北のバカブ神その4(部屋)
4・部屋
ニコラスは夢を観ていた。
何時ものように、『誰かの視界』で視る夢を。
ただ何時もと違い、目が覚めた今は、何の夢だったか忘れてしまっていた。
忘れてしまったが、とっても悲しい『思い』だけが残っていた。
その思いは強くニコラスを支配し、目が覚めても木目の天井をぼんやりと眺めているだけだった。
小さくドアの開く音がした。
「目が覚めたのね、良かった。
・・・気分、悪いかしら?」
ぼんやりとした視界に、声の主は入って来なかったが、暖かな手がそっとニコラスの頬に触れて、流れていた涙を拭った。
手の動きに合わせて、頭を横に動かした。
「かぁ・・・姉さん・・・」
柔らかそうな甘栗色の髪を後ろで編み上げたスタイルに、優しげに目じりを下げた茶色い瞳。
ほっとしてしまう程の優しい笑顔。
柔らかく漂う香りは、アニスを想わせた。
「あら、坊やのお姉さんに似てるのかしら?
おばちゃんは、そんなに若くないのよ」
静かにベットの淵に腰をかけ、乾いた手ぬぐいでニコラスの顔の汗をぬぐっていく。
「おばちゃんなんて、そんな・・・
僕の姉さんに雰囲気がそっくりで」
女性の後ろのテーブルに、洗面器やタオルが見えた。
「看病してくださって、有難うございます。
僕は、どれくらい寝てましたか?
あと、僕と一緒に、もう一人居ませんでしたか?」
会話をしていくうちに、体の感覚が戻ってきた、頭のぼんやりとした感覚も取れ始めた。
「ちゃんとお礼を言えて、いい子」
そう言って女性は、ベットサイドの篭をニコラスに手渡した。
そこには暖かな毛布に包まれて、ココットが眠っていた。
「その子に呼ばれたの。
買い物から帰ったら、裏庭で声がするんですもの。
貴方とそっくりな姿をしていたのに、私と目が合った瞬間その姿になってしまったの」
毛布ごと篭から抱き上げると、その小さな顔に耳を寄せた。
小さな寝息と鼓動が聞こえ、温かさがニコラスの両手に広がった。
ありがとう。
そう、何度も小さく呟いた。
「少し寒いけど、空気の入れ換えするわね」
ニコラスのすぐ隣の窓が大きく開いた。
「・・・ここは・・・
どこですか・・・」
開かれた景色に、ニコラスは愕然とした。
「ここは・・・」
慌てて部屋を見渡した。
あまりにも『当たり前』過ぎて、今まで感じなかった違和感。
「僕は・・・
まだ、僕は眠っているんでしょうか?」
自分の心臓の高鳴りがよく聴こえた。
耳のすぐ横に心臓があるように感じた。
そして、急速に喉の渇きを覚えた。
「僕の部屋だ」
女性の返答前に、ニコラスは小さく呟いた。
「ここは、アレルさんが焼いた、僕の集落だ」
「ここは国の外れ。
南方以外を山に囲まれた、実り豊かな国よ。
この集落はお城からだいぶ放れていて、病気を患った老人しかいないから、とても静かなの」
女性の話を聞きながら、
ただ似ているだけなの?
そもそも自分はどこに来たの?
ニコラスは動き出した頭をさらに回転させて、ここにいたるまでの経緯を思い出そうとした。
室内も室外も、見渡す景色は、ニコラスのよく知ったものだった。
カァン・・・
カァン・・・
カァン・・・
鐘が鳴った。
小さな小さな音で、余韻は直ぐに雪に吸収された。
「さ、窓を閉めるわね。
温かいものを用意するから、もう少し、ゆっくりしていてね」
窓を素早く閉めると、その人はいそいそと出て行ってしまった。
「何だろう、この変な感じは・・・
ここは、僕の生まれ育った集落だ。
ここは、僕の部屋だ。
でも・・・
何かが違う。
そうだ、僕の集落では、鐘は鳴らなかった。
けれど・・・」
ここに来るまで・・・
ここに来るまで・・・
そう呟きながら、ニコラスは記憶をたどった。
フレイユに行けと、タイアードを担いで帰国した兵士に言われたのを思い出した。
しかし、時空間呪文は一度行った所じゃないと使えないので、防寒対策をした旅支度を整え、レビアに力を借りようと教会に戻ってみると・・・
「シンさんが居たんだ」
「あいつ、何者なんだ?」
ニコラスの呟きに、けだるそうなココットの声が被さった。
「ココット!
よかった、目が覚めたんだね」
「あいつ、神出鬼没にも程があるだろう?
おれっチたちと目があった瞬間、一気に術を掛けて、ここまで飛ばしたろう。
おれっチ、この術は苦手なのに・・・
まだ、クラクラしてる」
ニコラスにそっと抱かれながら、頭を振っていた。
「ありがとう。
ココットが助けを呼んでくれたおかげで、僕は助かったよ」
「・・・ニコラスのためだからな」
小さな頭で、頬をすりすりしながらお礼を言うと、ココットは照れ隠しに少し怒ったように言い捨てた。
「で、ここは目的の国なのか?」
「おまたせ。
あら、お友達も目を覚ましたのね」
ココットの質問は、開いたドアの音に消された。
ティーセットを手に、女性が戻って来た。
「あなたも、同じお茶でいいのかしら?」
「この香りは・・・」
白い湯気を立てながら、琥珀色した液体がティーカップに注がれていく。
その香りは、ニコラスにはとても馴染みの深いものだった。
「あら、このお茶を知っているの?
ラサの葉を深蒸ししたものよ。
この国の名産品なんだけれど、あまり他国には出してないのよ。
このお茶ね、私も旦那様も娘も、うちの家族は皆大好きなの。
生まれたばかりの息子も、きっと好きになってくれるわ」
機嫌よくラサのお茶を入れる女性の横顔を見ながら、何を言えばいいのか、何をすればいいのか、どうしたいのか・・・
ニコラスは分からなかった。
「娘さんの名前は、アニス。
生まれたばかりの息子さんは、ニコラス・・・
ですか?」
「熱いから気をつけて」
カップに添えた手が重なった。
「よく知って・・・
あなた・・・」
二人の視線が合った瞬間、女性の瞳はニコラスの瞳の奥を見た。
ニコラスが今まで見てきた全てを、瞬時に見て取った。
「・・・そう、そうなの・・・」
優しい笑顔が崩れ、大粒の涙が頬を伝い落ちた。
涙が溢れるたびに、女性の姿は段々と薄くなっていった。
とっさに、ニコラスはその手を取った。
思いっきり抱きついて、母さんと叫びたかったが、それをしてはいけない気がして、涙をこらえて瞳を見つめた。
「僕の知っているアニスは、心が強くて優しく、僕をここまで護り育ててくれた人です。
貴女のように、春の木漏れ日のような笑顔を、いつも僕に向けてくれました」
少し前まで、その笑顔を思い出せず、思い出すのが悲しくて辛かったはずなのに、今はとても暖かな気持ちで思い出せた。
「僕は、生まれてきてよかったと思ってます。
嬉しいことや楽しいことだけじゃないけれど、悲しいことや辛いことも沢山あるけれど・・・
産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう。
その気持に、嘘はないです」
ニコラスの心の中で、アニスが優しく微笑んでいた。
その笑顔に心が温かくなるのが分かって、
きっと心の浄化は、こんな感じなんだろうな。
と、ニコラスはぼんやりと思った。
「あ・・・」
女性が口を開いた瞬間、ココットの悲鳴が部屋中に響いた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
ココットなりに気を利かせて放れていたのだろう。
窓のカーテンを何気なく開けたら、目があった。
大きな眼球が、眼球だけが、開けた隙間からニコラスたちを見ていた。
「見ツケタ・・・
器在リシ者」
闇色の眼球の中心が真横にパックリと開き、耳障りな声を発した。
瞬間カーテンが勢いよく閉められた。
半分ほど消えかかった女性が、真っ青な顔でカーテンを閉めると、ギュっっとニコラスを抱きしめた。
「あれは何?!
あんなタイプは、今までに居なかった・・・。
早く逃げなさい!
もうすぐ新月、月の女神の加護が最も弱い時期よ。
モンスターが凶暴化する前に、夜がくる前にここを出るの。
この集落がどんなに小さくて、この家がどこに位置しているか・・・
分かるわよね?
姫様のお城まで逃げれば大丈夫」
悲鳴にも似た声に、ニコラスはただただびっくりていた。
「いい?
逃げるのよ。
戦おうとしないで、逃げ切って」
ニコラスを抱きしめる腕はますます強くなった。
「ああ・・・
神様・・・
時が止ればいいのに・・・」
ポソっとニコラスの耳元に落ちた言葉は、とっても悲しい声だった。
「さぁ、こっちよ」
体が解放され、ニコラスの外套と荷物が手渡された。
幼い手を取り、女性は家の裏口へと引っ張っていった。
ここは何処なの?
窓の外のアレは何なの?
あんなタイプとは、発病した後のモンスター化した姿のことなの?
ニコラスの頭の中は、疑問で溢れていた。
聞きたいことは沢山あるのに、つないだ手の温もりを噛み締め、何一つ聞けないままドアが開けられた。
「北星の女神の導き多からんことを。
我らが守護神・大地の神の幸多からんことを」
その祈りはとても力強かった。
「いきなさい、ニコラス。
・・・愛しているわ」
勢いよく背中を押され、外に出された。
体制を整えながら振り返ると、にっこり笑った女性の顔が見えたが、すぐにドアは閉められた。
「・・・母さん」
そのドアに向かって、ニコラスは小さく呟いた。
繋いだ手、抱きしめてくれた温もりを噛み締めながら空を見上げた。
外はいつの間にか暗く、積もった雪が月の光りを受けて赤く輝いていた。
赤い月、赤く輝く景色を見て、ニコラスは思った。
また、この村は燃えている・・・と。