第二章・一千万の価値は
「うまくいけば、これで片が付いたかもしれないのに、〝次〟を考えねばならん。やはり、ハワイを獲らねば終わらないかな?」
山本五十六・聯合艦隊司令長官
一九四二年一月七日
聯合艦隊司令部 横須賀 神奈川県
マーシャル沖海戦での大勝後、山本五十六聯合艦隊司令長官の席が温まる暇はなかった。
まず、戦勝の報告をするために、天皇に拝謁した。天皇は海戦に勝利したことに対し、山本を慰労すると同時に、このことが米国との和平に繋がることを期待するお言葉をほのめかしていた。
次に、報道機関向けの談話を発信した。彼の言葉は大本営報道部と新聞社によって、いつのまにか本人の言の百倍は勇猛な文言に置き換えられていた。
翌日の新聞には「マーシャル沖に赫々の大戦果 見たかキンメルルーズベルト! 山本大将大いに語る」と題された見出しが躍り、流石の彼も苦笑せざるを得なかった。
年末には勝利の立役者たる第一機動艦隊が横須賀と呉に帰投した。彼は現地に足を運び、司令部や下士官兵たちを慰労するとともに、士気鼓舞のために訓示をおこなった。
年が明け、昭和十七年に入った。新年を迎えてからも内地では大勝利の興奮が止まず、このまま今次大戦の勝利は約束された、ように見えた。
・・・
山本はマーシャル沖海戦に関わる一連の行事を終え、司令部へと戻った。彼は、机の上の静寂がやけに重く感じられた。
しばらく放置したままの報告書の束を眺め、軽く息をつくと、上から順に読み始めた。
開戦から一月、マーシャル沖海戦は勿論、南方作戦も“概ね”順調に進展しているようである。頭痛の種はフィリピン方面だった。
敵将マッカーサーはコレヒドール要塞に籠り、籠城戦を仕掛けていた。海軍としては陸軍の勇戦に期待するしかなく、当面は基地航空隊で支援するので精一杯だった。
──しばらくは、陸軍の支援だなぁ……。
そんなことをぼんやりと考えながら報告書を捲っていた彼だが、ある項で手が止まった。それは開戦以来の損耗についての報告だった。
まず、マレー沖海戦での「扶桑」の喪失についてだった。多くの将兵と艦上機は回収できたものの、貴重な空母の喪失には違いなかった。
──二線級とはいえ、「扶桑」はまだまだ皇国に必要なフネだった……。
その他にも、参加艦艇の大小さまざまな損傷がみられた。彼は嘆息したが、そのこと自体に問題は感じていなかった。たしかに「扶桑」については心が痛んだが、海戦に損害はつきものであり、逆に「扶桑」以外に大きな損失が見られなかったのは僥倖だとも考えていた。
彼が戦慄を感じたのは、ふたつの報告だった。
ひとつは搭乗員の損耗率だった。“大勝”したにも関わらず、いや、大勝した故か、彼らの三割が喪われていた。山本は彼らの冥福を祈ると同時に、これからの戦いに肝を冷やしていた。
──第一段作戦の終了までに、どの程度の損害が出るのだろう? 搭乗員の錬成を拡大せねば、遅からず航空戦力が枯渇してしまう。その前にケリをつけねば。
同様に、燃料の消費量の問題もあった。この一月の戦いで、およそ160万キロリットルの重油を消費していた。バレルに換算すると、約一千万バレルである。
──このままの消費が続くと、南方作戦の終了までには備蓄分を使い潰してしまう。国内に残る燃料が無くなってしまうな。まぁ、それを避けるための南方作戦なのだが……。
陸軍は天長節までには作戦を完遂させると言っている。そうでなくては油が確保できない。あぁ、あそこからどのように油を運ぶかの手筈も整えておかねば……。
・・・
山本は報告書に目を通しながら、今後の──第一段作戦のその後について考えていた。
──中立国経由の情報によると、米国の世論は沸騰状態らしい、マーシャルで一撃を加えたのにも関わらず、彼らの戦意は旺盛だ。宣戦布告の通告が遅れた影響もあるのだろう。つくづく外務省も不味いことをしてくれたものだよ。
うまくいけば、これで片が付いたかもしれないのに、“次”を考えねばならん。やはり、ハワイを獲らねば終わらないかな?
実際、帝国内には“次の勝利”に対する過大な期待を海軍に抱いていた。新聞報道は「無敵皇軍」を喧伝し、国民はその言説に酔っている。海軍部内でも伏見宮元帥あたりが「次はハワイだろう」などと口にする始末だった。
そんな熱狂を、山本は醒めた眼で見ていた。
──実際、ハワイを攻略するには現状、搭乗員も燃料も足りない。それになにより、ハワイは遠すぎる。実現するにはミッドウェイかフィジー辺りを足掛かりにせねばならぬが、果たして帝国にそんな足腰はあるのだろうか……?
山本は米国に留学経験があり、彼の国の内情に詳しい、という自負もあった。米国の国力は強大で、だからこそ開戦には反対していたし、開戦が避けられないとなれば一撃で勝利するための策を編み出していた。
そしてそれはことごとく実現した。そのはずだった。米太平洋艦隊を撃滅し、当面の脅威は消えた。南方作戦が終わってしまえば帝国の勝利は確実なはずだった。
しかし、彼は米国の、アメリカ人の気質を見誤っていた。山本は、いや、帝国の誰人も「どこそこを落とせば勝利」「決戦に勝利すれば、彼らの戦意は萎える」と認識していた。
ところが現実は、アメリカ人は戦争へと傾倒していた。あれほど戦争を忌む世論だったにも関わらず、今は「キル・ジャップス」を叫び、若者は「アフター・コンテニュー・キンメル!」のスローガンの元、続々と軍に入隊していた。
戦前の想定とは真逆である。彼らは惰弱な、文明に浸りきった国民ではなかったのか?
山本自身はそのような与太話に与していなかったものの、どこかで同様の認識をしていたのかもしれない。
かつて山本は、知人に宛てた手紙にこう記した。「日米戦争になれば、グアム、フィリピンは勿論、ハワイ、サンフランシスコを陥れるだけでは足りず、ワシントンまで踏み込み、ホワイトハウスで講和を結ぶ覚悟がなければならぬ。果たしてその自信と覚悟が、今の政府にあるか」
これは本来、「ここまでやらねば米国には勝てない」という意味だったのだが、今の山本自身、かつて発した言葉を忘れかけていた。
今はひたすら、「戦場における連続勝利を重ねるしか手はない。それだけが米国に勝利する鍵だ」と思い込んでいた。
しかし、どこまでいけばその“勝利”になるのか、山本でさえ、その答えは見えていなかった。




