北のバカブ神その26(ケルベロスの闇)
26・ケルベロスの闇
貴方は『支配』する者だった。
私たち一族の頂きに立ち、総てを支配していた。
あるときは力で
あるときは温かな心で
貴方に本気で逆らった者などいなかっただろう。
そう、あの瞬間までは。
「ここは?
お前は・・・
頼む、私にもう一度チャンスをくれないか?
今度こそ、永遠の命を・・・」
貴方はまだ死んではいない。
その命は、永遠ではないが普通の何倍、何十倍、何百倍はあるさ。
「なら、ここから出してくれ」
あの瞬間・・・
ジャガーが生まれた瞬間、貴方は生まれたばかりのその小さき命を消そうとした。
「しらない!
私は・・・」
貴方は一族を護る者。
妻の腹に宿りし命が『終末の子』だとしたら、迷い無く消そうとするのは間違いではない。しかし、貴方は消さなかった。
『この命は他の子と変わらない、私と貴方の子。
貴方は一族を護るとおっしゃるのなら、この子もまた新たな一族の一員です』
妻である女神に言われ、貴方は授かった命を消すことが出来なかった。
「わ・・・
私は知らない」
そのおかげで、彼は今も闇の中で眠っている。
貴方を包むこの闇は、ジャガーを包む闇より薄い。
ジャガー神になりたいのだろう?
神話の通り、ジャガー神は聖樹に封印されている。
力の全てを両の目に封印され、その目を刳り貫かれ、四肢を幹に繋がれ・・・
彼は何を思っていると思う?
「私は知らない!」
この闇は冥界へと続く闇。
我が兄、創造神エル・クアオムよ、手始めにこの闇を支配してはいかがかな?
「私は知らない!
私は知らない!
私は知らない!
私は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
出来ぬなら、そこで見ているがいい。
己が造りし世界の終末を。
二人は下から上がってくる滝の頂に足を浸し、眼下に広がる広大な土地を見ていた。
数時間前までは、どこもかしこも凍りついた国だった。
それが今では、極寒ながらも緑は多く木も草も花も、皆背は低いものの青々と生い茂り、大小様々の豊富な川が流れていた。
そして、あちらこちらにある大小の滝は、皆そろって下から上へと大量の水が流れていた。
「無事、北のバカブ神も覚醒ってとこだねぇ。
殺しておかなくて、いいのかい?」
肩につく癖のある赤髪を揺らし、少し前までアネージャと呼ばれていた自殺の女神ジ・エルフェは、自分と男の間に立つケルベロスの闇色の毛並みを撫でながら笑った。
「何も言われていない」
これが、この国の真の姿か。
と死の神アープ・チィムは、足下から様々な命の鼓動を感じていた。
死者達の住んでいた城下町も、器をなくした者達が過ごしていた城も、一気に水と植物に飲み込まれ、跡形もなくなっていた。
「あんな奴を飲み込んだままじゃ、腹ぁ、くだしちまうよ。
ねぇ」
チィムと同じ、冥界の匂いがするのだろうか。
ケルベロスはエルフェに向かって鼻を鳴らした。
「これからどうするんだい?
あんたも、ここのお守りはお役御免なんだろぅ?」
「魂の声を聞きに」
私は私。
あのお方は、あのお方。
そう、チィムの考えは決まっていた。
「なんだいなんだい、つまんない男だねぇ。
・・・まぁ、アタイの邪魔はしないでおくれよ」
エルフェはかったるそうに言いながらチィムに背を向けて歩きだし、程なくして気配を消した。
「悲しき魂が呼ぶままに・・・」
眼下の森を駆けていく者達が居た。
チィムの瞳には、その者達の魂がひどく悲しみ、迷い、助けを求めているのが映っていた。その迷える魂達は、北星の導く道を走って行った。
・・・総てはあの方の意のままに・・・