第四章・落日の帝国
「少し、独りにしてくれ……」
──ウィンストン・チャーチル・英国首相
一九四一年一二月八日
セレター軍港 シンガポール
「日本人が戦争を始めたそうだね」
参謀長に話しかけたのは、トム・フィリップス東洋艦隊司令長官だった。
「はい、すでにコタバルに上陸したとの情報と、合衆国アジア艦隊が壊滅したという伝聞です」
「そうか。彼らは中々強敵らしいね」
「はい、ですが」
参謀長は胸を反らし、続けた。
「我が新鋭空母『インドミタブル』と『フォーミタブル』を中心とした機動艦隊、それに護衛には『リパルス』がついています。日本の主力艦隊が合衆国太平洋艦隊を相手にせざるを得ない状況なら、シンガポールを守り通す自信はあります」
フィリップスはうなずいた。
「うん、そうだね。じゃぁ、ただちに出港し、陸軍部隊を助けに征くか」
「はい」
フィリップス率いる英東洋艦隊は、上記の空母二隻、巡洋戦艦一隻に加え、護衛の駆逐艦が四隻就いていた。彼女らは一斉に抜錨し、南シナ海を北上することとした。
同時刻 フィリピン北方 南シナ海
フィリピンを反時計回りに南シナ海へと進入した日本第三艦隊は、水上艦隊と合流しつつ南下していた。
水上艦隊には、「白根」型装甲巡洋艦二隻と「高雄」型重巡洋艦四隻が在籍していた。彼女たちが護衛に加わったことにより、第三艦隊の陣容は強化されたようにみえる。
「損害は二十三機か……、これで最終確認か?」
沈鬱そうな近藤に対し、参謀長が胸を張る。
「これだけで、米空母四隻を屠ったのです。大戦果ではないでしょうか?」
「うん、君の言う通りだ」
近藤は喪った搭乗員を想った。
一呼吸をし、気持ちを切り替えた近藤が尋ねる。
「では、現状の稼働機は?」
彼の問いに航空参謀が応えた。
「はい、補用の機体と修理可能な機体を合わせると、百四十八機です」
「よし、もう一合戦いけるな」
「はい」
「通信、英艦隊の動向はわかるか?」
「はい、諜報員からの報告によると、すでにセレターを出港したそうです」
近藤は右手に左拳を叩きつけた。
「よし、……どうやら、世界海戦史上初の空母戦になりそうだ。諸君、歴史に名を刻むぞ」
幕僚からは、次々と肯定的な返事が寄せられた。
近藤はさも満足そうにうなずいた。
“米艦隊相手には機先を制することができたが、英海軍にはどうだろうか?”
“俺の判断ひとつで、南方作戦の命運が変わる”
一九四一年一二月九日 払暁
シンガポール北方海上 南シナ海
格納庫では整備員たちが無言で作業を続けていた。完璧に仕上げられた機体から次々と飛行甲板に上げられていた。
やがて、英艦隊の二隻の空母から偵察機が放たれた。彼らは南シナ海北方を扇形に索敵し始める。
ほぼ同時刻、第三艦隊からも索敵機が放たれた。
二時間後、先に見つけたのは英海軍のソードフィッシュだった。英艦隊はただちに艦載機を発進させた。
しばらくの間、ソードフィッシュは触接を続けていたが、迎撃にあがった零戦により撃墜された。
「まだ見つけられんのか?」
近藤が尋ねる。
「はい、まだどの機体からも報告はありません」
“まずいな……”
「……よし、索敵攻撃隊を出そう」
「司令、それでは……」
「構わない。我が攻撃を受ける前に出せるものは出してしまおう」
「……了解です」
その結果、直掩を除く、百二十機が八群に別れて飛び立った。
彼らが見えなくなると同時に、英海軍からの攻撃隊が姿を現わした。
近藤は安堵と緊張を抱えつつ、指示を出す。
「迎撃せよ」
およそ六十機の英編隊は、対空砲火をかい潜り、第三艦隊に迫ってきた。装甲巡洋艦や重巡洋艦が盾となるが、彼らはそれらには目もくれず、空母に的を絞ってきた。
「回避自由」の号令と共に、各艦が「盆踊り」を始める。
対空砲により、次々と撃墜されるソードフィッシュ。それでも攻撃の手を緩めないのは、流石英国海軍だった。彼らは射点に到達すると、思い思いに魚雷を放った。
四隻の空母は、ほとんどの魚雷を回避する。安堵のため息が出そうになる次の瞬間、水柱があがった。
「扶桑」からだった。
“やられたか……”
行き足の衰えた「扶桑」に、もう一発命中した。徐々に傾斜する「扶桑」。
幕僚たちが状況把握に尽力している中、近藤は判断を下した。
「総員退艦も止むを得まい……」
さらに数時間後、索敵攻撃隊が英艦隊を発見できぬまま帰投した。
一九四一年一二月一〇日
マレー東方洋上 南シナ海
英艦隊の直掩が敵索敵機を発見した。ただちに追い払う。
「今のは陸上機に見えたが」
双眼鏡を構えたフィリップスが尋ねる。
「仏印にいる基地航空隊かもしれませんね」
航空参謀の言葉に、彼は顎をつまんだ。
「うん、最大のローテーションで直掩を組んでくれ」
「了解です」
“昨日は先制を獲れたが、今日は厳しい戦いを強いられそうだ”
間もなく日本の攻撃隊が見えた。シーファイアで迎撃するものの、零戦の集団に次々と討取られた。
二発の陸上機も低空で前進し、射点につく。
フィリップスはその姿を眼に焼き付けた。
“まるで、空中の匍匐前進だな……”
その見事な機動に感動しながら、彼は確信する。
“我々もまた、日本に敗れるというのだな”
僚艦が対空砲を浴びせる中、魚雷が投下されるのが見えた。
“しかし、史上初の空母同士の戦いで最初に戦果を挙げたのは我々だ。これは歴史に残るだろう”
……第三艦隊の攻撃隊が到着した時、洋上にあるのは漂泊している「リパルス」だけだった。
攻撃隊指揮官はどこか残念そうな顔をしながらも、「リパルス」に引導を渡した。
数時間後 日本第三艦隊
“搭乗員には苦労ばかりかけ、「扶桑」は喪われた。これで……”
「我々は、勝ったのかな?」
近藤のつぶやきに、参謀長が憤然と応えた。
「勿論、我々の勝利です。それに──」
彼は近藤を宥めるように続けた。
「南方作戦はまだ始まったばかりなのです。ここからが本番と言えます」
「……そうだな」
一九四一年一二月一〇日
ダウニング街一〇番地 ロンドン
「話は聞いた。フィリップス君については残念だった。うむ、そうか、わかった」
チャーチル首相は静かに受話器を置いた。
“これで、我が大英帝国は……”
彼はいつもの様に葉巻に火をつけようとしたが、手が震えていた。
秘書官が何事かを尋ねようとする。チャーチルはつぶやくように命じた。
「少し、独りにしてくれ……」
秘書官が執務室の扉を閉めた。しばらくすると、内部から嗚咽が聞こえてきた……。




