連の騒動の中、山本は、もはや迷っている時間はないと悟った。彼はある種の決断を下した。
──米国は戦争を止めるつもりはないようだ。帝国が受け身に回れば勝ち目はない。ならば……。
一九四二年四月二一日
ホワイトハウス コロンビア特別区
記者団から日本本土空襲についての質問が止むことはなかった。ある記者からの「爆撃機はどこから発進したのですか?」の問いに、ルーズヴェルトは不敵な笑みを浮かべてこう応える。
「彼らの発進地は『アルカディア』、だ」




