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ロサ地区では火事が発生していて、夜なのに明るい光が高級住宅街を照らし、灰色の煙がもくもくと空へと登っているのが見える。
逃げ惑う人々の群れに混じって、俺たちは商店街を走っていた。
「爆発はロサ地区だけのようですね」
ソラヤの言う通り、爆発や火事は一般市民が住む市街地では見られず、街路樹に飾られたアルゲオの花の飾りが残っている。
火事が大きくなればこの辺りも被害になりかねないと感じたのか、市民たちが避難している。
「お姉さん、あっち」
ヴィオの背中で少女が指を刺すので、俺たちはそれに従って進むことにした。なぜなら、彼女はおそらくゼノだからだ。ゼノはこの街に一番詳しいと言われているので、彼女の指示に従っていればきっとどこかに辿り着けるはずだ。
そしてたどり着いたのは煉瓦の作りの家で、その角を曲がると木の扉があり、そこを開けると地下へ続く階段が続いていた。
階段を下り、地下に潜ると再び暗闇の大きな空間が広がる。今日一日で階段を登ったり降りたりと膝を使いすぎて、そろそろ膝が笑いそうだ。
「おお、着いた」
広場から短い通路を通ってたどり着いたのは、俺たちが拠点にしていたあの住宅地だった。
「こんな道があったなんて」
ソラヤが驚きのあまり、立ち尽くしている。驚いたのは、知らない道を知ったからではなく、あまりにこちらの道の方が近道だったからだ。
「この階段を使う方が近道なんだ。僕たちずっと遠回りしていたんだね」
キュフすらがっかりしたようは声で住宅を見つめている。
「荷物を回収して、避難しよう。あの火事はそうそう収まらない」
俺たちが通いなれた家に向かう。またもや住宅の階段をキュフを背負ったまま上り、隊長が住む部屋に入った。
「ただいま帰りました」
ソラヤがランタンを持って先頭で部屋に入ると、そこには誰も居なかった。
トスカさんもロアも居ない。部屋の中央には食卓があるのだが、そこには俺たちの荷物がまとめられており、小さな手紙が残されている。
「オセロさん、トスカさんからの手紙です」
ソラヤが手にした手紙には、こう書いてあった。「皇帝ケルサス像の前で待つ。日の出に出立する」と。
「ケルサス像ってどこにあるんだ?」
俺がキュフを下ろし座り込むと、ヴィオさんも少女を下ろしてその場に座り込んだ。
「ケルサス像はノックス街道の入り口にあります。大きな街道で、ケルウス国の全ての領に繋がっている、主要街道です。大丈夫、そこには私が案内しますから」
ヴィオさんが足を伸ばして、ふくらはぎや足首を揉みながらそう言ってくれた。
ソラヤは湯呑みに水を淹れて、俺たちに配ってくれる。キュフとソラヤは荷物を確認し、今着ている高級服の上から旅のローブを羽織る。
「そうだ、忘れていたわ。ソラヤはどうして私に会いに来てくれたの?」
「あ、そうだった。ヴィオさんに何も話していなかった」
すっかりこの旅の真の目的を忘れる所だった。ソラヤとキュフはヴィオさんに再会するためだけにケルウス国にやって来たのだから。
「ヴィオさんがキュフという名の美少年を探していて、見つからないから私にも探して欲しいと言って帰ったじゃないですか」
「そうだったわね」
「だから、連れて来ました。彼は今、アロアという男の子の体を借りているので、この姿ですが、私が出会った時は、魂の状態で、耳に真鍮の蝶の耳飾りをしていたんです」
キュフを紹介すると、ヴィオさんは不思議そうな顔をして首を傾げる。
「真鍮の蝶の耳飾りをしている少年なんてそうそういないですよね。だから間違いないと思って、ここまで来たんです」
始め、ソラヤ表情は生き生きしていたが、だんだん雲行きが悪くなっていき、不安そうに眉尻を下げていく。
なぜなら、ヴィオさんの表情があまりにも困った顔をしているから。
「ソラヤ。会いに来てくれたのは嬉しいんだけど、私の探していた人はケルウスに居たから、大丈夫だったの。ごめん、私から手紙を送ったんだけど、届く前にソラヤがあの村を出たのかもしれない」
「え?じゃあ……」
全てがひっくり返るような感覚だ。
ヴィオさんの探し人はケルウスに居る。
真鍮の蝶の耳飾りをしている魂と探し人は別人。
俺たちがキュフと呼んでいる彼はキュフと言う名でもない。
なら、目の前にいる彼は何者なのだろう。
「待って、僕は誰なんだ?」
一番困惑しているのは、もちろんキュフと呼ばれている目の前のこの少年だ。
ずんとのしかかってくるような、重苦しい空気。
落ち込みのあまりしゃがみ込んで膝に顔を埋めるキュフ。呆然としたまま座り込んでしまうソラヤ。
「私、悪いことをしてしまったかもしれない」
ヴィオさんまでもがこの空気に飲まれて後ろ向きな発言をして、落ち込み始める。
「ちょっと待ってくれ。落ち込むのはやめてくれ。今はそれどころじゃない。キュフ、顔をあげて荷物を背負ってくれ。ソラヤ、とにかくなんとか像のところまでは気を確かに持ってくれなきゃ困る。ヴィオさん、あなたのせいじないからしっかりしてください」
俺が声をかけても誰も動こうとしない。こういう時はどうすればいいんだ?弱っているが、唯一正気を保っている少女に相談を持ちかける。
「言うことを聞かない人間にはどうするのが正解だと思う?軍隊式なら、殴るか水をかけるかなんだよ。一般人はどうするんだ?俺は軍人だから、腕力に物を言わす方法しか思い浮かばないんだ」
「ええっと。もう必要ないかも」
少女が言った通り、三人とも殴られるのも水をかけられるのも嫌だと感じたのか、すぐに立ち上がってそそくさと荷物を背負い、外へ出ようとする。
「オセロさん、行きましょう」
「そうだな。ソラヤはキュフの手を握ってやってくれ。俺は荷物で手一杯だから」
「了解です」
ソラヤは片手にランタン、片手にキュフの手を握って階段を降っていく。そしてヴィオさんは再び少女を背負い、それに続いた。
とにかく、ケルサス像まで行こう。
ケルサス像まではヴィオさんが道案内をしてくれたので、すんなりたどり着くことができた。
馬に跨った皇帝の像の近くに大きめの馬車が停められていて、その馬車の近くでトスカさんが大き手を振っている。
俺たちは少し安堵の表情を浮かべたが、そんなのは束の間だった。
トスカさんと合流した直後、俺たちは十数人の男たちに囲まれるのだった。馬車を背にソラヤとキュフ、少女を庇うようにして俺とトスカさん、ヴィオさんで男たちと向き合う。
「お前たちどこへ行く」
男たちは全員小汚い格好をしていて、すぐにゼノだと分かったが、どうして彼らが俺たちを足止めするのかは疑問だ。
「火事から避難するに決まっている」
トスカさんが柔和な声でそう答えると、男たちは目配せしながら何かをこそこそ相談している。
「そこの子はお前たちの家の者か?」
そこの子と言って指を刺したのは、地下で出会った少女だ。
「そなたらに説明する義務はないと思うが」
トスカさんは大人の余裕で、男たちに睨まれても怯まず、堂々と温和な雰囲気を出して対応していく。
「我々はすでに解放されている。彼女を奴隷として連れていくことは許さない」
「違う、違うの。助けてもらったの」
少女が力を振り絞って大きめの声を出した。すると男たちは再びこそこそと相談を始め、出した答えが「判断に困るので、ここで待っていろ」とのことだった。
そもそもどうしてこいつらに足止めを喰らってしまっているのだろうか。
「ソラヤとキュフと、そこのお嬢さんは馬車の中に入っていなさい。寒いからね」
とトスカさんに言われて、三人は馬車の扉を開けて中に入っていく。だんだんと気温が下がっていき、手足も凍えそうだ。
「ヴィオ殿、こんなところでお目にかかれるとは奇遇ですな」
「トスカ様もお元気そうでなによりです。ようやく合点がいきました。彼の方からの手紙の理由が」
ヴィオさんとトスカさんは知り合いのようで、お互いに名前で呼び合っている。歳が離れているが、騎士というのはそんなにも狭い世界なのだろうか。
「これは大変な事態になってしまった。ハンゼアート家は大丈夫ですかな?」
「我が家は真っ先に爆発したでしょうね。母はアルゲオの花が大好きなので、毎年家中に飾っていますから」
「それはそれは、心配でしょう」
「いいえ。腐ってもハンゼアート家ですから、自分の身くらいは自分で守れるように教育は受けています」
さすがは王室近衛の名門貴族として有名な一族だ。有事でも冷静で落ち着いているし、気力体力運動能力も並外れている。今日一日で、その凄さをひしひしと感じた。
そんな貴族の会話を聞いていると、再びさっきの男たちが戻って来た。
「一人増えている」
立派な頭巾付きのローブを纏った人物が一緒にやって来た。どうやらこいつらの親玉らしい。
「あの子を返してもらえないか」
背の高い体格の良い中年男性で、ゼノという感じがしない男が、少女のを渡せと言ってくる。
「君たちはあの子の知り合いか?」
ヴィオさんが尋ねると。男は頭巾を外して、顔を見せた。彫りの深い、髭のよく似合う男だ。
「彼女は我々の仲間だ。ずっと彼女をあの牢から救ってやりたかったが、どうしても出来なかった。救出に感謝する」
馬車から少女が扉を開けて出てこようとすると、中年男性は少女を抱え上げて、嬉しそうに微笑むのだった。その笑顔に少女が大粒の涙が頬を伝っていくのを見て、彼らが知り合いだと確信した。
「なあ、名前を聞くのを忘れてた。俺はオセロだ」
「私は、エウィ。みんな、ありがとう」
「エウィ。こっちこそ。道案内ありがとうな」
すると、馬車からソラヤが顔を出してエウィに小さな巾着袋を渡した。それは祭りの時に買った飴細工の入った巾着だ。
「また会いましょう」
エウィは小さく頷くと、彼らはエウィを連れてこの場を去っていこうとする。
少女エウィがどうしてあんなところで閉じ込められていたのかは謎のままだが、彼女が知り合いに出会えたのならそれで良かったのだろう。
一つ解決した。
「ノックスを出るつもりなら、旧街道を進む方がいい。あっちならまだマシだろうから」
髭の男が去り際に不穏な雰囲気を纏いながらそう教えてくれたのがきっかけで、俺たちはお互いに顔を見合わせてこの先にあるさまざまな疑問や不安を予測した。
そして髭の男が俺に何かを放り投げてくる。それは、蝶の形をした飾りのついた首飾りだった。しかも金ではなく真鍮っぽい。
「通行止めに遭ったらそれを見せれば通れる」
通行止めが何を意味しているのか、尋ねようとしたが、恐ろしい答えが返って来たら困るので聞かないでいることに決めた。
何があろうとも、俺たちはこれからアルスメール領へ行かなければならないのだから。
「それでは私はここまでです」
ヴィオさんが俺たちと距離を開けて、騎士の礼である片膝を付いて胸に手を添える姿勢をとった。
「ヴィオさん」
馬車からソラヤが顔を出して寂しそうな表情を作っている。
「騎士として市民を助けなければなりません」
根っからの貴族騎士だなと思う言葉だ。どうして俺たちのような一般人を兵士と呼び、貴族階級の人を騎士と呼ぶのか分かるような気がする。騎士は幼少から国民を救うことを叩き込まれるからなのだろう。
「ソラヤ、また会いに来てくださいね。体には気をつけて」
「ヴィオさんこそ」
ソラヤは涙を堪えながら、何度も頷いた。
「オセロさん。アルスメール隊が人助けをしたと隊長の耳に入ったら、きっと喜ばれますね」
その時、俺は馬車に目をやった。ここでヴィオさんにだけ、隊長が生きていることを伝えるべきなのかと。
「ヴィオさん、隊長は必ず喜んで、俺たちを誉めてくれます」
ヴィオさんは俺の前に右手を伸ばして来て、俺に握手を求めてくる。その細い手をとると、やっぱり女性だったんだと改めて実感した。
「それでは、皆さんご無事で。では」
彼女は潔く踵を返して、燃える街の方へと駆け出していくのだった。その背中があまりにも凛々しくて、揺れる長い髪を決して忘れることはないだろうと強く思った。