南のバカブ神その3(言葉の鎖)
2・言葉の鎖
ニコラスは夢で旅をする。
意識が自分の体を離れ、起きている誰かの『目』に入り込み、様々なものを観て聞いて来た。
今夜の目の持ち主は、雪の様に白く細い手を持つ者だった。
その手が、天上から幾重にも垂れ下がった薄衣を掻き分けると、丸いベッドに年の放れた兄と妹が寝ていた。
長い黒髪の少女はまだ幼く、呼吸は安定していたが、その顔は血の気がうせて白かった。
その頬に、優しく触れる手はさらに白かった。
「ありがとうございます」
その声はとても小さく、けれど確かに聞き慣れた声だった。
少しして少女の頬にうっすらと色がさすと、その手は頬から放れた。
視線が手前に移った。
黒い眉をハの字に歪ませ、荒い呼吸を繰り返し、ひどく汗をかいている青年が寝ていた。少し硬そうな黒髪に、浅黒い肌。
熱い息を吐く唇が、微かに動いた。
「・・・い・・・くな・・・」
どのくらい見つめていたか、視線が揺れた瞬間、声がした。
「いくな・・・」
白い手首を、浅黒く大きな手が掴んだ。
「いけません。
今の貴方は、私に触れるのも毒です」
捕まれた手を振りほどくのは、簡単なはずだった。
「・・・いくな・・・
いくな・・・」
うなされていた。
しかし、その一言が、ニコラスにはどんな呪文より強い気がしてならなかった。
強く強く・・・
言葉にした想いはどこまでも強く、まるで言葉の鎖で羽交い締めにしているようだった。
「アレル・・・
私は・・・」
ニコラスは、この人のこんなにも苦しそうな声を聞いたことがなかった。
「・・・いくな・・・」
縛られるのは心。
心が縛られると、体も動かない。
だから、捕まれた手を振りほどけないのだろうと、ニコラスは思った。
「アレル・・・」
切ない声が胸いっぱいに響いて、たった一人の名前で胸が満たされた。
そして、ニコラスは目を覚ました。
その頬は濡れていた。