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 床や地面に何かが落ちる音が聞こえる度に、あの日の光景が瞬時に思い出される。

 ごとん。と重い物体が落ちる音。あの日、蒸し暑い日で汗をかいていたのに、あの音を聴いて全身の血の気が引いていくのを感じた。寒さと震えでその場を逃げるように去った。



 ディアン・アルスメールが生きている。誰も信じない現実が目の前にあって、俺は混乱する頭を抱えながら髪の長い青年に詰め寄った。

「どうなってるんだ?」

「どうなってるって言われても。この通り生きてるってことだけしか言えない」

 青年は腕を組んで顎を上げて偉そうに俺と対峙する。

「俺は確かにあの場で処刑される姿をこの目で見たんだ。間違いない。あの日処刑場に隊長が現れた。後ろ手にされて、裸足だった。頭に袋を被せて膝をつかせた。長くてデカい剣が振り下ろされて、床の上に、ごとんって音が」

 思い出すだけでも吐き気がするし、今でも手が震えてくる。恐怖とかではなく、失う苦しみと、王族への怒りだ。

 俺は両手の拳に力を込め、続けて青年に尋ねる。

「ありえない。体と頭を切り離されて生きている人間なんかいない。どうなってるんだ」

「何度も同じことを聞くな。生きているんだからそれでいいだろう」

「いいわけない。俺たち生き残ったアルスメール隊がどんな思いで今日まで生きて来たか」

 隊長を敗戦の将にしてしまったことへの、自分へ不甲斐なさ。処刑場から助け出せなかった自分への情けなさ。毎日自分を責め続け、王族を憎しみ、処刑に歓声を上げた国民を恨んだ。きっと同じ戦場で戦っていた仲間も同じ思いのはずだ。

「お前の自責の念など知ったことではない。勝手に世の中と自分を恨んでいただけだろう」

「なんだと!」

 青年の胸ぐらを掴むと、キュフとソラヤが止めに入ろうと俺の腕を掴む。赤い鳥すら俺の奥襟を足で引っ張るので、仕方なく手を下ろした。

 青年は服を整えながら仕方なくといった風に話を始める。

「ある事情があって、こうして命を繋ぎ止めることはできた。その方法は言えない。奇跡が起きたとしか」

「奇跡?」

「彼は間違いなくディアン・アルスメールだ。生き返った男を隠すためにこうして地下に匿っている」

 青年が銀色の円柱の缶を差し出す。角が凹んだ缶は、さっき落としたものだと分かった。

「ここに薬が入っている。これをディアンに食後飲ませて欲しいんだ」

「さっきは帰れと言っていたくせに」

「できるなら、ディアンを故郷に帰してやりたいんだが、君たちに頼めないだろうか」

 缶を受け取ろうとしない俺の手を掴んで、青年が無理矢理に渡してくる。ずっしり重く、たくさん物が詰まっている缶だと分かった。

「私たち、会いたい人がいてノックスまで来たんです。どこにいるかは分かってないんですが、その人に会うまではここを離れることができません」

 ソラヤがそう言うと、青年は「そうだったのか」と少し残念そうな顔をした。

「ちなみに誰を探しているんだ?」

「ヴィオリーナ・ハンゼアートさんです。知っていますか?」

「ああ、ヴィオか。こちらから会えるように取り計らってみよう」

「え、ヴィオさんの知り合いに会えるなんてこんな偶然ってあるんですね。やったー」

 ソラヤが飛び跳ねて喜ぶ。まさか、この青年、貴族だったとは。よくよく見れば態度もでかいし、上等な服を着ているし、手渡されたこの缶も高価そうだ。

「ヴィオさんにここに来てもらうってことはできますか?」

「それはできない。ディアンが生きていると知っている人を増やしたくない」

「では、花祭りの日に会う約束ってできますか?」

「分かった。追って連絡を寄越すから、ここにいてくれ」

「はい。ありがとうございます」

 ソラヤはキュフに「よかった」と言って大喜びをするのだが、俺は手放しで喜んでいられる心情ではない。

「ちょっと待ってくれ。ソラヤ、花祭りが終わったらアルスメール領に行くってことでいいのか?」

「いいですよ。他に行く当てもないですし」

 いいのか。そんな簡単な話で旅の行き先を決めても。

「オセロさん、そこまでよろしくお願いします」

「ちょっと待て、契約はこのノックスまでのはずだ。追加料金は払えるのか?」

 ソラヤは「ケチくさい」と言いたげな目で俺を見てくるのだが、正論を言っているのはこっちなのだ。

「でも、オセロさんにとってもディアンさんは知り合いなんですよね。アルスメール領までいいじゃないですか」

「よくない。俺は傭兵だ。金にならない仕事はしない」

 キュフが俺とソラヤの間に入って「まあまあ、落ち着いて」と大人のような言い方でなだめようとする。

「金があればアルスメール領に行ってくれるんだな」

 髪の長い青年が少し不機嫌な顔でそう言うと、自分の指にはめていた金の指輪を外して俺の足元に放り投げて来た。

「換金すればそれなりの金額になるだろう。傭兵オセロ、これで契約成立だ。祭りが終わったらノックスを出て北を目指させ」

 青年は机の上のランプを手に取り、部屋を出ていこうとする。俺はその背中に向かって最後に声をかけた。

「あんたは、隊長の何なんだ?」

「……弟みたいなものだ」

 名前を聞こうとしたが、青年は足早に部屋を出て行ってしまった。俺は渡された缶の蓋を開け、中身が何の薬なのかを確認する。

「丸薬?」

 缶の中いっぱいに茶色の丸薬が詰められていて、薬草の匂いが鼻をつんと刺激した。

「この香りは睡眠薬ですね」

 ソラヤはなぜか薬草に詳しい。


 アルゲオの花祭りは六日後。それまでどう過ごすか悩みどころだ。隊長を一人残して外に出るわけにもいかず、暗い地下に潜り続けるしかないのだろうか。

 鍵が開いている部屋はこの部屋だけで、俺たちは狭い部屋に雑魚寝することになった。寒い三月に野宿ではないだけ有難いが、地下もそれなりに冷え込むし、床は硬くて痛い。

 そして一番の懸念は隊長が思い出したように叫び声を上げることだった。薬のせいで朦朧としているからなのか、それとも「奇跡」の後からなのか、まともに会話ができず、叫ぶ声も言葉になっていない。意思疎通も難しく、名前を呼んでも反応する時としない時がある。

 みんなが寝静まってすぐ、叫び声を上げるので、全員(赤い鳥すらも)寝不足のまま次の日を迎えた。

「お腹空きましたね」

「僕はもう少し寝たい」

 ソラヤとキュフは欠伸をしながら机の前に座っている。昨日、青年が置いて行った食料を四等分にし、晩御飯にしたのだが、まったく足りる量ではなかったため、目が醒める前からお腹がぐうぐうと鳴っている。

「キュフ、丸薬があるから飲めば眠れるぞ」

「その薬、怪しいから飲みたくないよ」

 食後、隊長に丸薬を一錠飲ませると、隊長はこてんとすぐに眠りに落ちた。しかし数時間後にはすぐに目を覚まして叫んだり、寝台をどんどんと叩いたりする。健康的な睡眠時間を確保するためには一錠では足りないのだろうか。いいや、薬で眠らすことを「健康的」と呼べるだろうか。

 俺はため息をついて、青年が放り投げた金の指輪を机の上に置いて眺める。

「純金だろうな、これ」

「純金って高いんですか?」

「ソラヤ、いいか、男に宝飾品をねだる時は純金だぞ。この指輪で一年は遊んで暮らせるからな」

 キュフが「一年!」と驚いた声で指輪を凝視する。

「年々、金は貴重になっているって聞くし、これは質が良さそうだから、もしかしたらもっと値がつくかもしれない」

「あの人、何者なんでしょうか」

「さあ、貴族階級の坊々だってことは確かだろうな」

「オ兄さん。換金に行こうよ」

「キュフ、換金するならノックスを出る時だ。大金を持ったまま祭りに行ってスリにあったらどうする」

 というか、こんな高級宝飾品を売ったとして、俺は無事でいられるのだろうか。もし、名家の伝統的な物だとしたら、あいつの親族とかに濡れ衣を着せられて、窃盗の罪で捕まえられるんじゃないだろうか。

 怖い。換金すら怖くなってきた。高価すぎて困る。

 机に頬をつけて、お腹をぐうぐう鳴らしていると、階段を登ってくる音が聞こえてくる。昨日の青年が戻って来たのだと思って、何の警戒もしていなかった。

「これはどういうことだ!」

 現れた人物は中年のおじさんで、ソラヤのランタンで眩しいくらいに明るい室内に驚きを隠せず、大声で叫ぶ。

「おじさん誰?」

 耳を塞ぎながらキュフが困った顔で現れた男に尋ねている。どうやら眠気は吹っ飛んだらしく、目もしっかり開いて滑舌もはっきりしていた。

「これは失礼。ランタンを見たのは初めてだったものだから動揺してしまった。私は、彼の方の護衛をしているトスカ・ピュリタスだ。君たちに食料を持って来たぞ」

 ピュリタス。どこかで聞いた苗字だが思い出せない。俺は田舎育ちで貴族などの名前などには詳しくない。

 トスカさんは背の高い筋肉質な体型で、いかにも騎士といった雰囲気を纏っている。育ちの良さから滲み出る余裕感や、他者に優しく微笑むことのできるところなど、まさにそうだ。

「トスカさん、ありがとうございます」

 トスカさんは背中に大きい荷物を背負っていて、そのほとんどが食料だった。中年の割には筋肉隆々で俺よりも力持ちなような気がする。

「オセロ殿、すまないがその指輪を返してもらえるだろうか」

「でも、これでアルスメールまでの旅費にしようと」

「これで買い取らせてくれ」

 目の前に布袋が置かれ、ジャラジャラと金属が擦れる音が聞こえた。

「もしや、金貨」

 袋の中は目が眩むほどの金貨で溢れている。

「その指輪は文化的価値の高い代物で、質屋に持って行っても値が付かない。なので金貨と交換をお願いしたい」

「構わないけど、文化的価値って何?」

「その指輪は、その昔、大魔術師がアルゲオの花を集めて金に錬成したと伝わる代物なのだ」

 大魔術師、錬金術。何を言っているんだ?

「怖い、怖い。嘘でも怖い。もう、交換で構わないよ」

「嘘では無いぞ。まあ、嘘だと思ってくれても構わないが。交渉成立ということで、この指輪は回収させてもらう」

 トスカさんは指輪を布で丁寧に包み、小さな巾着に入れ、胸元のポケットにしまう。

「トスカさんの仕える人って何者なんだ?」

「まあ、それはおいおい。それよりも、ディアン殿に薬は飲ませてくれたか?」

「ああ。でもすぐに目を覚まして叫ぶんだ」

 隊長は布団に潜り込んで大きな体を丸めて眠っているが、きっとすぐにまた目を覚まして発狂するのだろう。

「やはり、薬が効かなくなってきているのだな」

「隊長はどうして叫ぶんだ?」

「さあ、検討もつかない。死んで甦った人など知らないからな。ただ、目が覚めてから何かに怯えるように叫んだり物を叩いたりする。放っておいたら頭を壁にがんがんぶつけ始めるようになったので、こうして睡眠薬で眠らせている。根本的な解決では無いが、仕方ない」

 俺の記憶の中の体調は常に朗らかで、精神が安定していたし、感情の起伏もほとんどない穏やかな人だった。宴会でも静かに微笑んでいる人で、誰かに怒鳴ったり大声を出すところを見たことがない。

「オセロ君、彼は戦場でも冷静であったか?」

 オセロ君。と呼ばれたのは初めてで驚いた。貴族の子息でもあるまいし、もともと領兵で今はただの傭兵だ。

「君って呼ばないでくれませんか?かゆくなります」

「ああ、すまないな。では呼び捨てにさせてもらう。それで、君も南に出兵したのだろう?」

「はい。去年、出兵した兵士の多くはアルスメール領の領兵を勤めていた者ばかりで、俺も領内で志願者を募っていた時に手を上げた一人です。隊長はどんな時も冷静で、感情が顔に出ることはなかった。負けて帰ってくる道中でも怪我人を労ったり、気遣ったり、戦死した兵士たちの遺品を鞄に詰めて自ら持ち歩いていました」

 トスカさんは「そうであったか」と静かに答えて、寝台に横たわる隊長を見つめる。

「オセロ、ディアン殿が生きていて良かったと思うか?」

「初めは複雑な気持ちでしたが、一晩考えて、死んでいなくて良かったとは少し思いましたね」

 処刑場で絶命する姿を目にしていた俺としては、この現実を受け入れるには少し抵抗があった。死んだ人物が生きているという事を信じられない気持ちと、死んだ人間が再び生き返っていいのだろうかという疑問や、隊長は死ぬ覚悟を決めていたのに蘇生してしまっていいのだろうか。そんな考えがぐるぐる頭の中を巡っていた。

「俺は、隊長や貴族のように頭が良くないし、難しい事をいくら考えたって答えが出るとも思えない。だから、受け入れるしかない。良いとか悪いとかではなく、そうなんだと」

「そんなに卑下せずともよい。若者は悩み、必要以上に頭を使っておくものだ。達観するのは歳をとってからで十分」

 ははははと腹から声を出すようにトスカさんが笑うので、赤い鳥が驚いてトスカさんの頭を突く。

「では、明日また来る。本当ならもう少しここに居たいのだが、祭りの準備で忙しいのだ」

 そう言って立ち上がると、中年騎士はソラヤとキュフに飴玉を渡して目を細めて笑った。

「オセロ、欲しいものがあったら持ってくるぞ」

「有難いんですが、それなら買い物に行く時間をくれませんか?」

 武器の手入れや薬草の補充、アルスメール領への旅支度を整えたい。

「分かった、彼の方に調整してもらうように伝えておく」

 三人と一羽でトスカさんを見送り、俺たちはお土産の食料を机に並べて朝食を始めることにした。

 今までに食べたことのない柔らかいパンを頬張っていると、隊長も目を覚まして俺たちをじっと見つめている。今回は叫ばないらしい。

 ソラヤとキュフが楽しそうに隊長に食料を紹介し、そして彼の手のひらに木苺と胡桃をあしらった甘い焼き菓子を乗せる。

「笑った」

 食した隊長の表情に笑みが浮かんで、俺はふいに鼻の奥がつんとなって瞳が潤う感覚がしたのだった。


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