北のバカブ神その15(暴走)
15・暴走
長テーブルの端に座っている男は、狂気を隠さない。
蝋燭の明かりで確認できるのは、灰色の豊かな髪を綺麗に後ろに撫でつけ、細面の顔に細い眼鏡を掛けてること。
細身の体を、ぴったりとした上品な服に包み、手袋をしていることだった。
人間を解体した部位と花と蝋燭で飾られた長テーブルをはさみ、男はニコラスに熱い思いをぶちまけた。
話の途中で変えた白い手袋は、ジワリジワリと黒く染まっていく。
蝋燭の揺らめきの中、椅子に座るジャガー病患者たち。
それらは視線も虚ろに、ただただテーブルを挟んだお互いを見ていた。
怖い・・・
男の狂気、醜悪な部屋の飾り、いつ襲ってくるか分からないジャガー病患者。
冷たい汗が出て、気を抜くと呼吸が乱れそうになる。
恐怖に飲み込まれそうなのを、胸元のココットの温もりが止めていた。
部屋の奥、男の後ろのカーテンが開いて、上半身裸で黒い翼を広げたアレルが現れた。
男は素早くアレルの横に立った。
「どうです!
彼はジャガー病と共存している!
なんて素晴らしい!
この大きく黒い翼!
鋭く伸びた爪に、獲物を食らいつくす太い牙!」
男は自分より少し高い、アレルの鍛え上げられた体に触れた。
自我は薬によって押さえ込まれているのか、うなだれ、四肢が小刻みに震えていた。
「スーラの国の研究は、そこそこのデーターが取れましたが・・・
彼はとても強い!
病と共存した彼の遺伝子は、自分を強くしているウイルスを『劣等遺伝子』と見なすでしょうか?
性交は可能なのか?
受精率は?
産まれてくる子供は?」
この男が熱弁を奮うほどに、ニコラスはとても悲しい気持ちになった。
男との距離が、とても遠くに感じられた。
「アレルさんの頭も、弄ったんですか?」
ニコラスの質問に、男は痙攣したかのように止まって、ゆっくりとニコラスを見た。
「新薬を飲ませるのが精一杯でしたよ。
この体の震えは、微かに残った理性が闘っているんでしょうね。
身を委ねてしまえば楽でしょうに」
男は少し苛立ったように言うと、アレルの黒髪を引っ張り、その顔をニコラスの方へと向けさせた。
二本の牙が生えた口は大きく開けられ涎が滴り落ち、顔は強張り、黒い瞳は狂気に彩られていた。
そんなアレルを見ても、ニコラスは落ち着いていた。
恐怖を感じるどころか、アレルの狂気が悲しかった。
黒髪の少女の願いは、どうすれば叶うんだろうかと思った。
「この新薬がどこまでその個体の力を強くできるか、そのデーターも欲しいのですよ」
男は、アレルの口に、カプセルをいくつか投げ込んだ。
「一日、食事を抜いていますから」
そう言うと、その姿を瞬時にアレルの背後に隠した。
速かった。
ニコラスの前、テーブルの上に上がったユニコーンを軽く薙ぎ払い、ニコラスの胸元を取ろうとした。
「恨みっこ無しですよ!」
ニコラスは椅子ごと後ろに倒れ込み、回転しながら体制を立て直した。
同時にユニコーンを仕舞い、追いかけっこが始まった。
狂気の瞳で、大きく口を開けながら迫ってくるアレルは、他の感染者より遥かに速かった。
それならばと、ニコラスはあえて感染者の中に飛び込んだ。
アレルの鋭い爪や牙は、感染者達の肌を引き裂いていく。
部屋中の装飾品が倒れ、引き裂かれ、蝋燭の火がそれらに引火した。
感染者達の血と脂と、それらが燃える臭いが充満した。
断末魔が響き渡り、炎の灯りと熱・・・
まるであの日みたいだと、ニコラスは初めてアレルと会った教会を思い出した。