北のバカブ神その13(入城)
13・入城
月はない。
暗闇の中、ニコラスの周囲を照らしているのは、フワフワと飛ぶ小さな小さな召喚獣だった。
その、ほのかな灯りだけを頼りに、気の向くままに足を進める。
胸元のココットの温もりを頼もしく思いながら、防寒用のマントの前を確りと握りしめて。
止まってしまったら、闇と冷気に飲まれそうだった。
「飛ばされたのが近場で良かったね。
あの森を迷わずに歩くのは、自信ないから」
気がついたら、ニコラスとココットは城下町近くの森に倒れていた。
アレルを探したが、影も気配も感じることが出来ず、警戒しながら城下町へと進んだ。
城下町は廃墟だった。
モルガンさん達の話だと、この城下町は母さんの魂が暮らしているはずの集落のはずなのに・・・
生きている人の気配がないなぁ。
育っていたのは氷の針葉樹や、氷の抵木だった。
石畳だったものや、家だったものは、壊されたままになっていた。
それらの間を通って、風が泣いていた。
「新月になったから、チィムさんが魂を聖樹の元へと導いていったんだね」
「管理者が居なくなって、結界も解けて、本当の城下町の姿がこれなのか・・・
手品の種明かしみたいだな。
って、こんだけ暗かったら見えないな。
足元、瓦礫で危ないな」
ぼんやりとしか見えない足元を、ココットは目を凝らしてニコラスの胸元から見ていた。
「んで、アレルは逃げろって言ってたよな?」
ニコラスの足がピタリと止まった。
「・・・ついちゃった」
ココットの言葉を故意に聞き流して、ニコラスは大きく見上げた。
ぼんやりとだが、城らしきものが見えた。
目の前の門は、ニコラスを拒むかのように頑丈に閉まり、門の隙間から吹き込む風はニコラスから防寒用のマントを吹き飛ばそうと頑張っていた。
「まだ、戻れるぞ。
アレルは『逃げろ』って言ったんだ。
逃げよう。
逃げて姫さんに報告しないと」
確かに、現状ではそれが一番いいとニコアスも思う。
しかし、レビアのあの様子を見てしまったら、今は無理だとも思った。
「ねぇ、ココット、不思議だと思わない?」
「何が!?」
あまりにも呑気なニコラスの問いかけに、ココットは思わず声を荒げた。
「なんで僕たちは、この城に飛ばされたんだろう?
モルガンさんたちが飛ばしたのかな?
なら、なんでアレルさんは一緒じゃないのかな?」
じっと門を見つめるニコラスは、どこか『心ここにあらず』といった雰囲気で、ココットは思わず耳たぶを噛んだ。
「イタ!
痛いよ、ココット!」
「そんなの、オイラに聞かれても分かるわけないじゃん!
いいかニコ、アレルは『逃げろ』って言ったんだぞ!」
ニコラスの肩から下りると、ココットは人型になりニコラスの腕を取った。
「アレルはちゃんとニコの成長を認めた上で『逃げろ』って言ったんだ」
「・・・ココット、最近いい子だね。
いい子っていうより、なんだかアレルさんに似てきたみたい」
今にも食って掛かってきそうなココットを見て、ニコラスは少し驚いた。
「オレッちは、ニコが傷付くのが嫌なんだ!
アレルも居ない、ガイも居ない、姫さんだって、大きいのだって・・・
師匠も居ないんだ!
オレっちだけでニコは守れない!
強くなった、ニコは前よりうんと強くなった。
けど、オレっち心配なんだ。
オレっちが弱いままだから、何かあったら、皆のようにニコを護れない」
今にも泣きそうな程必死な姿のココットを初めて見て、ニコラスは不思議な感覚を覚えた。
「アレルに言われたことがあるんだ。
オレっちは召喚獣っぽくないって。
呼ばれもしないのに、用もないのにニコの側にずっと居て、そのくせ戦闘ではなんの力にもならない。
何のために存在してるんだ?って。
言われて考えたんだけど、オレっちバカだから・・・
でも・・・
ニコが大切なことだけは・・・」
大きな瞳から、ぽろぽろと涙をこぼしながら、ニコラスの腕を掴む手に力をこめた。
「うん、そうだね」
その手にそっと自分の手を重ね、もう片方の腕でココットを抱きしめた。
「ココットは召喚獣っぽくないよね。
ココット、君は僕の友人だよ。初めての友人。
家族で、兄弟で、親友だと、僕は思っているよ。
師匠から初めて召喚獣の卵を渡された時
『貴方に必要な召喚獣が産まれます』
って言われたんだ。
僕には友達と呼べる存在が居なかったから、だから君が産まれてくれたんだよ。
ありがとう、ココット」
「・・・ニコ」
「それに、君も十分戦力になってるよ」
「ニコ・・・オレっち嬉しい。
けど、ソレとコレとは別だ。
行かせないからな」
ニコラスの肩で涙をぬぐって、ココットは勢いよく顔を上げた。
「僕だって、アレルさんの言うこと事を聞かない訳じゃないんだけれど・・・
さっき、ここに飛ばされている間に、久しぶりに夢を渡ったんだ。
・・・ちょっと違うかな?
僕は僕だったんだけれど・・・
ああ、上手く言えないなぁ
・・・ともかく、夢を見たんだ」
スっと、城の方へと視線を上げた。
「たぶん、ここにルイさんがいるよ。
僕を呼んでいる」
嫌悪感しかなかったあの夢の中で、自分を誘っていたのはルイだとニコラスには確信があった。
「・・・分かった。
オレっちの負け。
その代わり、逃げるときは引きずっても逃げるかんね。
オレっち一人では逃げない」
じっと城を見上げるニコラスの横顔を見て、ココットは大きなため息と共にいつものサイズに戻り、ニコラスの胸元に潜り込んだ。
そんなココットにお礼を言うと、しっかりと城に向き直った。
が、門を触る気にはならなかった。
よくよく見ると、鉄の門には色々なものがへばり付き、隙間から見える向こう側には、伸び放題の雑草の影に、何かの肉や骨が見えていた。
夢で観た鉄格子の中を思い出した。
「怖イノカ?」
突然、頭上からガラガラした声に声をかけられ、ビクッとして上を見た。
そこには、『目』があった。
「躊躇シテイルナ」
ニコラスの反応を楽しんでいるのか、この前みたいに敵意を剥き出しにはしていない。
ニコラスは大きな目と視線を放さないよう、ジッと見つめながら一歩下がった。
「君の御主人様は、この中ですか?」
「遠慮セズ、入レバイイ。
コレカラ素敵ナパーティガ始マル」
アレルさんなら、さっさと燃やしているだろうな。
と思いつつ、どうしようか思案していると、錆びた音を響かせて門が内側に開いた。
門の隅に、うっすらとローブ姿の人物が立っているのを見つけた。
『目』には見えないのか、その不気味な目に不思議そうな色を浮かべていた。
門が開けられると、続いて離れた奥のドアも開いた。
瞬間、異臭と共に異様な空気が噴き出し、ネットリとニコラスに絡み付いてきた。
胸のムカつきを覚えながら、先刻視た夢の場所はここだと確信した。
「君が道案内をしてくれるつもりなら、要らないよ。
それとも、僕と戦うなら・・・」
なるべくなら、力は温存しておきたい。
威嚇のつもりで、ニコラスは腰の剣を抜いた。
「報告報告」
その抜かれた剣先を見て、『目』は呟きながら城の中へ消えていった。
闇の口を開けた城の中で、白いローブがぼんやりと見えた。
まるで、ニコラスが入ってくるのを待っているかのようだ。
夢の時のように案内をしてくれるのかな?
と思いながら、ニコラスは剣を構えたまま城の敷地内に足を踏み入れた。
城内に入って直ぐ、充満する血と脂の臭いで嗅覚は麻痺した。
暗い闇を燈すのは、所々にある柱の松明。
血溜まりと脂で足元が安定しない。
ニコラスが通った後にはモンスターの屍が横たわり、これから通る道には腹を空かせたモノたちが待ち構えていた。
退路に事切れた骸を広げ、発病者を目の前に、
『発病したら、もう人間じゃない』
以前、ガイが言っていた言葉を思い出していた。
そして、アレルが『終わらせた』時間はどのくらいなのかと、発病者の命を奪ってきたアレルを思った。
向かってくるモノを切っていく。
『躊躇いは自分や仲間を危険に曝す』
タイアードの教えを胸に、胸元の小さな温もりを守り通そうと、ひたすら剣を振るった。
戦いが一段落すると、白いローブは姿を現してニコラスを導いた。
「なぜ、聖樹のもとに行かないんですか?」
この人の心残りは何だろう?
乱れた呼吸を整えながら、導かれるままに足を進めた。
ローブの後ろ姿を見ながら、考えているニコラスの頭に、声が響いた。
『魂の滅びが先か・・・
肉体の滅びが先か・・・』
夢の中でも聞いた言葉だった。
頭の中に直接流れる声は、どこかクレフに似ていた。
この異様な空間と異様な臭いに、ニコラスは頭の痺れを覚えた。
あの街に似た感覚だと思い出した。
あの街は冥界にとても似た空間のせいか?
新月でもアレルがジャガー化しなかったのは、『人間の負の感情』のおかげか?
レビアが呟いていたのを思い出した。
しかし、この城の中は違う。
相手は全部発病者だ。
「汚れなき花よ」
ニコラスの通ってきた『道』に花を咲かせた。
白月花草。
冥界に咲く唯一の花。
少しでもこの空間を、命を浄化出来ればとニコラスは願った。
これぐらいなら、『神』の力を意図的に使える事が出来るようになった。
『護りたいモノ』もできた。
けれども、まだ心のどこかで、何かが足りない。
その何かが埋まらないと、自分が消えてしまうのではないかという思いが、ニコラスにはあった。
初めて神として覚醒した瞬間、『今の自分』ではなくなっていた。
その違和感は少しづつ薄れているものの、神の力を使うたびに『今の自分』が消えていっているのではないかと、不安に思うことがあった。
『自分』が消えてしまうのでは、発病者と変わりがない。
『自分』が消えてしまえば、もうこの闇と同じだ・・・
ニコラスの心は、いつしか闇に飲まれていた。
闇・・・
「お兄様を助けて下さい」
ボンヤリしていたニコラスの目の前に、黒髪の少女が現れた。
「君は・・・」
いつもニコラスを『夢』から助けてくれる少女は、大きな黒い瞳にたくさんの涙を溜めていた。
「お兄様を・・・」
いつもと違って、少女はすぐに姿を消してしまった。
瞳からこぼれた涙は、幾つもの小さな星のように、闇に漂った。
瞬間、鋭い痛みにニコラスは我に返った。
白い花が、汚れた床を埋め尽くす。
屍を栄養に、花々は急成長し壁や天井まで広がっていく。
そんな中で、ニコラスは座り込んでいた。
「ニコ、大丈夫か?」
心配そうに見つめるココットの姿が飛び込んできた。
痛みを感じる左の小指を見ると、小さな噛み傷が付いていて、軽く出血していた。
「ごめん。
ここで血を流すのはマズイって分かってたんだけれど、ニコが・・・」
「うん、僕が悪いんだ。
大丈夫、このくらいなら治せるから」
泣いて震えるココットの小さな小さな背中をさすりながら、ニコラスは深呼吸した。
「ありがとう、ココット。
この城の『不の感情』に飲み込まれてたみたい。
おかげで目が覚めたよ」
短い詠唱で傷を治すと、ニコラスは自分の頬を平手打ちした。
「あの少女が泣いていた」
赤くなった頬をさすりながら呟くと、ココットを胸元に入れ、再び歩き出した。
白いローブに導かれ、薄暗い城内を進んでいった。
剣を振るい花を咲かせた。
どれぐらい進んだのか分からなかった。
距離も時間も分からず、剣を振る手が痺れてきた頃、大きな扉の前に白いローブが立っていた。
「迷えるモノたちに導きを」
その姿が吸い込まれるように扉の中へと姿を消すと、今まで以上に重々しい音を立てて、扉が開いた。
解き放たれた臭気にむせ返りながらも、薄暗さに目を凝らした。
白いクロスと色とりどりの花と、人体の一部であったモノが肉片や血痕等がへばりついたままで飾られた、長いテーブルが中央にあった。
等間隔で置かれた燭台に照らし出されるのは、それを囲む涎を滴らせたモンスター達。
不思議なことに、ジッと席に座って微動だにしない。
ニコラスは素早く小声で詠唱を終わらせた。
それに反応したのか、部屋の奥、テーブルの一番恥に座っていた影が立ち上がった。
「待っていましたよ、ニコラス君」
その影は、話ながらゆっくりと近づいてきた。
「君が、あのジャガー村・・・
ああ、失礼。
私達ジャガー病研究者の間では、そう呼んでいてね。
あの村の唯一の生き残りである君に会えるなんて、本当に嬉しいよ」
距離が縮まっていく。
危機感を覚えたニコラスは、指を鳴らしてユニコーンを召喚した。
スッと、ニコラスと影の間に入り込んだ。
「君と話したいことが沢山あるんだ。
よろしく、ニコラス君」
暗闇から差し出されたのは、白手袋の手だった。