北のバカブ神その2(導きの兵士)
2・導きの兵士
数ヶ月前に西の柱が復活した。
いつからか、夜明け前の薄暗い時間はどこから来るのか数頭の草食動物が、西の柱の大木の周りで静かに草を食んでいた。
イッペラボスやアクリスは、幻想の動物と言われ、その存在を確認できる人間は中々いない。
それらに混ざって、妖精のニスの灰色の服の端や、赤い尖り帽子の先端がチラチラと見えることもあった。
それらは陽が上がり始めると、その光から逃げるかのように大木の陰へと移動しつつ、その姿を消してしまう。
ニスも姿を消すが、だいたいがそのすぐ横にある、質素な教会へと入っていく。
完全木造の協会は、柱が復活すると直ぐに造られた。
大きな窓こそあれど、はめられているのはステンドグラスではなく薄いガラス。
祈りの間には、『西のバカブ神ネメ・クレアス』として、木で作られた少年の像が飾られている。
まだ陽が昇ったばかりの時間、その前で膝をつき祈る女性が居た。
その女性は、人の気配に顔を上げた。
窓ガラスから差し込む木々の木漏れ日が、軽く波打つ軟らかな金の髪に髪飾りの様に落ちていた。
少し下がった目尻や、乳白色の肌にほんのりとさす桃色の頬、それより少し濃いめの小さな唇。
華奢な体をふんわりとした白いドレスで包むその姿は、本当に女神にふさわしい容姿だと、ニコラスはつくづく思った。
「ごきげんよう、ニコラス。
外で寝ながら読書なんて、お師匠様に似てきましたわね」
「あ、いえ、あの、おはようございます。
ジャガー病の研究記録なんですが、ついつい集中しすぎちゃいました。
勉強も読書も、まだまだ師匠の足元にも及びません」
優雅にお辞儀をされて、ますます見入っていたニコラスは慌てて頭を下げ、挙動不審に言葉を綴った。
そんなニコラスに、レビアはイスを進めた。
「いえ、貴方はとても熱心ですわ。
勉強熱心で、優しく穏やかな心をお持ちですわ。
その証拠に、西の柱の周りに幻想動物や妖精といった、神話の時代は当たり前にいたモノ達が、再び生活をし始めています。
柱が復活しても、貴方の心が汚れていたら、彼らは戻っては来てくれませんわ」
ニコラスの前にあるイスに座りながら、レビアは嬉しそうに微笑んだ。
「そりゃあ、オレっちのニコラスだもん。
御機嫌よう、姫さん」
ニコラスの胸元から顔を出したココットが、自分の事のように誇らしげに、鼻息も荒く言い切った。
「そうでしたわ。
ココットの、ニコラスですものね」
恥ずかしくなったニコラスは、慌ててココットの頭をもとの位置へ戻そうと押した。
「ニスさんは、アブビルトさんのお手伝いもしてくれているそうです。
師匠の家にいる妖精のシルキーさんと違って、なかなか姿は見かけないんです。
でもたまに、灰色のチョッキや赤い尖がり帽子が見えたりするんですよ」
が、ココットはするりとニコラスの右肩に上がって、いつもの様に座り込んだ。
「お礼に、パンやミルクを差し上げると、喜んでいただけますわよ」
「はい。
師匠に教えていただきました」
いつの間にか教会に住み着いた妖精のニスは、子ども達の出した洗濯物を洗ったり、ちょっとした掃除をしたり、料理途中の味付けをしたりと、誰もいないときに家事をしてくれていた。
なので、アブビルトと子ども達は、毎晩ニスへのお礼に、キッチンのテーブルにちょっとしたご飯を置くようにしていた。
「ニコラス、改めてお礼をさせてください。
あの子達にこの場所を与えてくださり、ありがとうございます」
「ひ、姫様、やめてください。
これは、僕が皆に出来ることがないかなって思って・・・
それに、皆のお世話をしてくださっているのはアブビルトさんですし、そのアブビルトさんを連れてきて下さったのは姫様です。
僕は・・・」
椅子から立ち上がり頭を下げたレビアに、ニコラスは慌てて立ち上がって声をかけた。
「いえ、貴方がこの場所を与えていただかなければ・・・」
「これは、僕がしたかったことなんです」
レビアの言葉を遮って、ニコラスが強く言い切った。
「僕の我儘なんです」
「そう・・・ですか。
けれど、タイアードも感謝していると思いますわ。
今回の遠征中は、ここに籠っていますからと約束しましたら、いつもより愚図らずに行ってくださいましたもの」
「あのおっきい兄さん、遠征なんて行くんか?
姫さんの側を離れることあるんだ?
ってか、あの巨体で愚図るのか?」
ニコラスの胸元からココットが飛び出し、するするとレビアの肩にあがった。
「あ、ココット」
「かまいませんわ。
タイアードは私の直属ですが、まれに国の遠征に加わるんですの。
戦場の偵察であったり、純粋に戦力不足を補うためであったり、理由は様々です」
「アレルは知ってるのか?
あいつ、姫さんを一人にしたら五月蝿いだろう」
過保護だよな。
と、ココットが鼻を慣らした。
「大丈夫、知っていますわ。
タイアードが遠征の時は、新月の周囲は避けるようにしているのですが、今回のように回避出来ないときは、自分の結界内で大人しくしていますの。
けれど、私もですが、タイアードも結界内よりここの方が安全だと思っていますわ。
アブビルトや子ども達と過ごすのも、楽しいですわ」
ココットはレビアに優しく撫でられ、気持ちよさそうに目を細めた。
「僕も、ここで皆と過ごすのは大好きです。
一緒に、料理を作ったり、絵を描いたりするんです」
「私も、アブビルトにスケッチブックを渡されましたわ。
料理はさせていただけませんが。
・・・国王に借りを作っておくと、いざという時我が儘を言いやすいんですの。
ジャガー病の研究や研究城、西の柱の封印を解くのも、この教会を建てたのも・・・全て私の我儘ですのよ。
それに、ジャガー病関連で二心持っているような方々も、スーラ国の騒ぎがあった後なので、暫くは大人しくされているでしょう」
「勉強会に参加された中で、スーラ王と側近の方数名だけの被害で済んだのは、奇跡でしたね」
ニコラスの中では、レビアの隣にはいつもタイアードが居た。
いざという時、タイアードは最優先にレビアの身を護っていた。
だから、ニコラスはレビアの個人の戦闘能力が分からなかった。
「アレルの次に心配症の方が、こっそり参加されていましたからね。
あちらはお任せしましたわ」
どことなく呆れたレビアの物言いに、トイレで会ったアレルに似た人物を思い出した。
「私には内緒に。
そう、口止めされていたのでしょう?」
顔に出ていたのか、答えに困っているニコラスを見て、レビアはいつものように笑った。
「それで、どうしたのですか?」
「あ、それが、師匠が居なくなってしまって・・・
もう、四日なんです。
先日のスーラ国から帰ってから、様子がおかしかったんです。
アレルさんも帰って来ないし・・・
姫様、何か聞いていませんか?」
一緒に暮らし始めた頃、クレフは何も言わずに家を空けることがあったが、長くても二日もすれば戻った。
最近は、長期間家を空ける時はニコラスを伴い、一日~二日であれば行き先を告げるか、ちょっとした用であればニコラスに頼んでいた。
「アレルはフレイユという国へ・・・」
「失礼します!」
レビアの言葉を、切羽詰った兵士の声が遮った。
反射的にドアの方を向いた二人は、その光景を瞬時に肯定できなかった。
少し小柄な兵士が、自分の二周り以上大きな男に肩を貸し立っていた。
兵士に山のように覆いかぶさっている男は、甲冑やマントの隙間から赤いものが見え、その呼吸は荒かった。
「タイアード!」
先に動いたのはレビアだった。
兵士はタイアードを床へ寝かせると、レビアがすぐに膝を折りその手を取った。
「こんな・・・
酷い・・・」
精悍な顔は全体的に青黒く晴れ、原型をとどめていなかった。
白く華奢な手が大きな手を握ると、ヌルっとした感触がレビアの腕を伝って白いドレスの袖を真っ赤に染めだした。
手からだけでなく、そこらじゅうから出血していて、レビアのドレスは瞬く間に斑に染まった。
「お帰りなさい、タイアード。
もう、大丈夫ですわ。
安心なさって」
涙声で呟き、血で染まった手を握ったまま頬を寄せ、瞳を閉じて詠唱を始めた。
ココットは邪魔にならないようにと、ニコラスの元に戻った。
「ニコラス、君はそのままここへ。
ココット、西の柱から、朝露の残っている葉を採れるだけ採ってきておくれ」
「無理だよ」
「大丈夫、よく見てごらん、君は小さな動物じゃない。
ニコラスと同じ少年だ」
指示を出す兵士の声は優しかった。
その声は、出来ないと言ったココットに、魔法を掛けた。
「オ、オレっち・・・」
背格好や服装も、ニコラスとそっくりな少年になったココットは、びっくりして自分の体を眺めた。
「ほら、早くしないと朝露が消えてしまう」
兵士の声に急かされて、ココットは慌てて飛び出した。
「ニコラス、姫様の月の波動に、自分のバカブ神としての波動を合わせられるかい?
まず、目をつぶり、深呼吸をして月の波動を感じるんだ」
兜を取った兵士は、こげ茶色の柔らかな髪と、緑色の優しい瞳を持っていた。
優しい雰囲気のまま、兵士はタイアードを挟んでレビアの前にニコラスを座らせ、ゆっくりと指示を出した。
「波動を感じたら、自分の中にあるバカブ神の波動を少しずつ体の外に出して・・・」
不思議な感覚だった。
兵士の言う月の波動はニコラスにとって、とても暖かなもので、眠気を誘うものだった。
その誘惑に負けないよう、自分のバカブ神としての波動を探したが、なかなか上手くいかなかった。
「大丈夫、焦らず・・・」
兵士が優しく声を掛けた瞬間、目をつぶっているはずのニコラスの前に、黒髪の少女が現れた。
「これです」
黒髪の少女は小さな箱を差し出すと、見入るだけのニコラスの前で蓋を開けた。
瞬間、まばゆい光が溢れ出し、少女の姿をかき消した。
「うわっ!」
びっくりして目を開くと、タイアードの顔は何時もの見慣れたものに戻っていた。
どうやら、出血も止まったようだが、顔色はまだ白かった。
「初めてにしては、上出来だったね」
兵士は優しく微笑み、ニコラスにハンカチを差し出した。
ニコラスは自分が汗だくになっていることに気が付き、お礼をいって受け取った瞬間、柑橘系の香りが鼻先を掠めた。
「時間がありませんので、このままの報告をお許しください」
まだ詠唱を続けるレビアに向き直り、兵士は報告を始めた。
「目的の城への潜入に失敗しました。
遠征は問題ありませんでしたが、件の国と城は別々の結界が張ってあり、所有者も別々のようで、双方、干渉しないようにしているようです。
タイアード殿は、国の領域まで入りましたが、件の国は外からの進入を可としないようで、何者かにここまでの攻撃を受けたようです。
私が合流した時は、まだ意識があったのですが・・・
申し訳ありません」
長かった詠唱が終わった。
タイアードの顔に、血の気が戻っていた。
代わりに、レビアの息は上がり、いつにもまして肌は白く、桃色の頬も唇も色を無くしていた。
「貴方の落ち度ではありません。
むしろ、よく・・・」
「ニコラス、フレイユへ行きなさい」
レビアの瞳が兵士を映した瞬間、そこに驚愕の色が広がった。
そんなレビアの言葉を遮って、兵士は強く言った。
「フレイユ・・・」
兵士が入ってくる前に、レビアが口にした言葉だった。
「・・・北の国ですわ。
我が国とは比べ物にならないぐらい寒い国ですの。
そこでアレルが修行をしているはずですわ。
必ず、真っ先にアレルと合流してくださいな。
私もご一緒できればいいのですが、もうすぐ新月なので行かなければならない所があるので・・・」
「採ってきたぞー!」
場の雰囲気にそぐわぬ勢いで、ココットが勢いよく戻ってきた。
その両手には、まだ朝露に濡れた葉を四枚、大切に大切に持っていた。