北のバカブ神その19(あの日のこと)
19・あの日のこと
優しく流れる水の音、不規則に落ちる水滴、激流・・・
『水』の音が聞こえた。
視界はない。
今までの記憶が無い。
何処で何をしていたのか、どうしてここに居るのか・・・
そもそも此処が何処なのか・・・
自問自答するも、答えは出なかった。
「知りたいのなら、目を開けて」
水の音とは別に、その声は頭に直接響いてきた。
「ここは・・・」
目を開けていたつもりだったが、その声に導かれるように、視界が開けた。
幾つもの水音が聞こえたのに、周囲は真っ白だった。
何もない空間。
「お帰りなさい、クレフ」
「ルイ・・・」
何も無いこの空間に、もう一人のクレフが居た。
背格好も髪の長さも表情も・・・
何一つ変わらない、もう一人のクレフ。
ただ、お互いを見詰め合う瞳は異なっていた。
薄い青紫の瞳がルイを、濃い青の瞳がクレフを映していた。
「ルイ」
クレフの探し人だった。
ずっと探していた、もう一人の自分。
触れて抱きしめたいのに、体は動かなかった。
「貴方の体が動かないのは、夢だからではなく解っているから。
私が・・・」
「ルイ、今までどうして?」
ルイは、クレフの心を見透かしたように言葉を紡ぎだす。
解っていた。
しかし、最後まで聞いてしまったら認めざるを得ない。
だから、クレフはそれを遮るように声を出した。
「クレフ、ごめんなさい。
貴方の言うことを聞かなくて。
貴方の言うことを素直に聞いていれば・・・」
ルイの背後に現れた映像は、『あの日』の惨劇だった。
水の音は止み、代わりに激しい風の音がした。
巨大な竜巻が城下街を城を襲い、幾人もの人々を飲み込んでいった。
無色の『風』が『朱』に染まった日。
「私が統べてを奪ってしまった。
この国の喜び、悲しみ、怒り、楽しみ・・・
全ての命を」
そう、あの日、クレフは間に合わなかった。
「あの日、自分の『時』が終わった事を理解出来た者は少なくて、あの後も人々の魂はこの城下街で暮らしていた。
いつもと変わらない時を過ごし、『時』が終わったと感じた者はゆっくりと旅立つ。
中には、理解出来ていても気持ちがついていかない人もいた。
そんな人は納得いくまで過ごし、時がきたら死の神が案内していく。
私は見届けなくてはいけなかった。
最後の一人が旅立つまで」
それが、ルイに課せられた罰。
「死の神は、人々が自然に時を終れるよう、
『街から出ない・命有るものは入れない』
というルールを作った。
けれど・・・」
ルイがクレフの後ろを指さした。
今までの風景は瞬時に消えうせ、アレルとニコラスが見えた。
二人が立つ『そこ』が、『今』だと分かっていた。
二人は戦っていた。
「死の神は死者を呼ぶ。
声なき声で助けを求め、心残りのある『魂』はこの国に集まってくる。
・・・その中に彼が居ました」
もとは人間か。
頭には角を、背中には羽を、全身を黒い毛で被われた獣が二人の相手だった。
「魂と器は違う者です。
魂の彼は、純粋にジャガー病の治療法を求めていました。
何らかの理由で器を亡くした彼の魂は、あの魔導師の器を奪い捕りました。
けれど、器にのこる本来の『意識』がジワジワと彼を食べていき、弾かれた魔導師の魂は黒目になって、統べてを見ていました。
しかし今、見るだけの器を捨てました」