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とうとうやってきた。
祭り当日の朝。昨日の夜からソワソワして、ソラヤもキュフも始終、目をらんらんと輝かせて白い歯を見せている。
高級な白い服を身に纏い、硝子の花のブローチを胸元に添えて、嬉しそうに微笑む二人の姿を見ると、大枚叩いて購入して良かったとすんなり思えた。
昼過ぎにトスカさんがやって来て、赤い鳥を預けた俺たちは祭り会場に向けて飛び出すのだった。少し早足で、軽やかな足取りで、鼻歌を歌ったりなどして、本当に陽気な午後だ。
二人はヴィオリーナ嬢に再会できる事がとても嬉しいらしく、思い出話を俺に聞かせてくれる。あのお嬢様は山賊らしき男たちを素手でバッタバッタと倒してしまったらしい。
地上に出ると、俺たちと同じように白い服を着た市民たちが貴族街であるロサ地区に向かって歩いているのが見えた。
ロサ地区は王城の城下町で、高い城壁の内側に作られた貴族しか住むことを許されていない住宅街だ。
いつもなら閉鎖され、騎士が門番をしている巨大な鉄の扉が、今日は開かれ多くの人々がぞくぞくと奥へと進んでいく。
俺がこの城壁を越えるのは、隊長の処刑が行われたあの日以来だった。
「久しぶりだな」
「オ兄さん。前に来た事があるの?」
キュフが俺の袖を引っ張りながら、無邪気に質問して来た。
「うん。去年の夏以来だ」
「ふーん。何の理由で?」
「ディアン隊長が処刑されたから」
キュフの表情に一瞬影がさして、下を向くと「そうだったんだ」と弱々しい声で返事をする。
ソラヤは俺の背中を二度ぽんぽんと軽く叩くと、手を引っ張って前に向かって指を刺す。
「噴水広場ってあっちですか?」
「ああ、この一番広い石畳の道をまっすぐに進むと辿り着くんだ」
この石畳の道はロサ地区でも一番広い道で、騎士が王都を離れる時も、帰ってくる時もこの道を通って王城の庭に向かうのが通例だ。
出征する時もこの道を通った。その時は雨が降っていて、国のために戦いに行く俺たちを見送ってくれる市民は沿道には集まっていなかった。誰もが家の窓からこちらを遠巻きに見ていた。
敗戦後帰って来た時もこの道を通った。その日は夏の暑い日差しがさんさんと降り注いでいて、甲冑の中が汗でぐっしょり濡れていた。一般兵の靴後が石畳に残るほど暑く、馬もずいぶん疲れていた。そんな傷ついて疲れ切った騎士兵士に街の貴族は窓から、物を投げてよこした。水や排泄物、ゴミ、靴などが体にぶつけられていくが、誰一人文句を言う人などいなかった。罵声を浴びせられても言い返す余力も無い。
そしてあの日、ディアン・アルスメールの処刑当日。暑いのか、寒いのか、曇っているのか、晴れているのか、色んなことが靄がかかっていて、はっきりと覚えていない。頭の中が、失望と怒り、そして誰かが助けてくれるはずだという淡い期待だけを感じて歩いた。足取りがとてつもなく重かったことだけは覚えている。鉛の靴を履いているように重くて、重くて、俺を追い越していく楽しげな市民の背中が憎かった。
あの日のことを思い出して俺の足は自然と止まってしまった。冷たい風に流された木の葉が俺のつま先にぶつかって、また遠くへと飛ばされていく。
「オ兄さん。待ち合わせの時間までまだ少しあるから、出店を見て回ろうよ。ディアンさんにお土産を買おう」
「ああ、そうだな」
ソラヤが俺の顔を真剣な表情で覗き込んでこう言った。「ディアン・アルスメールは生きていますよ」と。
まっすぐな瞳を見ていると、少し鼻の奥がツンとして涙が出そうになった。情緒がおかしくなってる。
うじうじ考えず、気を取り直そう。
今日はお祭りだから。
よく見ればそこら中に飾られた街路樹や出店が以前とは違った雰囲気を出しているし、家の玄関や庭も飾りがついている。
アルゲオの花を模した紙の飾り付けや、白色のリボンなどが華やかさを演出している。硝子のランプに火が灯って暖かさも感じる。
あの日とは全く違う今日だ。
「二人とも、アルゲオの花祭りといえばあれを食べないと始まらないんだ」
「あれって何?」と首を傾げる二人を連れて、俺は出店を見渡してお目当ての商品を探す。
石畳の道を挟むように沿道には出店がずらっと並んでいて、そこら中から美味しそうな香りが漂っている。貴族街というのもあって、砂糖を使ったお菓子や普段飲むことのできないお酒なども売っている。
とある店の前に人集りができていて、その看板目掛けて俺が走り出すと、二人も俺を追いかけてくる。そして数分並んでようやく俺たちの番が回って来た。
「おやじ、これを三つ」
店主は毛糸の帽子にアルゲオの花を思わせる七角形のガラス細工をつけている中年男性で、穏やかそうな笑顔で小さな硝子の器を三つ用意した。
「はい。お待ち。器は返してくれよ」
「分かった。ありがとう」
小さな器の中にあるのは黄色くて冷たい食べ物だ。俺たちは近くの長椅子に腰掛けてその冷たい食べ物を匙に掬っておそるおそる口の中に運ぶ。
「冷たい、甘い!」
真っ先に声を上げたのはキュフでその次にソラヤが「おいしい。なにこれ」と嬉しそうに二口目を口に運ぶ。
「オ兄さん。これ何て言う食べ物なの?」
「アイスクリームっていうんだと。俺も初めて食べた」
こんなに冷たくて甘い食べ物だったとは、知らなかった。
「オセロさんも初めてなんですか?まるで知ってる風だったじゃないですか」
「隊の仲間が自慢してたんだよ。花祭りにはいつもこれを食べるんだって。俺が知らないって言ったら、田舎者だって笑われたよ」
牛乳と卵を冷やすって言ってたから、てっきり冷たい卵焼きみたいなものかと思っていたが、全く違った。ひんやりした甘さが口の中に溶けていくのが、こんなに美味しいものだとは。
「これ、本当に美味しいですね」
「もう一個食べられそうだけど、お腹が冷えそう」
キュフもソラヤもぺろっと一皿あっという間に食べてしまい、まだ物足りなさそうな顔をしているが、この寒空の下ではこれぐらいにしておかないと冷えて腹痛になってしまう。せっかくの友人との再会が台無しになってしまうのはダメだ。
「次はあれだな。よし行くぞ」
店主に皿を返し、俺たちは次の店に向かう。そこは女性がたくさん買い物している店で、ソラヤはその店に目を輝かせている。
「オセロさん、これは何ですか?かわいいです」
「飴の店だ」
たくさんの種類の飴玉が並ぶ店で、色とりどりの可愛らしい飴が何十種類と用意されていて、好きな色や形の飴を量り売りしている。
「飴っていうことは全部食べられるんですね」
「アルゲオの花の飴を食べると一年間、健康に暮らせるらしい」
アルゲオの花は砂漠に咲く透明な花で、花びらが七枚ある。砂漠の水の少ない地域でも花が咲くことから、花のように逞しくなれるようにと子どもに飴を配ったことからこの風習が始まったのだと、店主は流暢な説明をしている。
「ソラヤ、好きなだけ買えばいい。飴は長持ちするから旅にも持っていける」
「いいんですか?」
「大丈夫。トスカさんから貰ったお金があるから、気にするな」
「では、お言葉に甘えます」
そう言って、ソラヤが真剣に飴を選んでいる間、俺は隣の店で暖かい柑橘のお茶を買っていた。キュフは店を見て回ってくると言って、飛び出して行ってしまった。
巾着いっぱいに飴を買ったソラヤは嬉しそうに飴袋を鞄に入れて、俺が買っていた柑橘のお茶で暖をとる。白い湯気を吐きながら、ソラヤが夕陽が沈むのを眺めて、俺に提案をした。
「オセロさん、出発は明日にしましょう」
「出発って、アルスメール領に行くってことか?そんな急いでいいのか」
「はい、離れがたくなりますので」
ソラヤはここまでキュフを送り届けるという理由でやって来た。キュフが目的地に辿り着き、彼を探しているヴィオリーナ嬢と出会ってしまえば、ソラヤの役目は終わる。
姉弟ではないし、二人を繋いでいる理由は多くない。
「キュフはここで、きっと過去の自分に出会える。私も私の過去を探します」
自分の過去が分からないというのはどういう感覚なのだろうか。俺には想像もできない。目が覚めたら知らない土地で一人で眠っていたと、ソラヤは話したが、どういう状況で若い女性が何もない荒野に一人で眠っているというのだろうか。
キュフが手を振りながらこちらに向かって走ってくるのが見えると、ソラヤは話題を変えて笑顔を作ってこちらを向く。
「そうだ、オセロさん。ディアンさんへのお土産は決めたんですか?」
「まあ、隊長の好物を買って帰ろうと思ってる」
息を切らしながら戻って来たキュフに買っておいた柑橘のお茶を手渡すと、彼は一気に飲み干してみせる。
「好物って何?」
「さすが、耳が良すぎだ」
走ってくる最中でもこちらの会話が耳に入っていたらしい。ルシオラって恐ろしい。
「名前を忘れたんだ。お菓子なんだけど、小さくて白くてふわふわしているらしい」
「三人で探しましょう。分からなかったらヴィオさんに聞きましょう」
夕陽が弱まり出すと街中のランプや蝋燭の火か輝き始める。日が沈む前に目当ての物を見つけて噴水広場に向かわなければならない。
「急ぐぞ、日が暮れる」
そして俺たちは噴水広場にたどり着くまでの店々をのぞいて、隊長が好きなお菓子を探した。
白くて小さくてふわふわした食べ物って何だろう。分からないまま歩いていると、噴水が視界に入って俺の足は止まった。
そして噴水の前に直立不動の髪の長い女性が見えた。
「ソラヤ、あれ!」
「白くてふわふわしたの、ありましたか?」
「違う違う。あれ、絶対にヴィオリーナ嬢だ」
軍人らしく踵をそろえ、両手を体の両脇にぴたっとつけて、顎を引いてまっすぐに立っている女性。横を向いていて顔ははっきり見えないが、きっと間違い無いと思う。
「そうですか?顔がよく見えません」
「絶対そうだ。みんな楽しそうなのに、あんなにビシッと立っているのおかしくない?」
ソラヤは目を凝らしながらゆっくり近づいていく。
「オ兄さん。これじゃない?」
噴水近くの店でキュフが手を振って俺を呼んでいる。白くてふわふわしたものを見つけたらしい。
「ソラヤ。俺は先にお土産を買ってくるから」
「わかりました。私は近づいて観察してみます」
俺はキュフの元に駆け寄ってその店で売っている商品に確信を持った。
「キュフ、これだ」
「そうだよね。白くて、ふわふわしていて、小さい、お菓子」
俺たちはその不思議なお菓子を紙袋一杯買って、ソラヤの元に戻ろうと歩き出すと、目の前で感動の再会が繰り広げられていた。
「ヴィオさん!」
「もしかして、ソラヤ?」
直立不動の女性が緊張をほぐして、目の前に現れた少女に驚いている。やっぱりヴィオリーナ・ハンゼアートだった。
飛び跳ねながら両手を振るソラヤは、俺たちの方を向いて嬉しさのあまり大声を出す。
「キュフ!ヴィオさんだよ!」
その時、俺たちとソラヤの間を数人の男たちが通り過ぎようとしていた。その中の一人の青年がふいにぱたっと足を止めてソラヤの方を向く。
「誰だ。どうして僕を知っている?」
「え?」
青年は外套に繋がった頭巾を被っていて顔は見えないが、声音からして若い男性だと判断できた。その青年が足を止めてソラヤと向き合っている。もしかして、ソラヤの知り合いなのだろうか。
「ソラヤ、こいつと知り合いか?」
そう声をかけた瞬間、耳をつんざくような大きな音が急に発生し、突風が目の前を通り抜けていく。多くの悲鳴が響き渡り、砂埃や何かの破片が辺りを濁らせる。
爆発だ!
目の前にいた青年の頭巾が爆風と共に頭から離れ、髪が揺れるのが視界に入った。そして耳に輝く飾りも。
「金色の蝶の耳飾り?」
青年は爆発の騒ぎの中、仲間と思われる男たちと走り去っていく。横顔は彫刻のように整っていて、美男子と称される風貌だった。
咄嗟に俺はキュフを庇っていたようで、キュフが俺の脇腹のあたりから顔を出し、ソラヤの元に向かって走り出す。
「ソラ!」
「キュフ!」
ソラヤは爆発音と共にしゃがみ込んでいて、彼女を守るようにヴィオリーナ嬢が上から覆い被さっている。
「避難しましょう」
ヴィオリーナ嬢がそう言ってソラヤを立たせると、俺たちの方を向いて「ついて来て」と告げる。
キュフがソラヤと合流した時、再び大きな爆発が起きて、噴水広場は騒然となった。
「何が起きているんだ?」
目の前に七角形の紙がビリビリに破れて、雪のように舞い漂っている。