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街路樹が次々に破裂していく。木が倒れたり、枝が飛んでくる。爆発音が避難する人たちの足を止め、爆風で突き飛ばされるように倒れていく人々。悲鳴は止むことがなく、助けを呼ぶ声がそこら中から聞こえるが、誰も彼も人助けをする余裕なんてない。
ヴィオリーナ・ハンゼアートは悲鳴を上げることもなく、状況を観察しながら俺たちを誘導していく。よく見れば彼女は王族の近衛騎士の制服を外套の下に来ていた。
「爆発はここだけではないかもしれませんね」
噴水広場から近くにある建物の柱の影に隠れながら、様子を伺うことにした。ヴィオリーナ嬢が辺りを見渡し、状況を確認しているようだ。
「ヴィオリーナさん、この街の土地勘はありますか?」
俺が貴族に対するちゃんとした物言いで尋ねると、ソラヤとキュフは不思議そうな顔で俺を見つめてくる。彼女は上流貴族で、騎士階級も俺なんかとは比べ物にならないくらい上なんだから、敬語は当たり前だ。
「私はここで生まれ育っていますので、地下道すら知っています。しかし、安易に動くのは得策では無いようです。あの、お名前をお聞きしても構いませんか?」
「名前はオセロ。以前はアルスメール隊に所属していました」
ヴィオリーナ嬢は目を丸くして「なんだ、仲間だったんですね」と少し白い歯を見せて笑った。
「オセロさん、私のことはヴィオと呼んでください。事情を色々伺いたいですが、また後にしましょう。とりあえずこの場を離れる道を探してみますので、ここで待っていてください」
ヴィオさんが民家の細路地を通って周辺を確認するため俺たちから離れる。歩き方、行動力、状況判断など、全てがまさしく騎士のそれだった。
「オ兄さん。どうしよう。アロアの体が震え始めてる。たくさんの人が亡くなってるみたい」
キュフが両腕で自分の体を抱きしめながら、苦しそうにそう訴える。ソラヤがキュフを抱きしめ、キュフに歌うなと伝える。
「誰かが爆発を起こしているんだとしたら、見つかってはいけない」
爆発箇所は多くて、確実にこれは無差別に人を殺そうとしている。
目の前でアルゲオの花の飾りが無惨に地面に転がって、祭りの楽しさなど夢だったかのようだ。
「騎士が助けに来てくれるんじゃないのか?」
ここは王のお膝元で騎士などすぐに派兵する事ができるはずなのに、この混乱の中、騎士や兵士の姿をヴィオさん以外にまだ見ていない。
「オセロさん、とりあえず移動しましょう。ついて来てください」
爆発音の中、ヴィオさんが戻って来て俺たちについてくるように伝えるが、キュフが歩けそうに無い。ルシオラは死者を弔うという本能を持っているので、死人に体がよばれているのだろう。しかし身を守るためには死者の元に駆けて行ってはいけない。体の中で葛藤するせいで、体が動かないようだ。
俺はキュフを背負うことにした。
「キュフ、俺の背中から落ちるなよ」
「オ兄さん。ごめん」
急に背から降りて走り出されても困るので、ソラヤを後ろからついて来てもらうように頼み、俺たちはヴィオの案内に従って物陰に隠れながら進んでいく。
さっき俺たちが身を隠していた場所が爆発した。その光景に呼吸が止まったのは俺だけでは無い。全員が奥歯を噛み締めて無理やり前を向いた。
「何が爆発してるんだ?」
「おそらく、紙で出来たアルゲオの花ではないでしょうか」
ヴィオさんが生垣の隙間から見えるお祭りの飾りを指差した。七角形の花を模した紙の飾りで、その飾りが何かのカラクリで爆発しているという。
俺たちが走ってその飾りから距離を取ると、予想した通りその花が小さく爆発するのが見えた。
「ヴィオさん、あの飾りって街中に……」
ソラヤが震える声でヴィオに尋ねる。
「そう、だから地下に行きましょう」
頭上で小さな爆発が発生し、屋根が目の前に落ちてくると、さすがのヴィオさんも小さな悲鳴を上げた。
落ちて来た屋根を乗り越え、俺たちは地下へと繋がる階段の前にやってきた。ここはゼノの通用路なのだろう。
「地下は比較的安全かと思います。しかし灯りが無いので迷子になるかもしれませんが、ひとまず−−」
「ヴィオさん、私、ランタンを持っています。ちゃんと無くしていません」
ソラヤが鞄の中に入っているランタンを指差すと、ヴィオさんは「そうだったわね」とソラヤの手を取って喜んだ。
ソラヤのランタンを片手に俺たちは地下へ。
ソラヤのランタンを照らしながら降っていく階段の途中で、全員の足が止まった。ヴィオさんはソラヤにランタンを隠すように伝えると、辺りは一面暗闇に包まれる。
遠くから聞こえるパタパタという複数の足音。階段はあと数段で終わるという所だったのだが、俺たちはその場に息を殺して闇に同化し、耳を側立てた。
「急げ、馬車が出る。キュフ様ももう王宮を離れてるんだから、取り残される」
声は十代前半の少年のようで、足音は四、五人といったところだろうか。
「もう、二人がぐずぐずしているから、遅れちゃったんだよ」
今度はかなり幼い少女だ。
「だって、あの子が見つからなかったんだから仕方ないだろう」
三人目は少し年上の少年。
「ゼノのくせに道に迷って辿り着けないってどういう事だよ。諦めるしかないね。ほら、急いで」
四人目は大人っぽい雰囲気の少女。
おそらく四人組の子ども達が急足で階段の前を通り過ぎていく。急いでいるせいなのか、こちらの気配を感じることはなく、あっさり通り過ぎてくれた。
「ゼノも逃げているようですね」
ヴィオさんがそう言うと、俺たちはようやく止めていた呼吸を再開できた。
「誰かを探しているような話をしていました」
ソラヤが再びランタンを服の下から出して来て、辺りを照らすと、そこには石畳の広場が広がっていた。
「彼らの足音を追いかけていったら出口に辿り着けるんじゃないか?なあ?」
俺は背中で震えているキュフに声をかけると、キュフは俺の頸に顔を埋めながら右方向に指を刺す。
「確かにあの道は最短で外に出られる道につながっていますが、私たちがゼノに見つかって大丈夫なのでしょうか」
「ヴィオさん、それはどう言う意味?」
俺が首を傾げながら聞き返すと、ヴィオさんは真剣な表情でこう答えた。
「この爆発はゼノが起こしたものだと思うんです」
「どうして?」
ソラヤの動揺も分かる。ゼノは奴隷のように扱われて来たことは確かだが、この数百年間反乱などを起こしたことはないはずだ。
「理由ははっきりしませんが、ゼノは今も魔法が使えるというのを聞いた事があります。紙の花を爆発させる事ができるのは魔法使いぐらいでしょう」
大罪人エアルの生きていた時代ではこの世界に魔法というものが溢れかえって、誰も彼もが魔法を使い、世の中は便利で自由だったと聞いた事がある。
実際に魔法という超常現象を使わなければ作れないような建造物や、工芸品、植物などが存在するのは確かだ。
しかしある時を境に人々は魔法が使えなくなり、一気に文明は退化し、人類は貧しくなっていった。現代に魔法使いなんて御伽話の中にしか存在しないと思っていた。
「迂回路があるので、私たちはそちらから行こうと思うのですが、いいですか?」
ヴィオさんが指を刺したのは、キュフが指を刺した方とは反対側で、俺たちは最初からヴィオさんに付いていくことを決めているので、異論などなく左側から出口を目指すことになった。
広場から細い路地に進み、何度目かの角を曲がった時、キュフが急に俺の脇腹を足で叩き始めた。
「痛い。なんだよ急に」
「オ兄さん。一つ前の角に戻って」
「なんで」
「呼吸が聞こえたんだ」
「はあ?呼吸」
ソラヤが先に引き返すので、その光につられるように俺とヴィオさんもソラヤを追いかける。
数十歩前の角は丁字路で反対側の道を進むと、行き止まりの壁が現れたが、足元に腰くらいまでの高さの鉄格子が嵌められていて、ソラヤがしゃがみ込んで鉄格子の中を覗き見る。
「誰かいますか?」
「ソラヤ、大声を出すな」
「でも、誰かが居るようです」
ランタンの光で鉄格子の奥を照らすと、微かに物体の影が見えるような気がする。しかし部屋が広すぎて光が奥まで届いていないので、はっきり見えない。
「この部屋が奥行きありすぎて分からないな。この鉄格子が無ければ入れるのに」
「道を開けてください。何とかします」
何とかすると言ったのは、もちろんこの国の騎士様、ヴィオリーナ・ハンゼアートだ。
俺たちが道を譲ると、ヴィオさんは格子を触ったり引っ張ったりして何かを調べると、そして勢いよくガンガンと鉄格子を力強く蹴り始めた。
「おいおい嘘だろう。鉄を蹴り破るおつもりで?」
「オセロさんも協力してください。アルスメール隊の人間なら足腰が丈夫なはずです」
無茶苦茶だ。俺は除隊して今や、ただの安価の傭兵だ。
「上官に命令されれば仕方ない」
俺はキュフを背中から下ろすと、ヴィオさんの隣で鉄格子を蹴り始める。硬い。足の裏が痛い。
「この鉄格子は枠に嵌め込んでいるだけなので、きっとそろそろ抜けますよ。せーの」
ヴィオさんの言う通り、鉄格子が抜け飛んで、足元が開通された。
ソラヤがすかさず中に潜り込んで、人影に方に向かって駆け寄ると、俺たちに向かって大声で呼びかけた。
「やっぱり人でした。ぐったりしてます」
「オセロさんは彼を背負ってください。私があの子を保護しますので」
ヴィオさんが室内に入っていくと、ソラヤと合流し、中で横たわっていた人を背負い、こちらに向かって走ってくる。
「なぜ走ってくるんだ?」
「オ兄さん。静かに。誰か来る」
キュフが俺の服の裾をひっぱり、口を閉じるように言う。ソラヤとヴィオさんが戻ってくると鉄格子を回収して、再び壁の下部に嵌め込む。そしてランタンを隠し息を殺して、ゆっくり丁字路まで戻った。
「どこにもいないぞ、どこに逃げた」
「ゼノたちが連れていったんじゃないか?」
中年の男らしき二人組の声が聞こえてくる。あの部屋にいたこの子を探しているらしい。
「なんて報告するんだよ」
「死んでいたと言えばいいだろう。どうせ、あの人が葬儀をするわけでもあるまいし。公共葬儀場に連れていったことにすればいい」
「それもそうだな。今日は死人だらけだから、分からないよな」
洞窟のようになっているせいか、それとも何かしらの魔法なのか、あの男たちの声がここにまで聞こえてくる。
足音が完全に聞こえなくなるまで身を潜めた。
「ねえ、大丈夫?」
ソラヤがぐったりしている目の前の子どもに優しく呼びかけると、小さく頷いて「うん、大丈夫」と答えた。
少女だ。受け答えが出来るというだけで少し安心する。ランタンの光で確認できるのは血を流したりはしていないということと、かなり痩せ細っているということだ。
「どうしてこんなところに入れられていたのかしら」
ヴィオさんが少女の腕や足に怪我がないか確認しながら尋ねると、少女は「分からない」と小さく答えた。
「こんなところに置いていくわけにも行かないから、私たちに付いて来てもらいます。心配しないで、私たち悪い人間ではないから」
ヴィオさんの言う悪い人間というのは誰のことなのかは分からないが、とりあえず少女一人を残して行くわけにも行かないので、連れていくことになった。
そして俺たちは先を急ぐ。
「もう少しで出口に辿り着くと思います」
ヴィオさんは女性なのに人を一人背負っていても足取りは変わらず、ずっと軽快なままだ。
何度目かの角を曲がると、地上へと登っていく階段が見えた。きっとここから外へ出る事ができる。しかし地上は安全なのだろうか。
階段は螺旋状になっていて見上げても出口は見えない。
「ヴィオさん、この地下は首都のどこにでも繋がっているんですか?」
ソラヤがランタンを顔の近くで持ちながら質問する。
「繋がっているらしいのですが、私はここまでしか道を知らないのです」
「私たちが身を寄せていた住宅地みたいなところまで行ければいいんですが」
隊長が寝起きしているあの廃墟に辿り着けるなら、トスカさんとも合流ができて安全な場所に避難する事ができるかもしれない。それに問題はこの子だ。
ヴィオさんの背中にいる捕らえられていた少女。十代前半の若い少女で、おそらくゼノだと思われた。しかしどうしてゼノが地下に閉じ込められていたのかは謎のまま。
「私では分からないので、とりあえず外に出てみましょう」
一旦地上に出て状況を把握することになった。自分たちが今どこにいて、市街地ではどうなっているのか確認する。状況把握は兵士騎士の基本行動の一つである。
「オセロさん。人を背負って階段を登るなんて、訓練を思い出しませんか?」
階段を登りながらヴィオさんが楽しそうな声でそう言った。
「確かに。俺は隊長を背負ってあの魔の階段を登ったこともありますよ」
懐かしい。隊員同士の交流を含めていたのかもしれないが、新人が入隊してくると必ず、人を背負って階段や坂を登らされたものだ。
「アルスメール隊長を背負えるなんて羨ましい。私も背負いたかったです」
「良いことなんて無いですよ。隊長はずっと背中でケラケラ笑い続けて、こっちの力が抜けるように仕向けて来ますから」
「あの人らしいです」
何が可笑しいのか、訓練兵を眺めながら笑い続け、背中をばんばん叩き、みんな苦しいのに一人だけ楽しそうで。
「俺は、これが貴族の遊びなのかと呆れました」
「お遊びみたいな訓練が多かったですからね」
「ヴィオさんは、他の隊からアルスメール隊は幼稚園だって悪口言われてたの知らないでしょう?」
「知っていましたよ。あははは。懐かしい」
俺の背に乗ったキュフが耳元で「お望みなら大笑いしようか?」などと冗談を言ってくる。どうやら祭り会場よりは体調は楽になっているようだ。
外への出口が見えると、ソラヤが後ろから照らしてくれていたランタンを服の中へと隠す。
「キュフ、外に出ても俺の背から降りて歌いに行くなよ」
「努力する」
出入り口に差し掛かり、ヴィオさんが外を左右確認すると、あっさり外へ出ていく。
階段を上り切ると、そこはロサ地区の外で港近くの造船場だった。
「海だ」
真っ暗の黒い海からこちらに強い風が吹きつけてくる。冬の終わりを知らせる風とは思えない冷たくて、不穏な風だった。