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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスと闖入ペンギン
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 わたしの家にある贅沢品のひとつに、――というよりひとつしかない贅沢品はガス式の温水シャワーです。

 正直なところボトル・シティの水はあまりきれいではないので、その日、一日に浸った水を洗い流すのに濾過水シャワーが必要なのです。

 しかし、シャワーが当然のごとく闖入ペンギンにも使われるようになると、ガスが足りなくなります。闖入ペンギンのシャワー時間はわたしのそれの倍以上です。こうなると、ガスボンベをもうひとつ増やさないといけませんが、それをわたしが行うのでは、まるで彼がここに住むことをわたしが許したようになり、いやです。

 コーン・シリアルとザクロのジュースで朝食を終えると、お昼に食べようとポーボーイ・サンドイッチをつくり、濃い灰色の服を着て、マスクがしっかりフィットしていることを強めに引っぱって確かめてから出かけました。

 今日は潜らず、お出かけです。ちなみに闖入ペンギンはわたしが起きてから数分後に部屋から出てきて、準備を終えると今日も潜りに出かけました。わたしのプライドの問題ですが、わたしは絶対に、闖入ペンギンより遅く起床しないようにしています。

 さて、たまには水を蹴るかわりに硬い地面を歩くのもよいでしょう。旧市街の南にはまだ水没が進んでいない大きな区画があります。木造家屋の並ぶユニオン通りは焼きハマグリを売るには適しませんが、膝丈以上に水が来たことはまだありません。

 ここの家はソルトボックスと呼ばれる建築方式で、表は二階だけど裏手は一階。水没前は全部二階建てにするほど裕福ではなかった人々の町でした。ですが、現在は歓楽街や新港湾地区とも陸続きな立地を買われ(引っかかった流木の集まりを陸と見なすならの話ですが)、家賃は最低でも月六十ドルです。半壊した煉瓦の家なら四十五ドル。

 戦没者記念碑のあるケンジントンの交差点では二人乗りのロードスターや黒いセダンが静かに走り、治安維持に責任を持っているらしい男たちが黒いコートの裾を後ろにめくって、ホルスターのピストルに引っかけています。

 彼らが警察なのかどうかは分かりません。ギャングかもしれませんし、あるいは警察マニアかもしれません。偽の警察バッジを胸につけて人を半殺しにする迷惑千万な人たちは等しく罰せられるべきなのですが、忙しいのか面倒くさいのか、あるいは本物の警官が自分のバッジを貸してお金をもらっているのか(これが一番可能性が高いです)、警察は偽警官の摘発に熱心ではありません。

 ただ、わたしは治安紊乱に関わったことはないですし、わたしのことをミスター・グレイと呼んで、勝手に怖がっているので、十二ゲージ・ショットガンの銃口がこちらを向くことはありません。ちょっと睨まれるだけです。睨まれるくらいなら我慢できます。その視線だって山高帽の縁に隠れるくらいです。

 本当に危ないのは、そこから三百メートル南のファニング・クロスという十字路です。

 ここではウツボ男の目撃情報があります。発狂して怪物になる前はピーター・ローデスという名前がありました。ローデス家はボトル・シティの旧家であり、その惣領息子のピーターはあるパーティで発狂して、怪物化した彼はこれも旧家の名家であるヴァンデクロフト家のマーサ嬢を食べて、姿を消しました。

 ピーター・ローデスこと〈ウツボ男〉は極めて珍しい発狂怪物で、彼は人の言葉も分かりますし、その見た目は極めて紳士的にタキシードを着こなし、何なら理性的とも言われていますが、ウツボと化した両腕は本体ほど大人しくありません。

 霧の深い夜にあらわれて人を食べているようですが、行動範囲は広く、新港湾地区で見た人もいます。ショットガンで撃たれたくらいでは死なないので、ダイバーナイフしか持ち歩かないわたしがうっかり遭遇すれば、たちまち餌食です。

 ちなみにウツボ男ピーター・ローデスにはローデス家から三万ドル、ヴァンデクロフト家から五万ドルの賞金が生死を問わずかけられています。高額の賞金と陸上で見られることから多くの賞金稼ぎたちが彼を追い、そしてバラバラに食いちぎられて発見されています。近々、ローデス家が賞金を五万ドルに引き上げると巷で噂されています。

 しかし、これは善良な潜水士には関係のない話です。闖入ペンギンは興味を持つでしょうが。

 ファニング・クロスを避けて、工場地区に行くなら、道はふたつ。歓楽街近くのカーマイン・ブリッジを渡るか、水上バスに乗ってクレイズ・クロッシングからまわり込むか。

 善良な潜水士はバス代を浮かせるため、カーマイン・ブリッジへ大きく迂回します。ブリッジとはありますが、ボートを十艘浮かべて板でつなげただけの船の橋で水嵩の増減に弱く、そのうちちぎれて、不運な歩行者を沈めるだろうと皆がいいます。

 かといって、もっといい橋をつくろうという意見もありません。ボトル・シティの住人は建設的議論が苦手です。それにケチです。自分がしなくても他の誰かがするさ、という堕落の底なし沼みたいな考え方がはびこっていて、善行に対して称賛の代わりに発狂を疑うので篤志家というものが成り立ちません。

 とはいうわたしも、わたしが渡っているあいだに壊れなければそれでいいし、橋がないなら、今後はボートで動けばいいという代案を掲げて、より良き未来のために世界を変革しようという意志を早々に捨てています。

 カーマイン・ブリッジを無事渡り、工場地区に入ると、工業労働者向け住宅が並んでいて、その裏手の、足場を組んだままの庭の並びでは支柱を巻き込むように水が流れ、泡を立てて、より大きな流れへ合流しようと派手な水音を立てています。

 工場地区も潜るにはいい場所ですが、有毒な化学薬品がかなり沈んでいるというので、注意が必要です。それ以前に水面を覆い尽くす油にまみれることを自分に納得させなければいけません。ぴったりとしたフードとマスクをしても、身体から石油のにおいがするので、ガスが切れるまでシャワーを浴びないとまともな暮らしができなくなります。石油まみれになると食べるものが全部石油味になってしまうのです。

 ジギーはポートレイト・ロードに店を持つ機械屋でわたしも潜水器具の改造でお世話になっています。昨日、豪族の副葬品になりかけたことを考えて、わたしとしては空気タンクをふたつに増やせないかと思ったのですが、

「タンクの在庫がない。相棒が買っていったよ」

 またです。ですから、闖入ペンギンは相棒ではないのです。

 がっかりしているわたしに対して、ジギーがダメ押しの一撃を加えます。

「通信装置がある。マスクに仕込めば、水中で相棒と会話ができる」

 ですから、闖入ペンギンは闖入ペンギンであって、相棒ではないのです!

 ジギーは善意のつもりでしょうが、それが余計に質が悪いのです。それはわたしだって、命を助けてもらったことがバナナ・スプリット・サンデーひとつで帳消しになるとは思っていません。命を助けてもらった恩は命を助けることでしか贖えないのだとは薄々思っています。

 だからって、相棒だと思うことはないではないですか。それに通信装置をマスクに仕込むのはわたしの水中ひとり言を自分からまき散らすという常軌を逸した行為です。そんなものを勧めるのはわたしがあの闖入ペンギンとの会話を欲しているというとてつもない誤解があるせいです。

 思えば、敵は常にこちらの策略の上を行っています。辛いのは闖入ペンギンがわたしよりも優れた潜水器具を身につけているということです。タンクが二本なら重さも二倍ですが、潜水時間も二倍です。しかも、彼は潜水装備のまま、陸地を歩きます。新調したダブル・タンクが多くの人びとの目に入り、彼のほうが潜水士として技術が上であると思われるのは生きながら蟹に食べられるより辛いことです。

 では、わたしもダブル・タンクにすればよい、と思われるかもしれません。それは嫌です。わたしが闖入ペンギンを真似したようです。わたしは気難しい人間なのです。

「相棒にきいたが、地下室に閉じ込められて、溺れかけたんだってな。相棒も心配して――」

 そこでわたしの意識が飛びました。

 そもそもジギーの店もアンクル・トッドやエディ・カールソンと同じで言葉を使わずとも、意思疎通ができるのですが、相棒という異分子のために必要のない会話が割り込みます。さらにあの恥ずかしい出来事が闖入ペンギンによって広められているという事実!

 意識が戻ったとき、わたしは大聖堂地区へ行く水上バスに乗っていました。

 どうやってここまで来たのか分かりません。バスは旧市街と商業街のあいだの大きな池のようば広場をのろのろと進んでいます。

 ベンチが向かい合うように置かれていて、わたしの向こうにいるのは裾がボロボロのイブニングドレスを着た女性で苔まみれの作業用ブーツを履いています。隣には頭の後ろと側面を刈り上げたブロンドの男で劇場の支配人か詐欺師のようです。

 このふたりがロバートという人物について話しているのですが、どうもロバートはふたりいて、会話のニュアンスでふたりはうまく使い分けているようです。わたしにとって、こういう人たちはとても好ましいです。確かに声が大きくてうるさいですが、こういう話し方をする人たちはこちらに話しかけることは絶対にありません。

 以前、近所の通りを歩いていたとき、製鉄工場の作業帽をかぶっていた男が蟹ビールを飲みながら静かに話していたのですが、急にわたしを向いて「あんたはどう思う?」と話しかけられ、倒れかけたことがあります。倒れなかったのは後ろに〈トニーズ・シーフード・レストラン〉のカジキマグロ型立て看板があって、それによりかかったからでした。

 バスは大聖堂地区に着きました。

 桟橋では漁師が仕掛け籠をひっくり返して、ウナギを桶に落としています。何か文学的な功績を残した人物の像のふもとで賭博師たちが集まって、トランプをひらひらと軽やかに裏返したり、表にしたりしています。いまのところ、どちらも相手をイカサマ師呼ばわりはしていません。赤と青と白のスクリューのような回転柱の床屋ではナマズみたいな髭がきれいに整えられていて、アパートの窓から見える奥ではスカーフを首に巻いた女性が裁縫をしています。

 つまり、大聖堂地区は今日も平和ということです。なぜ、意識の飛んだわたしはこんなところに来たのだろうと考えると、そう言えば、昨日、無事に玄室を出られたら、蝋燭を灯して捧げると約束したことを思い出しました。

 完璧に無事かと言われれば、闖入ペンギンにとんでもない借りを作ってしまったという事実がそれを否定しますが、しかし、五体満足に陸を歩いている以上、わたしには約束を守る義務があります。

 ボトル・シティには教会と呼ばれる建物はいくつかありますが、大聖堂と呼ばれるものはここしかありません。わたしは教会建築には詳しくないので、大聖堂は石でできた誕生日ケーキにしか見えませんが、信徒たちにはこれが神の家に見えるのです。

 ちなみにわたしは神さまというものを信じていません。いるとは思っています。だけど信じていません。

 ただ、この街は信心深い人が多いので、それを吹聴すると厄介なことになります。つまり、わたしが厄介なことに巻き込まれることはないということです。人びとの信仰生活について限定の話ですが。

 ボトル・シティの信仰は独特で〈蟹に食われた天使〉を崇拝しています。人類の罪を贖うために我が身を蟹に食べさせたという天使。

 わたしがよく蟹に食べられたほうがマシという表現を使うのはそういうわけです。この街でよく使われる慣用句ですが、信心深い人の前でこれをうっかり言ってしまうと、説教をされます。もちろん、わたしは人前でしゃべったりしないので、そんな心配はないのですが。

 大聖堂の前には細く伸びた広場があって、そこがガラクタ市になっています。

 くさいもの、ずぶ濡れのもの、ふたつに割れたもの、鱗が生えだしたもの、大きすぎるもの、小さすぎるもの、偽のもの、錆びたもの、組み合わせの片方だけ、かじられた跡のあるもの、うっかり揚げ物鍋に落としたもの。

 どれも一、二セントで売られていて、ここの商品を見れば、善良で腕のよい潜水士はよい気分に浸れます。わたしがサルベージしたものが、このガラクタ市に並ぶことはないのです。

 大聖堂の前にはアルファベットを取り外して組み合わせるサイン・ボードが立っていて、『救われるのに遅すぎることはない』とはめ込まれていました。

 天井が高すぎる礼拝堂では〈蟹に食われた天使〉に関する説教が行われていました。ここの教会は教父さまによって運営されています。蒼白い皮に骨が角ばって輪郭を見せる痩せすぎの老人で、よく黒い中折れ帽に黒い背広で歩いているのを見ます。聖職者の服を身につけているところは見たことがありません。彼の教団運営は神秘主義頼りなところがありました。歌を唄うなり、踊るなり、麻薬を吸い込むなりでへとへとになって、その瞬間の頭がぼんやりした状態を神さまに合う準備ができた状態といい、運がよければ、神さまと会える、というわけです。

 教父さまの説教は静かに始まり、だんだん激しくなり、最後は気を失うのですが、そのころには信徒席は半狂乱状態で、そこで不信心なことをやらかせば、文字通り八つ裂きにされます。今も教父さまは祭壇の両端をしっかりと握り、どんなに大きく張り上げても割れたりざらつくことのない澄み切った声で、自身が救われるにはまず自分自身が誰かを救える存在になることが大切だと言っています。

 それはどうでしょう? 自分を救う余裕のない人に他人が救えるでしょうか? わたしなんて、生活の平穏が闖入ペンギンによって破られてしまい、自分のことでかかりきりです。

 教父さまはこうも言います。

「水没を穢す悪魔たちを倒す剣は皆さんひとりひとりの心にあるのです!」

 なんだか水没が好ましいことのように言っていますが、潜ってみれば、水はゴミだらけで怪物が潜んでいるかも分からず、闇は光を食いつくすほどに濃いわけです。ひょっとすると、これは抽象的な表現で、つまり、はやい話が海にゴミを捨てるなと言っているのでしょうか?

 そのあいだにも〈蟹に食われた天使〉から蟹が逃げ出そうとしています。大聖堂付きの聖具係で字が読めない男が梯子で昇って、蟹でいっぱいのバケツを天使像の上でひっくり返します。

 天使像は外殻だけしか存在せず、中身は蟹です。蟹が蠢くと、天使の顔や翼も蠢きます。

 はっきりいって気持ちのいい偶像ではありませんが、誰かのために罪を背負い込むことはきれいごとばかり言ってはいられないのかもしれません。

 しかし、幼い子どもがこの天使を見たら、一生もののトラウマでしょう。

 側廊の壁龕に一本五セントの白い蝋燭を買って、既に蝋燭だらけの壁龕に捧げて、これからは墓荒らしはしないことを誓い、ついでに何とか闖入ペンギンを我が家から退出させるので、よろしい感じの託宣がありましたら、できるだけ早く――わたしが発狂してしまう前にお願いしますと二セントほど蝋燭の隣に置きました(この二セントはわたしが大聖堂を出るころには誰かにとられていました)。

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