親友の好きなところを三つ発表しないと出られない部屋
自室で眠りに就いたはずだった。だというのに目を覚ましたら知らない場所にいる。やけに白が多い部屋だ。目の前の壁や床は白く、私が寝ていたベッドも白い。私が着ているパジャマだけはいつも通りの水色だ。
辺りを見渡す。警戒しながら、ゆっくりと。
右を見るともう一つベッドがあって、そこで誰かが眠っているのが見えた。すごく見覚えがある横顔だ。私の親友の舞が眠っている。
「舞、起きて」
ベッドから降りて舞の肩を揺すると、舞はすぐに目を覚ました。
部屋が眩しいのか眉間に皺をよせて、もぞもぞと動いてうつ伏せの体勢に移る。そして腰を丸め、体をゆっくりと起こしていく。舞の体を覆っていた布団が退けられて、中学生のときの体操服が現れた。
「……美緒? うん? なに、ここ」
舞は怪訝な顔で辺りを見渡した。髪を手で梳きながら周囲を確認している。まばたきの回数が多い。まだ眠気が残っているのだろう。
「自分の部屋で寝たはずなのにさ、何でかここにいたんだよね」
私がそう言うと、舞は目を伏せて何かを考え始めた。
その間に私は周囲の確認を再開する。私が寝ていたベッドの左側、今の私にとっての後ろ側はまだ確認していない。振り向いてみると、そこには白い扉と長文が書かれた看板があった。
親友の好きなところを三つ発表しないと出られない部屋。看板にはそう書かれている。
なにこれ、と思う。これは創作者界隈で有名な出られない部屋というものだろうか。看板に書かれたお題を達成しないと出ることができない部屋。それが出られない部屋だ。
「お題が健全だ……いや、そっちの方がありがたいんだけどさ」
一般的な出られない部屋と違って健全なお題に少し困惑する。私と舞は不健全なことをするような関係ではない。だから健全ならそれでいいんだけど、それでも一般的な出られない部屋からずれたお題に違和感を覚えた。
舞がベッドから降りて、私の隣に立つ。そして神妙な表情で言った。
「このお題を達成させないと帰れないんだよね……見たところ、この部屋には食べ物もトイレもない。早めにお題を達成させるのが理想だね」
「あー、そっか。食べ物がないのは我慢できるとして、トイレがないのはちょっとまずいね。万が一我慢できなかったら尊厳が死ぬ」
舞の言うことに納得しながら頷く。
その隣で舞は思い詰めたような表情で下を向いている。
「ねえ、美緒。このお題は簡単そうに見えるけどさ、結構難しいかも……」
「なんで? 私たちって親友レベルで仲いいじゃん。お互いの好きなところなら三つどころか百個は言えるでしょ」
私には舞がそこまで思い詰めている理由が分からなかった。
一瞬だけ、舞には私の好きなところなんて存在しないのではという考えが頭を過る。たった三つを言うのも難しいほどに、私の好きなところを見つけられないのではないか。そう思ってしまったのだ。その考えは舞の言葉で飛散したけど。
「確かに百個は言えるだろうね。だから難しいんだよ」
舞が私の好きなところを百個言えると肯定したことに安心する。でも、どうしてこのお題が難しいものになるのかはまだ分からなかった。
「美緒、考えてみてよ。たった三つを選ぶんだよ? 百個の中から、代表で三つ選ぶんだよ」
舞がベッドに座る。膝に置かれた手は少し強張っているようだ。
また舞の真面目さが顔を出したな。私はそれをなんとなく察した。
「私が美緒の好きなところを三つ発表したらさ、その三つが代表して好きなところと扱われるわけだよ。適当に選んだものだとしてもさ、美緒はその三つを特に覚えるでしょ? 百個の中から選んだ代表の三つとして」
私はようやく舞が言いたいことを理解した。舞は頭の回転が速い。それにすぐに気づいて、そして思い悩むくらいには。
「適当に選んだ三つを発表するんじゃ駄目だよ。百個の中から吟味して三つを選ばないと絶対に後悔するよ。これは長丁場になるだろうね……」
頭の回転は速いんだけど、少しずれている。食糧もトイレもない部屋に閉じ込められているこの状況でこだわりを見せるのは一般的に見れば変わっている方だろう。そんな舞だからこそ仲良くなろうと思ったんだけど。
幸い、今は切迫した状況ではない。ここは舞のこだわりに付き合おう。私としても、適当に選んだ三つが代表に選ばれるのは嫌だなって思い始めてるわけだし。
それから私たちはお互いの好きなところを吟味していった。
手入れが行き届いた髪がきれいなところ。切れ長の目がきれいなところ。爪の形がきれいなところ。真っすぐに伸びた姿勢がきれいなところ。それらを総称して、きれいなところが好きと言うこともできる。でもそれでは駄目だ。舞が持つきれいなところは、それぞれに違う色が宿っている。それを同じ色としてまとめてしまうのはなんか嫌だった。
しばらくの時が流れる。まだ舞の好きなところを代表する三つは決まっていない。
「もう一時間くらい経ってるよね。美緒は決まった?」
「ごめん。まだ一個」
「大丈夫。私は全く決まってない」
「難しいね」
「ほんとにね」
ブドウ糖が欲しい。こんなに頭を回転させたのは久しぶりだ。少し疲れてきた。紙もペンもないから考えをまとめることもできなくて、それがお題の難易度を上げている。
私のお腹から唸るような音が聞こえた。
「ごめん美緒……お腹空いたよね。できるだけ早く決められるように頑張るね」
私も早く決められるように頑張らないと。そう思っても、上手く働かなくなってきた頭では思い付かない。
ここは舞と相談しながら決めていく方がいいだろう。新しい発想には新しい風が必要だったりするわけだし。
「とりあえず、舞の好きなところ三選のうち一つは決まったんだよね。共感できるこだわりを持っていて、それを大事にしているところ」
「私もさっき一つ決まったよ。寛容だけど嫌なことは嫌ってはっきり言ってくれるところ」
これが代表する三つのうちの一つなのか。そう思うと、少し照れくさい気持ちだ。代表する三つというのは確かに印象に残る。これからもそうあれるように頑張ろうという思いも湧いてきて、これが適当に決められたものじゃなくてよかったと安心した。
「他にも舞は髪とか肌とかの手入れ頑張ってるし、姿勢もきれいじゃん? そこも好きなんだけど、頭の回転が速いとこも好きだし、悪ふざけはしないけどノリがいいとこも好きなんだよね。あと料理が上手で私に作るときはわざわざ私好みの味付けにしてくれるとこも好きかな。他にもたくさんあるから残り二つを決めるのが難しくてね」
代表する三つのために舞の好きなところを並べていく。これもきっと、舞の心の中に残るのだろう。それが舞の行動や思いを縛るようなものになってしまったら嫌だけど、いつかの日に舞を励ますものになればいいなと思う。
舞も私の好きなところを並べ始める。
「私も美緒の素直に人を褒めるところとか、運動神経が良くてかっこいいところとか憧れてて好きなんだけど、でも他にも」
舞の言葉が途中で止まった。細めていた目は今では大きく開かれている。その目の中の黒が泳ぐ。舞にも聞こえたのだろう。扉の方で鍵が開くような音が。私たちの静かな声よりもこの部屋に響いた、ガチャリという音が。
「え、嘘でしょ?」
「まって、え? 今の判定に入っちゃった?」
まさか。そう思う。
お題は親友の好きなところを三つ発表するというものだったはずだ。私たちはまだ発表したつもりはない。お互いに相談し合っていただけで。
扉の方に向けていた視線を看板に移す。お題をもう一度確認するためだった。看板を見て、私は思わず声を上げる。
「あっ」
その看板には、赤い文字でクリアと書かれていた。
その文字の意味を理解したくない。だけど理解してしまう。お題が達成されて、扉が開いたのだと私は理解する。
舞も看板に気付いたらしい。力が込められたような目に涙が溜まっていく。眉は寄せられ、薄く開いた口から困惑したような声が断片的にこぼれた。
私たちはこの部屋を観察しているであろう誰かに向かって同時に叫んだ。
「やり直しを要求します!」「やり直させてください!」
返答はない。鍵が再び閉まる音も聞こえない。この白ばかりの部屋で、赤い文字は変わらず目立っている。
最悪な気分だ。どうしてこんなことになってしまったのだろう。どうしてこんなことをしてしまったのだろうか。私は罪悪感で涙を流した。
「舞、ごめん……私のせいだ」
二人で話せばすぐに残りの二つが決まる。そう思って舞と話し合った。それがこんな結果に繋がるなんて思っていなかったのだ。私のせいでこの一時間が無駄なものになってしまった。
私はなんてことをしてしまったのだろう。自分の顔を叩きたい。
「美緒は何も悪くないよ。むしろこんな長い時間私のわがままに付き合ってくれてありがとうだよ」
そう言う舞の頬も涙で濡れていた。悔しい思いが募る。申し訳ない思いも溢れてくる。
舞が立ち上がり、私の腕を引く。私も立ち上がって、そのまま舞と扉の方に向かった。
舞が扉を開ける。
「開いたね」
「……うん」
真っ黒な扉の外に一歩踏み出す。その瞬間に思考に霧がかかり、私はそのまま倒れた。
そして目を覚ます。視界に映るのは見知った部屋だ。自室のベッドで私は涙を流している。
「夢……」
今までのことは夢だったらしい。とても悲しい夢だった。そして妙にリアルな夢だった。
私の顔の横でスマートフォンが音楽を鳴らす。目覚ましの音楽ではない。これは着信音だ。
画面を確認すると、舞の名前が表示されている。
私はすぐに起き上がって、電話に出た。
「もしもし」
「あ、美緒? ごめんね。朝早くに」
「うん。大丈夫」
夢の内容を引きずっているせいで、いつもより緊張した声が出る。そんな私に、舞はいつも通りの穏やかな声で言った。
「私さ、変なところで自分のこだわりを出したりするじゃん? でも美緒はさ、それに全力で付き合ってくれるよね。そこが二つ目の好きなところかな」
これはどういうことだろう。なんでこの現実で舞がそういうことを言うのだろうか。
困惑して何も言えないでいると、舞が話を続ける。
「三つ目はまだ考え中。でも絶対に言うから待ってて」
私はまた泣きそうになった。不安や自分に対する怒りが解けて消えていく。
「あ、ごめんね。突然変なこと言って……なんか変な夢、見ちゃってさ」
「私も二つ目が決まったよ。いま決まった」
萎むように小さくなっていく舞の声に、私は思い切って声を出した。思い切りすぎて大きい声になってしまったけど。
息を整え、自分の心臓が脈打つのを感じながら告げる。
「私もね、さっきのことは夢だって思ってた。だから舞に言っても困らせるだけだって思って隠すつもりだった。でも舞はこうして電話してくれて……おかげで安心できたよ。躊躇うことなく行動して、いつも私を助けてくれるとこが好きだよ。これが私の二つ目」
あの部屋では決めることができずに夢から覚めてしまった。だけど今、こうして舞に伝えることができている。
「私も三つ目はまだ決まってないけど、決まったら言うよ。夢の中では失敗しちゃったけど、舞がこうして電話してくれたおかげでリベンジできるわけだし」
スマートフォンから舞の嬉しそうな声が聞こえる。
あの夢は本当に最悪な夢だった。発表することがお題だったのに、発表してないのにクリア扱いしてきたし。私たちのこだわりはそれのせいで台無しにされた。
でも、良い経験ではあったかな。
「じゃあ、また学校で」
「うん。またね」
通話を切って、スマートフォンをそっとベッドに置く。暗かった気持ちはすっかり晴れた。
顔を洗って涙を水に流そう。もう泣く必要はないのだから。
自室を出て、洗面所に向かう。親友の舞の好きなところを百個の中から吟味しながら蛇口を捻った。




