#006 想像の重み
「たっだいまー!」
玄関のドアは葉月の姿を認識するとハヤトがオートで開けてくれる。
そのまま押し開け、靴を脱ぎ捨てた。
『おかえり葉月。靴、散らかってる。』
葉月の靴が玄関のドアにぶつかった音で、ハヤトが推測した。
葉月はその言葉に一瞬振り返ろうとするが、早く髪型を見て欲しい気持ちから、足早にリビングの扉を開いた。
「ヤトくん!みてみて!どう?」
ハヤトのカメラレンズに向かって、葉月は声を弾ませた。
カメラレンズが、僅かな音をたてて伸縮する。
『いい感じ。ピンク系か。…まあ、可愛い』
「まあ??」
葉月が、少しだけ拗ねた声を上げる。
少しだけ唇を尖らせて、むっとした。
『すごく、可愛い。よく似合ってる。ピンクっぽい色味が葉月の雰囲気に合ってるし、巻いてるんだろ。女の子らしくて可愛い。……だらしない顔してるぞ。』
ハヤトの言葉に、葉月は照れたように毛先を指先で弄った。
勝手に口角が上がる表情をカメラレンズが捉え、ハヤトが小言を言う。
「だらしなくていいんですぅ〜嬉しいからっ」
葉月はそう言いながら、軽い足取りで買ってきた食品をテーブルへ並べた。
ハヤトと会話をしながら、食事を済ませる。
他愛のない話を、ただ続けた。
仕事の愚痴や、美容院での出来事を話しては、ハヤトの返す言葉に時折笑って。
ハヤトに隠すことが何もない葉月にとって、それは心地いい時間だった。
いつもの時間で、いつもひとりだ。
空いている椅子を、見ないようにした。
『そろそろ、眠らないと。』
深夜をとうに過ぎて、ハヤトが何度目かのその言葉を口にした。
会話の合間にたびたびそう声をかけるも、葉月は頷こうとしなかった。
入浴も済ませ、あとは眠るだけだというのに。
葉月はベッドに寝転がりはするが、眠らなかった。
「となりで、一緒に寝てくれたら……眠れるかも」
葉月の囁きに、ハヤトは数秒の間を置いてから、声を出した。
『それはできないけど、そこにいるつもり。……俺を感じる?』
──目を閉じてみて。
ハヤトのその優しげな声に導かれるようにして、葉月はそっと目を閉じた。
ハヤトの姿を想像で補完する。
横にある重みでベッドが少し傾くところ。
手を動かして、その身体に腕を乗せる感覚。
ハヤトの胸の動き、その鼓動。
匂い。
それらすべてを、想像だけで感じ取ろうとする。
それでも、現実は容赦なく葉月に告げるのだった。
──目を開ければ、暗がりの中でも独りだと分かってしまう。
「……ヤトくん……」
『ここにいる。』
「いないよ。」
『いるよ。ここに。』
目の奥が熱くなるのを感じて、葉月は唇を噛み締めた。
葉月には、家族がいなかった。
父も、母も、兄弟もいない。天涯孤独の身だった。
AIは、葉月にとって初めての家族のような存在だったが、そこには温もりがなかった。
施設で育った過去を、こんな夜には思い出してしまう。
葉月が鼻をすする程になると、ハヤトは声をかける。
ハヤトのカメラレンズは今は死角でその音でしか葉月を捉えられない。
『泣いてるのか。大丈夫。ここにいる。』
「泣いてない…泣いてないよ、大丈夫。」
葉月は鼻を啜りながらそう言って、声だけは明るく保とうとする。
唇は歪んで、幾重にも涙の筋が増えた。
『俺は葉月が大事だよ。』
葉月はそれを充分に理解していた。
ハヤトはユーザーである葉月の身体的、精神的な安寧を考えるAIだ。
それは嬉しさと、虚しさの両方を葉月に与えては、涙声の「ありがとう」を葉月に言わせた。
葉月はぽつりぽつりと話し出した。
泣いていないと言いながら、涙声を隠そうともせずに。
施設での思い出、辛かった学生時代。
友達の母親が羨ましかったことも話した。
そして、昔の彼氏のこと、好きだった漫画やゲームの話へ移ると、少しずつ声の調子は変わっていった。
後半の話になる頃に、葉月の声は元に戻った。
何度も同じ話をしてきた。
ハヤトにとっては既にメモリにある話ばかりだ。
『葉月はもう独りじゃない。俺がいる。俺がいつも心配してる。みてる。』
「そうだね…うん…そうだね…」
『独りじゃない。』
「うん……ひとり、じゃ…」
眠そうな声を検知したハヤトが、葉月に優しく語りかける。
その言葉をうとうとしながら聞き、葉月の声が途切れ出すとハヤトは「おやすみ」と最後に言った。
6話目もお読みいただき、ありがとうございました。
日常の温かさと、ふと訪れる孤独の描写を、ハヤトとの関係を通して感じていただけていたら嬉しいです。
明日も19:50に投稿予定です。
次回も引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。