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アークメイジとの放課後

作者: 野崎昭彦

 1


 オレはやや緊張しながら、彼女の前に立った。

 ちらり、と後ろを振り返ると、教室の入り口に隠れて様子をうかがうあいつらの姿がわずかに見える。

 正面に向き直っても、彼女はこちらに見向きもせずに本を読んでいる。


 ――明津萌衣あくつ・めい


 眉が隠れるほどまで伸ばした前髪に背中の中程まで届く後ろ髪。

 眼は常に眠そうな半開き。

 いつも文字だらけの本を読みながら、時に一人でニヤニヤと笑っている。

 そんな不気味な容貌の上、あまり人と馴れ合わない彼女はクラスの中で完全に浮いた存在になっていた。


 中学二年の初夏という時期、ほとんどの生徒は仲良しグループを作っているのだが、彼女がどこかのグループに含まれているという話もきかないし、誰かと一緒にいるところを見たこともない。

 それがまるで、禁忌の研究に明け暮れる魔術師のようだ、というわけでオレたちの間ではゲームに出てくる魔術師姿の上位モンスターになぞらえてアークメイジと呼んでいる。

 女子の間では陰気な墓場に生える彼岸花、というのが影での徒名あだならしい。

 その明津の前に立ったまま、オレは大きく息を吸った。

 なにしろ、女子に話しかけるのはこれが初めてのことだ。


「なあ、あ、明津」


 意を決して声をかけると、彼女は作り物めいた動きで顔を上げた。

 胡乱げな表情でオレの方を見上げる姿は、よくできた人形のようでもある。

 戸惑うのは無理もない。

 オレの身長は百七十をわずかに超えている。

 まあ、バレー部としては決して大きい方ではないが、比較的小柄な明津からすれば巨大生物に見下ろされているような感じがするに違いない。


「……寺野(てらの)くん、だよね。何か用?」


 甘ったるい、声だった。

 よく練られた餡子のような甘さ。

 抑揚はなく、感情にも乏しい話し方は、人形のようだ、という印象をさらに強めた。


「えっ、いや、まあ……」


 オレは、言葉に詰まった。

 用意していた言葉がどこかへすっ飛んでしまった。


「えっと、あー……」


 心臓の鼓動が速まる。


「その、なんだ……」


 あいつらの視線が背中に集まる。


「オレ、オレは……前から、きみのことが……」

「そう。……えと、ありがとう、なのかな」


 最後まで言う前に、明津は本を閉じて立ち上がった。

 身長差のせいで、立ち上がってもなお、オレよりも頭二つは背が低い。

 オレを頭の先から足元までじっくりと見て、そして納得したようにうなづいた。


「それは、きみの本心?」


 くい、と首だけを傾げた。

 何かを見透かされた気がして、オレは思わず後ずさった。


「だったら……」


 思いもよらない結果だった。

 罰ゲームなんて乗らなければ良かった。

 後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。


「ねえ、私と、付き合ってくれる?」


 機械人形のような口から紡ぎ出された質問。

 あいつらは出てこない。

 たぶん、半笑いでなりゆきを見守っているか、とっくに逃げているかのどちらかだろう。

 いつまで待っても、ネタバラシに来る様子はない。

 決断するしかなかった。


「……おねがい、します」


 ぎこちなく笑顔を作って、右手を差し出す。

 明津はオレの手を取って、そして口角をぐい、とつり上げた。


「こちらこそ、す、末永く、よろしく……」


 漫画やイラストなら、彼女の瞳にはぐるぐる渦巻きが描かれているに違いない。

 そのくらい、彼女の笑顔は不気味だった。


 2


 それから数日が経った。

 翌日こそさんざんからかわれたが、すぐに飽きたようで今ではまるで話題に上がらなくなった。

 一方、明津は相変わらず人と関わらずに本を読んでいるものの、ことあるごとにオレを見るようになった。

 付き合うとなるともっとベタベタするものだと思っていたが、明津は本当にいつも通りで、ずっと本を読んでいる。


「なあ寺野、お前この頃ずっとアークメイジ見てるよな?」


 同じグループの鳥毛とりげがにやけた顔でたずねてきた。


「お前ひょっとして、本当にあいつ好きだったりするわけ?」

「いや、そんなわけないだろ」


 オレはあわてて否定した。

 あれはあくまで「不人気な女子に好きだっていう罰ゲーム」であって、本当に好きなわけじゃない……はずだ。

 だが、それでも。

 確かにあの日以来、気付くと明津を目で追っていた。

 それは事実だが、だからと言ってそれが好きだとか、そういう気持ちに繋がっているわけじゃない。

 ただ、気になるだけだ。


 そうやっていじったりいじられたりしている内に、一日は過ぎていく。

 放課後、部活で一度体育館に行ったオレは、途中で忘れ物に気付いて教室に戻った。

 と、そこには相変わらず自分の席で本を読む明津の姿があった。


「あ、おい……」


 思わず声をかけると、明津は怪訝な様子で顔を上げた。


「なに、寺野くん? 私の顔に何かついてる?」

「いや、そういうわけじゃ……ない、けど」


 しどろもどろになる。

 なんとなく、気まずい沈黙が流れた。

 オレはこの状況をなんとかしようと話題を考えた。

 しかし、簡単には思いつかない。


「あの、さ……いつも、読んでるよな、それ」

「うん。面白いから」


 明津は表情を変えないまま、文庫本を持ち上げて表紙を見せた。

 意外にも、甲冑姿の「勇者様」っぽい青年がドラゴンと対峙している、ゲームみたいなイラストが描かれていた。


「これ……らのべ、とかってやつか?」

「そう。『ブレイズ・クレスト』のノベライズ本。寺野くんも読んでみる?」

「いや、いいよ。オレ、そういう字ばっかの本苦手だし」

「字ばっかりでもないよ。ほら……」


 明津が開いて見せたページには、表紙の「勇者様」とは別の騎士が乱戦の中で馬を操りながら槍で戦っているイラストが描かれている。

 ただし、相手は魔物ではなく人間の兵士。


「これ、どういう話なんだ?」

「うーん、戦記ものって言って、わかる? 母国を追われた王子様が各地を放浪しながら少しずつ仲間を集めていって最終的に国を取り戻すの」

「ふうん? よくわからないな」


 王子というのは表紙の「勇者様」のことなんだろうが、ドラゴンとはどう繋がるのかわからない。


「これの魅力はね、個性的なキャラクター達が自分たちなりの正義で敵と戦うところ。敵方の帝国にも正義はあるし、圧政にも理由があるんだ。それに、敵方にはドラゴンに変身できる人々が協力してるんだけど、その理由もちゃんと設定があって……」


 いつもと違い、楽しそうに早口でまくしたてる姿を見て、オレは明津がかわいいと思ってしまった。


「じゃあ、今度貸してくれよ。そういうの苦手だけど、きみの話聴いたらなんだか気になってきた」


 だから、こんな言葉もうっかり口走ってしまったのだ。


「うん……じゃあ明日、一巻持ってくるね」


 明津は、いつかとは違って自然な笑みを浮かべた。

 やっぱり、笑うとかわいいんじゃないか、こいつ。


 3


 次の日の放課後。

 タイミングを見て明津に声をかけると、彼女は鞄を開けて文庫本を取り出した。

 表紙の絵柄は違うが、確かに『ブレイズ・クレスト1』の文字がある。


「はい、寺野くん。きっと面白いから、がんばってね」


 そういう明津の顔は、残念ながらいつものお人形さんだった。

 オレは本を受け取りながら、自分の鞄から一冊の単行本を取り出す。


「なんか、借りるだけじゃ悪い気がしたから……こんなのしかないけど」


 オレが明津に貸したのは『デモン・スレイヤー』という大正時代を舞台にした退魔系の伝奇バトル漫画だ。

 悪魔を召喚・使役できる私立探偵や高い霊力を持つ海軍軍人らで構成された特務部隊が人から魔に堕ちた鬼道衆と戦う、という内容で、スチームパンクな世界観や個性的なキャラクターが受けて、いまとても流行っている。

 それを、たまたまオレは人気が出始めた頃から買い始めていて、単行本を今のところ全巻持っていたのだ。


 さすがに女子がこんなバトル漫画に食いつくはずがないとは思ったが、うちに人に貸せるような本がこれしかなかったのだ。仕方がない。

 だが、明津は表紙を見た途端に眼を輝かせた。


「こ、これ……本当に借りちゃっていいの?」

「お、おう……。てっきり、女子はこういうのダメだと思ったんだけど……」

「だって、いますごく流行ってるじゃない。私も気にはなってたんだけど、単行本が品薄で……」


 そうだったのか。

 明津はもう、尻尾があったら振り回しているんじゃないか、というほどに輝いた眼でオレの顔を見上げている。

 いつものお人形さんみたいな、整っているが表情のない顔とは正反対の、生命力に満ちた顔だ。


「ありがとう、寺野くん」

「あー、まあ、いいって」


 面と向かってお礼を言われたのが恥ずかしくて、オレは窓の方に顔を向けた。

 なんだかすごく、耳が熱い。


 4


 オレと萌衣の貸し借りは、それからも数日おきに続いた。

 最初は苦手だと思った文字だらけの本も、読み始めてみたら以外と面白くて、オレとしてはずいぶん速く読めた方だと思う。

 それに、萌衣もあの漫画を気に入ったようで、帰ってきた単行本に感想を書いたメモ用紙が挟んであることもあった。

 いつの間にか、オレはこのまま秘密の関係が続けばいいとさえ思っていた。


 そんな関係が一月ほど続いたある朝、朝練が終わって教室に行くと、いつもと違う、緊迫した空気が張り詰めていた。


「おい、来たぜ」


 鳥毛がオレの顔を見るなりにやり、と笑った。

 嫌な笑いだ。


「ねえ、寺野。あんた『彼岸花』と付き合ってんの?」


 そう問いかけてきたのは女子の大手グループの首魁で、確か大野といったか。


「昨日の放課後、教室でいちゃついてるのを見ちゃったんだよね-」


 大野の手下、体格のいい女子が意地の悪い口ぶりで言った。


「ったく、罰ゲームだってのに、本気で付き合ってたのかよ。ばっかじゃねぇの」

「それを信じるやつもバカだけどな」


 要するに、オレと萌衣が一緒にいるところを女子の大手グループに知られ、さらにそこから男子の、オレのいるグループに伝わって、それが罰ゲームだったと思い出したらしい。


 萌衣の方を見ると、彼女は愕然とした表情でオレの顔を見ていた。


「おい、寺野。アークメイジと付き合ってないなら、コレを捨てても怒らないよな?」


 鳥毛が手にしていたものを高く掲げる。

 オレが今日借りる予定だった『ブレイズ・クレスト』の新刊だった。


「なにそれ、『勇者様助けてー』って? 中学生にもなってそんな、ガキっぽい夢見てるワケ?」


 大野がひひひっ、と笑った。


 オレは、何を言うべきか、何を言ってはいけないのか、考えがまとまらず、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

 男子からも女子からも冷ややかな嘲りの視線が注がれる。


りゅう……くん」


 かすかな声が、耳に届いた。

 萌衣の声だった。

 信じられない事実に驚きつつ、しかしほんの少しでもすがりたい、そういう声だった。

 その声が聞こえた瞬間、オレは何を言うべきか決心がついた。


「あの、さ……。いいんだよ、私は。結局嫌われ者の彼岸花なんだから」


 申し訳なさそうに俯く萌衣。

 大野たちはその姿を見て楽しそうな笑みを浮かべている。

 オレはそんなやつらに近づくと、まず鳥毛の持っていた『ブレイズ・クレスト』を奪い返した。

 それを萌衣の机の上に戻すと、やつらをにらみつける。


「確かに、始まりは罰ゲームだったさ」


 絞り出した声は、思いのほか静かだった。


「だけど、話してる内にだんだん、気持ちが変わっていったんだ……」


 次第に、張り詰めていた緊迫が困惑へと変わっていく。


「お前らはどうだ? この中に一人でも萌衣と話をしたことのある奴はいるか?」


 誰もが顔を見合わせるばかりで、返答はない。


「萌衣を彼岸花と呼んでた奴、彼岸花の花言葉を知ってるのか? アークメイジと呼んでた奴、一つのことをそこまで極める大変さを考えたか?」


 もっとも、これは自分に対するブーメランでもある。

 オレだって、前は面白半分でアークメイジと呼んでたのだ。


「それも知らずにからかってたんだ……そんな奴は、便座カバー以下だ……」


 最後の方、オレは自分で自分が情けなくなって、勝手に崩れ落ちた。

 不思議と心は冷静で、やつらが白けて勝手に解散していくのをどこか冷めた目で見ていた。


「り、竜くん……そんなに落ち込まないで……」


 萌衣が、オレの肩に手を置いた。


「萌衣……こんな便座カバー以下の最低野郎でも……」

「うん、いいよ。……いいんだよ。彼岸花の花言葉は『転生』『情熱』。それはきっと、私より竜くんに合うと思うから」


「赦して、くれるのか?」

「これからやり直せばいいんだよ。竜くんは自分の過ちに気付いたんだから」


 それは、偶然にも『ブレイズ・クレスト』で王子が敵方に付いていた自国の女魔術師を説得し、仲間に加える時のやり取りだった。


「私、明津萌衣は、あなたを臣下に迎えることを嬉しく思います」

「オレ、寺野竜てらの・りゅうはあなたのために全力を尽くします」


 自然と、その後も『ブレイズ・クレスト』のせりふが続き、オレが顔を上げると、萌衣が右手の甲を差し出していた。

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