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朝がきて、マンションが建ち並ぶ間を飛ぶ鳥の鳴き声が聞こえる。

 太陽も雲に隠れながらも、しっかりその熱く、眩しい丸い顔を東の空へ現していた。

 登はそんないつもの変わらないそんな晴れの日の朝に目が覚めた。虚ろな意識がぼんやり残っている中時計を見る。午前六時、学校に行くには約二時間早い時刻だった。ベッドから上半身を起こし三月の末に引っ越して見慣れつつある自分の部屋をぼんやり見つめる。

両手を挙げて目をこすろうと片手をあげようとしたさい、両手の自由を許さない手錠の感触に、不思議に頭では昨日ことを思い出していた。 

 高校生活スタート、悪戯者の襲撃、鍵穴の無い手錠、彼女の半裸、意味有りげな身体能力、衣装、義手――。あんなに虚勢を張り、我が儘で、そのくせにそこそこルックスの良い意地っ張りがあの潤んだ目でこちらを睨めつけるのが考えられなかった。それに自分の彼女が持つ肉体的コンプレックスへの反応に、訳なく声を二回張り上げてしまった……。

登はそこで無理矢理思考を止めた。悪気はないものの、たった昨日でも過去の罪に実際には悩んでもどうこう変わることはない。

取りあえずと、さっと立ち上がり部屋から出る。ドアを開けると居間に繋がる。中央にテーブルクロスの掛けられた長方形でダイニングテーブルに椅子が四つ。手前の壁には母さんが警察の体育大会で獲った懸賞の極薄テレビとソファ。奥には部屋全体を見渡せるダイニングキッチンがある。以前と比べると、春休み丸々使って整理した部屋は数日経ってもほれぼれする。

 母さんは入学式前に「警察からの東京中心にある意味大きく揺れる不安要素の制裁(泣)」とメールが送られてきて、最短明後日まで帰ってこないので他には誰もいない。部屋の電気とリモコンの電源ボタンを押してテレビをつけた。そのまま奥の台所に入り、冷蔵庫に食い物がないか確認する。

 その背後のテレビの中では、繰り返し明日の夜の怪盗×による予告状についての報道が繰り返し流れていた。過去のぼやけた白い仮面・黒いマント姿の走っている映像と共に。



「ありがとうございました~。」

 そんな営業スマイルのバイトのお姉さんに言われながらコンビニを出る。最初入ってきた時の自分のSMプレイを見てドン引いていた顔はどこに行ったんだ?おい。

 そんな衝動を押さえ込み、静かに家の前のコンビニから学校へ歩み始める。

あの後何度か朝飯作ろうとしたが、包丁を使おうとすると指を切断しそうになるは、食パンの袋を開けようにも、時間掛けた割には開けないと散々迷走した挙げ句、学校に行く時間に差し迫っていた。

 服とかの衣服はそのまま袖を通して鎖の抵抗なく着れる、不気味な手錠を付けたまま、千武高校生の証である制服に着替えた登はその姿を社会の窓に晒されることになった。

しかも鞄は昨日の夜に殺されかけたでくのディクにプレスされお釈迦になり、この背中に背負っている可愛らしいパンダの刺繍が入ったナップサックに筆記用具を入れている。小学生の時のパンダ・マイブームに乗って制作したものを母さんが保管していたものを引っ張ってきただけだが、今日みたいな学力テストだけの時は丁度良い。実用性がある。

 ダサ……しっかり役に立っている背中のモノの働きに感謝しつつ、買った袋から今日の朝食である三角おにぎりを取り出す。

左右に引っ張る時に自由の効かない手のぎこちない動きで海苔を三割ビニールの中に留めてしまったが――。

 もはや苦笑の止まらない不幸の連続ににやついてしまう。


「パンダを背負って何エサ食うのニヤニヤもたついているの? このドMウジ虫が。」

 誰がウジ虫だ!と後ろからの女の子の蔑む言葉に食いかかろうとして、止めた。

「古川椿!」

 思わず口にして、目の前の人物を叫ぶ。

 長い黒髪を後ろに束ね、同じ学校の着込まれていない新しい制服に身を包んだ昨日と同じ姿

口調は意地っ張りのどうしようもない変人でなく、人との間を突っぱねた冷たいトーンに変わっているような――。

「お久しぶりね。折原登。」

 お久しぶりねって、昨日初めてあっただろうに。あり得ないと思うが彼女の中では昨日起きたことは、とっくに遠い昔のことですっかり忘れているようなことになっているのか?

 どっちにしろ、くるっと輝いて見える瞳を細め、そこから冷たさを感じるのは事実であり、表面には出さない昨日から続く自分への怒りの誤解を解く方法を自分は知らない。

 何から声をかけたら良いのか分からず、焦りと混乱による軋轢に自分自身が今にも押しつぶさそうで、彼女の涙という枷が自分を執拗に追いかけてくる。

鼓動が早くなり、心臓がじりじり握りつぶされていくような――そんな苦しみに締めつけられる。



大丈夫だろうか……そして眠く、怖い。

 作り澄まし顔の裏で、椿は動揺の波が高くなっていく。後ろに隠しながら持つ、あいつが昨日置いて帰った鞄の取っ手を強く握りしめる。

声をかけた後、登がこちらを睨みつけつつ立ちすくんで固まり、自分の手錠で繋がっている両手で胸を抑え始めた。

たぶん不意を突かれた声かけに、蒸せてしまって一時的な呼吸がしにくく苦しくなっているんだろうといった考察を見ていた。その時、まぁまぁ作戦通りかなと一応納得をしておく。

あの後、朝の入学式ぎりぎりであいつと一緒に滑り込んできたことに、勘の良い同姓の親友にメールであれやこれやと図星を突く推測を聞かされていた。

友人の追求に明日の計画に関係していたことは何とか隠し通せたが、その話(誤解と友人の想像入り)の中で下校まであいつが私に声をかけようとしてたことに驚いた。

“「それなら椿を改造しなくてはねぇ~。」”の怪しいつぶやきのあとに『椿の好感度増強大作戦ニヤ』と題した数冊分の書籍データを添付し送られてきた。


瞬時にスマホの返信画面をタイピングする。

“「えっ作戦? ……いや、普通に謝ったりした方が良いのじゃない?」”

“「ダメ。絶対にここで引いたら尻軽女として軽い目で見られる。」”

“「そう言う訳じゃなくて、かなり大げさになっていると思うのですけど~。手錠もかけっぱなしにしていること忘れていたし。」”

“「なら縛られてヒーヒー喜んでいるクソ豚共を踏みつける女王様とか、愚民共の上に君臨し女帝のキャラ思考な椿だからこそできるよ!それで伸びるところはあるよ! 実際にあいつドMのようだし。」”

“「私ドSじゃないよ! 普通に地味で下向きな女の子で……」”

“「そうか……謎を呼ぶ美麗な容姿を持つ女スパイか……。女子高生デビューだもんね。大人っぽい方向で行きたいよね。彼氏欲しいよね。」”

“「違う!」”

 そんな悲痛の叫び虚しく、友人はそこから抜粋した「男性と距離を突っぱねて、そこから美味しい果実で前より引き寄せる」作戦をかなり強引に勧めてきた。

ぐうの音を言わさない携帯端末越しのスパルタ訓練のおかげで夜は眠れなかった。作戦の調整も出来なかった。


 昨日の誤解を解くことと、鞄を渡し、昨日の晩のディク騒動と手錠をずっと一晩かけさせたことを謝るだけだ。

それだけ――それだけ――。

「そんな滑稽な姿で、残飯を頬張る哀れな乞食には呆れるな。」

 何百回も口ずさんだセリフの一つを言った。喉が枯れかけた。でも作戦の最初の掴みは良かったから、この調子で押し切っていこう。

 椿は心の中で拳を振る。

 

そもそも昨日の夜のディクの件はきっちり謝っていない。死にかけそうになっていたのに。

その後、私の右腕を抜かれ、慌てて抜かれた左肘の接合部の先を確認すると、同時にスカートを着けていないことに気づいた。いや、厳密に言うと別にスカートが有っても無くても『怪盗スーツ』の性能に大した差は起きない。

 しかし、ただでさえ胸やくびれのラインがくっきりと出てくる“見せすぎ”サービス満載のスーツである上で十代の幼気な女子高生(制作中は中学生)には抵抗がありすぎるものだ。

設計段階で分かりきったことなので、せめてもの抵抗で隠せる下半身はスカートを着用。腹を括って、上半身は夏から身体能力増強・スタイル保持を専念することにし、トレーニングを受験勉強の合間に行っていた。

 いわゆる水着で肌を見せても大丈夫な状態であるが、全裸に近い格好を見られた事実に、恥辱のなすままに左腕を奪い取り、逃げ出した最中に心ない暴言や行動をとってしまったのだろう。私との接し方に難を現しているようだ。

 そんな誤解を解くための作戦だ。


「長……。」

 ゆっくりかすれた声で一言だけ言い、握りしめた拳は今にも潰れそうだった。


 怖い……怖いよ……。

 やっぱりこの「男性と距離を突っぱねて、そこから美味しい果実で前より引き寄せる」作戦は無理があった! ……途中で薄々勘づいていた私は確信犯だけれども。

 そりゃ「ドM」とか「ウジ虫」や「哀れな乞食」等と罵声を浴びさせられたらアホじゃない限り普通に怒るだろう。……怒っているよ!

 くそう。友人の“「あいつはドMらしい疑惑」”はどこから根拠に言ったんだ? 鎖に繋がれていたのは“豚”でなく、調教出来ない“獣” だよ!

……確かに私でも手錠をかけられて、みょーに興奮状態になっているからそうとも思ったけど……。手錠かけられてヒーヒー喜んでいるからだし……。

少しでも目が合ってしまうと、今まさに私を狩り襲ってきそうな目が――殺気のような雰囲気が私を動けないよう拘束する。



 やばい。緊張のあまり「長…」しか声が出ていない。本当は「長く固まっているけど大丈夫ですか?」と言いたかったのに。……結構長いな。

これだと何を伝えたかったのか訳が分からないよ!最初の形容詞と最後の述語が連動してないから、ありとあらゆる意味で取れるぞ! おい登!何間違えてんじゃ!ボケ!

登は半分自虐気味になりながらも、ぐっとこらえて真っ直ぐ椿を見つめる。そのとき、重ねた手が無意識にお互いを強く握りしめた。

謝ろう。そうだ謝るしかない。左腕に関することを聞かれると正直弱いけど……。

もう、うだうだ立ち往生してもしょうがない。いつまでガキみたいなことを続ければ気が済むんだ? 折原登!


 勝手に考え、勝手に悩み、勝手に納得した登はただ引いている椿に目力を送り続ける状況には気づかず、己もタイミングを伺うというヘタレ御用達の大義名分下のもと声をかけない醜態をさらした。

数十分後、一つの携帯の短いバイブ音が鳴るまで続いた。

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