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私の方だ……。
椿は上着のポケットの内部で振動する着信に気づいたが、その内容を見るかどうか迷う。
「どうぞ……。」
かすれながらも振り絞った登の声に甘え、左手で取り出した。画面ロックを外し、ディスプレイに表示する一文がこんな微妙な空気を打開出来たらいいのに。そんなわけがない。
“メール着信 一件 ”
“「朝からお熱いね。ヒューヒュー。」”
バキッと一音。液晶の割れる音に登は反応したが、椿はそれには気づかない。
あのやろー。観てるな…。観てるね…。何故分かった…。そう言えば、計画したの友人!
何所だ!
自己完結が終わり、目を瞋らしながら首を回して辺りを見渡すが、車道を車が走り、小学生の集団登校。遠くのマンションでは洗濯物を干す主婦がいる等いつも変わらない朝しかない。
高見の見物をしている友人を見つけ出せず、もう一度割れたスマホ画面に視線を戻す。そして今一時起こったことを反省する。
はぁ……しまった。ついつい力んでしまって、義手のオーバーアシストを発動してしまった。たった一ヶ月しか使っていないのに。はぁ……。ん?
辛うじて残っている電信機能が働き、冷やかしの文体の表示の下に画像データが添付されていた。青い文字で数字が並べてある一列に指を近づけるが、止めた。
絶対、何か訳ありのモノだ。友人のことだから二度、三度は同様な展開になる。
要するに、昨日のデータの『主に強く。時に弱いところをチラ見せして男を狩ろう!!(苦笑)』の二の舞になるじゃないか?
止めとこう。そこから抜粋した作戦が現在進行中で混沌を引き起こしている。
自ら危ない橋は渡らない主義である。このタイミングで送ってくることは、傷口に塩を塗り込むより酷くなるだろう。鬼門の先に何があろうとも知ったこっちゃない。
ブルブル
“メール着信 一件”
“「そんなこと言わずにさ、観てごらん(笑)」”
バギギと握り締める手の中にある携帯の断末魔に登は大いに反応するが、目の前の画面ばかり見ている椿には気づかない。
いけない、いけない。画面は見えづらいが、スマホの処理能力は失っていない。ちょっと左腕の調整が必要なようだな。脱力してリラックスしよう。うん。リラックスしよう。深呼吸して……。
ブルブル
“メール着信 一件”
“「深呼吸なんてしていないで、気持ち抑えるなら目の前の彼氏に飛びついちゃえ。」”
遊ぶな!バカ!ボケ!おたんこなす!すっとこどっこい!
その時、登が絶対に潰れた!握りつぶしやがった!と白目見せて反応しても気づかない。
ただ、自損事故によるスマホの壊れゆくことの“落胆”と、しぶとさの“歓心”と、添付してくる画像を見ない“強情”という三つがかき乱れていた。
“反省”はあるものの、左手の力を抑制することに心がけを続ける “学習”が無いことには、この無限ループはいつまでも続く。
ブルブル
光が力を失いかけた切れかけの白黒点滅する電灯のように“メール着信 一件”表示は最後の灯火を懸命に繋いでいるように見えた。
そこまで追い詰めたのは誰にもない私であり、どこにバイブ機能が生き残っているか不思議なくらい。体は頼りなく湾曲し、白濁した亀裂が着信画面の表示を四方八方に支配している。
この携帯の耐久限界と主に私の堪忍袋が破裂するのも時間の問題だ。
これで最後だ。このメールを展開したら後は無視し続けよう。そもそものあいつとの決着を素っ気にして、こんな泥沼化としたやり取りは時間がもったいない。ただ、徹夜してあいつの復元した鞄を渡すだけなのに……。
しかも、あれの決行日が明日でそもそも時間が無い。友達のスパルタ訓練結果は空振りと最悪の事態を迎え、あの空想、傲慢、節介焼きに失望と絶交の二文字の残像が浮かぶ。
えっ友情? 取り敢えず、保留よ。
普段は出ない心の腹黒さに赴くまま、タッチする。短い文と画像が出た。
“「だよね。そんな、性悪さんにはこれだよね。落ち着いて。黒ま……。」”
はいはい……。
「あっ。」
椿は短い悲鳴を漏らした。今の自分自身の心情を突いて来ているような言葉を流し読みしながら、ザラザラしている画面を指先でドラッグさせるとそいつはやってきた。
油断していた分、そいつと諸に目が合ってしまった。そのぬめぬめとした体、ぷくぷく膨らむ腹、独特な全面四本立ち……。そして極めつけの特徴ある飛び出た目玉と大きな口。
通常は大きさ・色問わず気配を感じ次第、方向転換後に全速前進していち早くその場を立ち去るのが奨励手段として提言すると、逃げの玄人「古川椿」は言っている。
椿にとってそこまでの憎悪の対象である“奴”が二次元データとは言え、手の中に存在している事実には耐えられない――。
何故こうなっているんだ……。
今さっきまで外見では自分の握りつぶした電子機器を握っている地獄絵図を背景に、普通は中に仕舞い込んでいる生々しい少女の本音がだらだらの垂れ流しで、視覚と聴覚から来る攻撃にこちらの精神が病みかかっていた。
そんな心臓が鷲掴みにされた後には、意識が遠のきそうな酸欠状態に陥った。バランス感覚はとっくの前に無くなりつつあり、足下がふらつきつつも懸命に耐えている。
ただ今、肩によじ登られて首を絞められています。我、名が登だけに……。いかん。酸欠による意識の錯乱が始まっている。どんなバカ力なんだこいつ……。
険悪な顔から一転。明らかに豆鉄砲が当たった抜けた顔をしたと思いきや、「バチブキガチ(嫌な音と感想)」と握りつぶして、地面に叩きつけたと思うと、手を払いながら手にあったもの全部捨てて、泣き顔でこっちに向かってきた。
二転三転する、差が激しいこの状況にもはや体の反応と理解は着いていかず、靴が片足脱げている椿に為すがままに体をよじ登られた。結果、椿は足を登の肩の上に支え、自分の頭を覆い被さるように蹲っている。目の前が見えないが体の震えようから、何かに怯えているようだ。
彼女の心の声がいつも何故か筒抜けになっていたが、今回は伝わる暇無く体の反応が凌いでいた。スクラップ寸前の携帯の画面に驚いたことに鯨飲があることは薄々察するが、今回は隅々まで詳しくは分からない。――普通はそうか。
自分が事実に落ち着きを取り戻すと、首筋に淡く激しい柔らかな吐息と脳天を包み込む美しい彼女の柔らかい双丘が触れている状況を、底からの鼓動が体を動かすことを妨げていることに胸の奥がこそばしい。
そんな中でも理性を奮い立たせ、ただ今優先すべきことは一つを導く。抱きついている自分の顔が砕けそうになる程、腕や足の締結力が半端無く、このままだと空高い浮き世との教会を超えることになる現状についての対処だ。現実に戻り、激痛より体が密着していることの幸福が勝る状況に彼女の理性が戻れば――だ。
取り敢えず椿を引き離そうとバランスを取りつつ、繋がっている両手で背中の服を掴んで引っ張った。――びくともしない。
次に腰の脇を鎖が許す限り、腕が広がった状態でおそるおそる抱え込むように引っ張った。――動かない。
首筋を挟んでいる窒息の元凶である足を引っ張る。――動かず。
次に後ろの肩に手を駆けて、彼女の背中の後ろを沿うように鎖を滑らした。鎖のこすれた背中がびくっと反応し、一層絞め技が強くなった。逆効果だ。
「が……ぎぎ……。」
再度肩に手をかけて引きはがそうと試みるが、力が到底及ばない。こんな上に乗っている華奢な体の何所からそんな力が……。
しかも、目の前が布に遮られていて真っ黒なはずなのに、闇の中へ意識が遠のいていく気がするのに、世界が真っ白に染まっていくような感じが――。
「なに……に…にげ……て……」
かすれて裏返ったハスキーボイスが絞り出した今の限界であるが幸運だ。呼びかけで彼女の呼吸が落ち着いていくと少しは楽になるだろう。それと同時に闇の彼方からなんとなく川のせせらぎが聞こえてきたが。
女の子が怯えている時、遊び人なら抱きしめて頭を撫でることをするのだろう。密着しているとは言え、そんな傷つけた相手に図々しいまね、そもそも手錠をはめられ首を絞められている物理的傷害がある俺には一言二言の声をかける手段しかなかった。
「どう……し…た……。」
「……&$#&!?」
声が震え、止まらない嗚咽からの音が聞こえない悲鳴。よし。しっかりと反応が返ってきた。次の段階へ……。
「かえるぅぅぅぅ!!」
「ギャッ……ギ…コ…コ……。」
絶叫に伴った反動でピキッと首筋に嫌な音が鳴り、自意識がクラッシュしたけど。




