北のバカブ神その6(ユニコーンと闇の犬)
6・ユニコーンと闇の犬
集落から逃げ出し、森を真っ直ぐ走り、黒尽くめの男と影に襲われ、自分と同年代の姿になったアレルに助けられ・・・
ニコラスの頭は混乱していた。
混乱しつつも、足元はしっかりと地面を蹴り、確実に前進していた。
「アレル、子どもの姿だったな。
後ろ、平気そうだぞ」
ニコラスの胸元から身を乗り出し、ココットが後ろを確認した。
何も追いかけて来ない。
しかし、血の臭いと殺気は強く感じていた。
「とりあえず、結界の外に出ないと、僕何もできな・・・い」
走る視界の端に、何かが入り込んできた。
不意に、スーラ国の居空間に迷い込んだ時に感じた雰囲気を思い出した。
足を止め、ココットが走れと呼ぶ声を聞き流し、そっちを向いた。
「あれ、生きてんのか?」
氷の茂みの向こう、深くフードを被りうつむいて立っている者が居た。
その人物は、ニコラスが足を止めそちらを向くと、ほんの少し顔を上げ、スッと手を上げた。
「・・・茂みの中?」
その指先がさしていたのは、ニコラスの進もうとしていた道から少し外れ、茂みの中を指していた。
「え?
行くのか?
大丈夫か?」
その指し示された方向に走り出したニコラスに、ココットは慌てて声をかけた。
道はない。
行く手を邪魔する氷の茂みを掻き分け、霜で覆われた地面を足で踏みつけ進んでいく。
その手は冷たさでかじかみ、氷の破片で切れた。
手袋、家に・・・
母さんの所に忘れちゃったんだ。
ピりっとする痛みで、あの家に手袋を忘れたことに気が付き、
現実なら戻れるはずなのに・・・
と、母を思って、ニコラスは少しだけ切なくなった。
「たぶん、大丈夫だよ。
あの人からは、嫌な感じがしないもの。
それに・・・
早くアレルさんを迎えに行かなきゃ。
顔色が悪かったし、新月も近いから」
「感!?
感なの?
しかも、アレルを迎えに行くつもりなの?
逃げろって言われたじゃん!」
みるみるうちに、月明かりすら届かなくなり、辺りが暗くなっていく。
森が深くなって行くのか、時間が進んでいくのか、ニコラスには分からなかった。
「姫様は新月には行くべき場所があるみたいだし、ガイさんは別件で合流出来ないんだって言ってたじゃない。
師匠は居ないし・・・
僕が何とかしなきゃ」
「何?
その使命感!
おれっチ、あの犬怖いよ!」
「僕だって怖いし、さっきの今で混乱中だよ」
「混乱中?
そうは見えないよ!」
懸命にニコラスを止めようと胸元で声を張るが、ニコラスはかまわず進んで行った。
「・・・当たりだよ、ココット」
どれぐらい進んだか。
ココットの懸命の制止にも耳を貸さず、手を傷だらけにして進んでいた足がぴたりと止まった。
「当たりって・・・
なんも変わってないじゃん」
月の光も届かない森の中、気味悪そうにココットは首をすくめた。
「空気が違う。
結界の外には出たみたい。
とりあえず、召喚してみるね」
荒れた呼吸を整え、腰に下げた小さな袋から、卵を取り出した。
「え、初めての奴かよ」
ココットの言葉を流し、気持ちを落ち着かせ詠唱を始めた。
同時に、ニコラスの瞳が緑色から金色に変わった。
「我、召喚す
空と大地を翔けるものよ
我との血の契約によりその姿を現せ
我、汝の主なり」
手の平の小さな卵が金色に光りはじめ、見る見るうちに大きく膨らみながら細かいヒビが入った。
そのヒビが細かくはがれ始め、金色の光が漏れ出した。
馬の嘶きと共に、それは姿を現した。
白い毛に金色の鬣。
瞳とその少し上に生える長い角は、虹色に輝いていた。
いつか見た絵本のユニコーンより綺麗だと、ニコラスは心を奪われた。
そんなニコラスに、ユニコーンは体を擦りよせると、襟を咥えて後ろへと投げた。
見事にその大きな背中に着地すると、柔らかな鬣にしっかりとつかまった。
「契約したばかりなのに、無理させるけどごめんね。
どうしても、アレルさんを助けたいんだ」
ニコラスがそっと撫でると、ユニコーンは鼻を鳴らして、来た道を走り出した。
「おれっチとニコは運命共同体なんだからな。
忘れないでくれよ~」
恨めしそうなココットの声に、ニコラスは苦笑いをした。
ユニコーンの乗り心地はとてもよく、スピードも早かった。
あっという間に少年の姿のアレルと、黒い男の姿を確認した。
三つの頭に蛇の尻尾と蝙蝠のような羽根。
一頭の黒い犬が、アレルの左肩、腕、脇腹に食らいつき、食いちぎろうと強靭な顎を揺らしていた。
その足元は、赤黒い血で鮮やかに染まり、その染みはゆっくりと広がっていた。
そんな状態なのに、アレルは右腕の小刀で応戦していた。
「アレルさん!」
ニコラスはユニコーンに乗ったまま剣を構え突っ込み、擦れ違いざま犬の胴体に剣先を滑らせた。
犬の胴体は綺麗に真っ二つになり、すぐに氷の雑草がニコラスの意のままにスルスルと伸びて、分裂した犬の自由を絡め取った。
「うわぁぁぁぁぁ!」
間髪入れず、黒い男の肩口から斜め下に切り付けるも、手ごたえがまるでなかった。
「金の瞳に植物を操る力・・・
ネメ・クレアスか・・・」
一瞬、黒い男とニコラスの視線が交差した。
小さな呟きを聞いて、ニコラスの動きが鈍ったが、ユニコーンは仁王立ちしているアレルを、しっかり銜えて走り出した。
黒い男がどんどん小さくなっていく。
男は追ってこない、その直感を信じたニコラスは前を向いた。
ユニコーンが銜えているアレルは、すでに意識を失っていた。
その肩口に食らいついた一匹の顔が、なかなか離れなかった。
鋭い牙は深々と肉にめり込み、血走った目はニコラスを睨んでいたが、ココットに鼻先を噛まれてようやく離れた。