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俺たちが外に出られたのはそれから二日後だった。トスカさんが隊長を見ていてくれるというので、三人と一羽でノックスの街に繰り出した。
「外の空気って美味しいね」
キュフが大きく深呼吸をして、素直な感想を述べたが、俺はその言葉に同意することが出来なかった。なぜなら、ゼノ達はあの地下空間で生きて来たのだから、軽々しく外の方が良いとは言えない。
「とりあえず、必要な物を買うぞ」
「オ兄さん、意気込みが良いね」
「欲しいものがあれば言えよ。買ってやるから」
「ふーん。懐が暖かいと、人間って性格変わるんだ」
ませた言い方で俺を白い目で見上げてくるキュフ。確かに、俺は今、人生で一番お金持ちですよ。何が悪い。
「キュフ、オセロさんが珍しく買ってくれるって言ってくれてるんだから、そんな言い方しないの。貴重な機会なんだからお言葉に甘えるのよ」
「ソラヤ。お前も、なかなかだな」
二人はくすくす笑いながら、俺の背中をぽんぽんと叩く。頼りにしているという合図のようだった。
武器防具屋で短剣の手入れを頼み、薬屋で傷薬や鎮痛薬、包帯、消毒液を購入した。大金を持っているので気が大きくなり、俺たちは服や靴なども新調しようということになった。
ノックスの街中にある洒落た煉瓦の壁の服屋に入り、俺は柄にもなく、キュフとソラヤに気に入った服を持ってくるように伝えた。
「この服屋さん広いですね」
「オ兄さん、本当に何でも良いの?」
「祭りにも行くんだから、綺麗な服もいるだろう。ソラヤ、気にせずに好きなものを持ってこい」
ソラヤの瞳は一段と輝きを増し、店中の棚を一つ一つ見て回り始める。キュフも店員と相談しながら服を選んでいく。
「アルゲオの花祭りといえば白。お嬢様、白がとてもお似合いです」
女性店員が甲高い声で褒めると、店の奥からソラヤが恥ずかしそうに俺の前に現れた。
「オセロさん、店員さんがこれが良いって言うんですが、どうですか?」
裾の長いワンピースは白色、合わせた腰丈の上着も同じ色でふわふわの素材、靴は青色の編み上げの長い皮靴。彼女が女性用の服を身に纏っているのを初めて見た。
ソラヤは旅をする際、身を守るために男性用の服を来ている。しかもからだに合わないブカブカの服で、頭巾を目深に被っていると性別も判断がつかないくらいだ。
「気に入ったのなら買ってやる」
「本当に予算は大丈夫なんですか?高そうですよ」
「足りなければ、トスカさんに相談するから」
トスカさん曰く、アルスメール領に隊長を届けてくれるならいくらでも準備金を用意してくれるとのことだった。そもそもあの黄金の指輪と引き換えで貰った金貨は多すぎて、使いきれないくらいある。
「オ兄さん、これ買って」
キュフも名家の坊ちゃんみたいな青色の羊毛上着を着ていて、胸元には金色のボタンがずらっと並んでいる。
「すみません、今着ている物を全部ください」
「かしこまりました」
おお、自分が貴族になったみたいな発言をしていて、少し冷や汗をかいてしまった。
店員が提示した金額は今までに見たことのない数字が並んでおり、俺は巾着をひっくり返して数を数える。
「では、ちょうどいただきます。ありがとうございました。楽しいお祭りになると良いですね」
「あ、ありがとう」
巾着が軽くなった。まさか、こんなにも服が高価だとは知らなかった。俺も靴が欲しかったのに、足りるだろうか。
「オセロさん、ありがとうございます」
「オ兄さん、ありがとう。きっとアロアも喜んでると思う」
二人は満足げな表情で、服と靴が入った大きな袋をそれぞれ抱えて歩いている。
「キュフ、アロアって誰のことだ?」
「アロアはこの体の男の子だよ。僕はアロアの体を借りてるんだ」
「はあ?」
ソラヤが立ち止まって振り向き、俺と目を合わせる。
「あれ、言ってませんでしたか?」
「記憶喪失しか聞いていないぞ」
もしかしたら話をちゃんと聞いていなかっただけかもしれないが、きっと初耳だった。
「もう、いろんな人に説明しすぎて誰に話して、誰に話していないのか分からなくなってきました」
そうして彼女が説明した話に俺は、首を傾げる。内心「何を言っている?魔法があるわけでもないのに、そんな事が出来る訳がないだろう?」と思った。
「オ兄さん、分かってくれた?」
反応の薄い俺を見つめながら、キュフが疑ったような言い方をしてくる。
「ああ、なんとなく。あれだろう?魂だけの状態だったキュフがいて、体は健康なのに魂だけ出てしまったアロアという男の子の体にキュフを入れたんだろう?ソラヤってすごいな」
魂だけのキュフと、魂を失ったアロア、魂を入れ替える事が出来るソラヤ。俺は、おとぎ話を聞かされているのか?
「まあ、だいたい合ってるけど、その顔は信じてないね」
「仕方ないですよ。魔法がない時代ですから」
その昔、魔法があった時代なら、こんな奇妙奇天烈な話はごろごろ存在していたのだろうか。
とりあえず、否定はせずに受け入れよう。考えても答えが出る訳がないから。
「キュフ、やっと元の体に戻れるね」
「本当に元の体ってあるのかな?」
「大丈夫。ヴィオさんが知ってる」
元の体に戻れる?また分からない話を始めているぞ。
「ちょっと待て、二人とも。ハンゼアート家の娘に会いたい理由ってキュフを元に戻す為なのか?ちゃんと説明しろ」
なぜ魂と体の入れ替え事案にこの国の貴族が関わってくるんだ?ケルウス国に住んできたけど、そんな話は聞いた試しがない。
俺たちは近くの路地に入り、階段に腰掛けてこの話題についてじっくり話すことにした。
「とにかく俺でも分かるように、簡単に説明してくれ」
ソラヤが説明を始め、摩訶不思議な話が繰り広げられ、俺は理解が追いつかずずっと頭の中に疑問符を浮かばせていた。こんなことなら、もっと勉強をしていればよかった。まあ、庶民に勉学の機会などあるはずもないが。
「わかりましたか?」
ソラヤが困ったように俺の表情を窺ってくるのだが、理解はしていないが、ここで俺なりに頭の中で要約してみようと思う。
去年の夏、アルスメール隊に従軍したヴィオリーナ・ハンゼアートは、終戦後も戦地に残って、負傷兵の手当てをしていた。
戦地になった地の近くで住んでいたソラヤは、ルシオラ達と戦場に出向き死者に鎮魂歌を歌ってまわっていた。(ちなみにソラヤはルシオラではない)そこで、ヴィオリーナと出会う。
ヴィオリーナは人を探していて、その人物は戦地に一緒に来た、両耳に真鍮の蝶の飾りを付けた美少年だという。美少年は古くからの軍の慣習である「勝魂」として魂だけ連れてこられたのだと説明したそうだ。
ソラヤは耳飾りの少年探しを手伝いながら、ヴィオリーナと仲良くなっていったらしい。
ヴィオリーナと負傷兵が帰国することになり、美少年探しをソラヤが続けることになったとか。そして出会ったのが、キュフだった。
キュフの魂は真鍮の蝶の耳飾りを付けていて、ヴィオリーナの話した人物と酷似していた。
ソラヤはキュフをヴィオリーナに合わせるためにこうして、半年以上の長旅を続け、ケルウス国の首都ノックスにたどり着いた。
「ルシオラの族長に魂だけではすぐに消滅してしまうと言われて、体を探しました」
そこで出会ったのが、アロアという名の男の子だった。アロアは寝たきりで体から魂が飛び出ている状態だったそうだ。魂を戻すことは出来ず、その場で体と切り離すことになったらしい。
魂を失った体は衰弱していたが、脳や心臓が活動をしていたため、キュフの魂をその体に移植したということだった。
にわかには信じがたい話だ。そもそも、どうして生きている人間の魂だけが飛び出たりするのだろうか?
魂をどうやって体に収めるというのだろうか。謎すぎる。
俺はいろんな疑問をソラヤにぶつけたかったが、彼女は記憶が少ない。はっきりとした答えは返ってこないだろう。
「ガキの頃、セーピアというお化けの歌声を聴いたら、魂が抜かれると脅かされたことはあるけど、実際に似たようなことは現実にあるんだな」
この国の人間なら、幼い頃一度は驚かされる話の一つで、恐ろしい歌を歌うセーピアという人種がやってくるから、親の言うことを聞きなさいと言われてきた。
「オセロさんはセーピアにあった事があるんですか?」
「さあ、ルシオラとゼノ、プルモには会った事があるが、セーピアとランテルナには会った事がないと思う。まあ、でも見た目で判断できないからな」
この地域には原住民族と呼ばれる人達が何種類か存在する。
有名なのが、死者に歌を歌って魂と体を切り離すルシオラ。
魂を集めるプルモ。
元々、魔法使いのゼノ。
そして新生児に祝福の灯りを届けるランテルナ。
生者から魂を切り離すのがセーピア。
特にセーピアはおとぎ話の中でしか登場しないので、架空の種族ではないかともいわれている。
原住民といわれているが、見た目に違いはほとんどなく、俺たちと変わらないし、見分けることもできない。
「オ兄さんは戦地で戦っていたんだよね?なら、魂のことを何か知らない?」
キュフは自分がヴィオリーナ嬢の探している人物であるかどうか心配している風で、俺に「勝魂」のことを尋ねてきた。
「兵士騎士が帰ってこれるように、魂を連れていくというのは聞いた事があるけど。あの時、連れていっていたのかは分からないな。隊長なら知っていると思うけど」
生者の魂は必ず肉体に帰ろうとする。だから戦いに向かう者たちが必ず戻って来るようにと願掛けした風習だと、傭兵教育で学んだ覚えがある。
しかし、歴史の授業で学んだはず。現代でも行われているのか不明だ。
「ディアンさんとお話ができれば良いんですが」
ソラヤが寂しそうに青い空を見上げてつぶやくので、俺とキュフも空を見上げて白い息を吐いた。
「ソラヤ、キュフの魂の姿って、そんなに美少年なのか?」
「え?そういえば、普通でしたね」
「ちょっと待ってよ。こう言っては何だけど、僕はアロアよりは美形だよ」
必死に弁明するキュフの横でソラヤがとぼけた顔をしているので、俺は少し笑みをこぼしてしまう。もしかしたら、これが三人でいられる最後なのかもしれないという考えが脳裏に浮かんで、気づかないふりをした。
俺は久しぶりに、楽しんでいるらしい。
部屋に帰ると、トスカさんが隊長の背中を布巾で拭いている場面に遭遇した。ソラヤは目を両手で覆って小さく悲鳴を上げる。
隊長の体は痩せ細っていて、あの頃のような立派な筋肉はどこにも見当たらなかった。そして、生々しく残る首の傷。ぐるりと一周、首輪のような傷が痛々しく、確かに彼が一度命を落としたことを物語っていた。
「おかえり。ソラヤさん、悪いがもう少し時間をくれないかな」
「どうぞ、ゆっくりしてください。私は外でロアにご飯をあげてきますから」
そう言って、赤い鳥を連れて、買ってきたばかりの新鮮な餌を持ってソラヤが階段を下っていく。
「ねえ、おじさん。奇跡を起こした人ってどんな人?」
キュフが買い物袋を床に置きながら、無邪気そうにトスカさんに質問する。確かに俺も死人の首をくっつけるという奇跡を起こした人が気になっていた。
「それは内緒だ」
「えー。ちょっとくらい教えてよ。男の人?女の人?」
「キュフくん、すまないが、言えないんだ」
「ふーん。女の人か。若いの?」
「キュフくん」
「若いんだね」
この少年は相手の反応を具に観察しながら答えを探っているようだった。どこでそんな技を覚えたのだろうか。
「ソラヤより年上?年下?やっぱり外国人かな?」
「キュフくん、やめてくれ」
「へえ。迷ったってことは同じ年くらいかな。それで外国人なんだね」
「な、何も答えてない。何もだ」
トスカさんは全てを否定しながら、愛想笑いをしている。どこで判断しているのだろうか。
「キュフ、どうして分かるんだ?」
しゃがんでキュフの耳元できいてみると、少年は自慢げな笑顔で俺を見てこう言った。
「呼吸だよ」
「呼吸って?そんなので分かるのか?」
「あれほど体も精神も鍛えた人の呼吸がそうそう簡単に乱れるはずがない。だから少しの乱れで言われてほしくない言葉が分かったんだ」
「若いから耳が良いんだな」
「アロアは、ルシオラだからね」
なるほど。と頷くとトスカさんが俺とキュフの頭をわさわさとかき混ぜる。どうやら隊長の身支度は済んだようだった。
「二人とも、おじさんは何も言っていないからな」と念を押されてしまった。
頭を撫でられるなど、子ども扱いされるには俺は歳を取りすぎていると思うが、中年男性には年下は全て子どもに見えるのだろうか。
キュフは髪を整えながら、ソラヤとロアを呼びに行った。
「オセロくん、ヴィオリーナ・ハンゼアート嬢に手紙は無事届いたと知らせが来たから、安心して祭りに行ってきなさい」
あの戦いの後ヴィオリーナ嬢はノックスに帰ったとは聞いていたが、いまだにここに留まっているか、心配している部分ではあった。
「そうだ、待ち合わせ場所は?」
「日没に噴水広場にて」
貴族街の処刑場の近くに大きな噴水がある石畳の広場があったはずだ。祭りの当日は人が多くて、見つけることはできるだろうか。心配になってきた。
「彼の方からこれを預かってきたんだ。二人にも渡しておいてくれ」
トスカさんがポケットから出してきたのは、アルゲオの花のブローチで、透明な花をイメージした硝子製の工芸品だった。いかにも高価そうだ。
「待ち合わせの手紙に、これを目印に付けておくと書かれたそうだ。当日は胸元にでも付けておいてくれ」
「はいはい。立派な品をありがとうございます」
「それほど高価ではないから気にするな」
はははと笑いながらトスカさんはこの部屋を出ていく。この人に「勝魂」のことを尋ねてみるべきか否か。少し悩んで、やはり祭りでヴィオリーナ嬢に会うのか先決だと思ってやめた。
キュフがブローチをランプの光にかざしながら眺めている。七色の光の反射が部屋の中に散らばって、その輝きに俺もディアン隊長も目で追いかけ、透明な花が美しいなと思った。それと同時に、この花がどうしてアルゲオの花なのだろうとも思って、複雑な気持ちに包まれた。
「アルゲオの花……」
小さな声で隊長がそう呟いて、俺は胸の奥がずきんと痛むのが分かった。