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零地帯  作者: 三間 久士
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月の女神アル・メティスその7(決心)


7・決心


月は出なかった。

厚く黒い雲が空を被い、夜の町は数メートル先が見えないほどの激しい雨が降った。

小さな宿屋のせいか、どこにいても激しい雨音が聞こえた。

こんな夜、ニコラスは決まっていつもより熱めのお湯にじっくりと浸かるのが好きだった。

何も考えず、ただただその身を包む熱と、激しい雨音に集中していた。

いつも賑やかに話しかけてくるココットも、何も言わずさっさと上がりニコラス一人にしてくれた。

あの頃も、激しい雨の夜は家に一人だった。

ただ、今は湯から上がると迎えてくれる人たちが居た。

数ヶ月前まで一人で当たり前だった時間が、今では誰かしら側に居る。

それが安心することに、ニコラスは最近気が付いた。

しかし、今日のこの状態は何なんだろう?と、内心戸惑いながらベッドの上でレビアに膝枕をしてもらいながら緊張していた。

視界の下、ベッドの足元で、タイアードが険しい表情で剣の手入れをしているのも、ニコラスの緊張感を高めていた。

窓際では、何時もどおりクレフが本を読み、ココットはニコラスの胸元で寝ていた。


「私が怖くなりまして?」


そんな緊張は、しっかりとレビアに伝わっていた。

洗いたての柔らかな髪を撫でながら、いつもの鈴を転がした声でレビアが聞いた。


「・・・スーラ王を捕まえたあの時は」


素直。


とニコラスが呟くと、レビアはクスリと笑った。


「私はずるいのですわ。

己の手を汚すことなく、貴方たちを駒のように扱う・・・

それでも、あの日誓った事を、私は守り抜きたいんですの」


愁いを帯びた声に、ニコラスはこのまま動いてはいけないと思った。


「あの方はとても強く、美しい方でしたわ。

私たち子供を映す瞳はとても優しく、でもとても強かったのを今でもよく覚えています。私はあの方の涙を見たことがありませんでしたの。

あの、最期の瞬間さえも・・・」


ランプの芯が燃える音がよく聞こえた。

レビアは少しの時間、誰にも気づかれないよう、幾つもの言葉を涙と共に飲み込んでいた。

タイアードの剣を収める音が響いた。

いつもの調子で話を続けるレビアだったが、ニコラスの髪を梳く指先は少し震えていた。


「産み月が近かったあの日は久しぶりのお天気で、お子さんとご友人たちと共に、遠出をしていたそうですわ。

そこで、体調不良で行き倒れていた妊婦を介抱していましたら・・・

妊婦が発病し、襲われたそうですわ。

お子さんと共に。

傷そのものはたいしたことはなかったそうですが、二人は感染しましたの。

その頃、ジャガー病についての知識は、ほぼありませんでしたわ。

だから、あの方はご自身と息子さんをジャガー病研究の検体にしましたの。

そしてあの日・・・

あの方の出産の日、私はあの方の導きで月の女神として覚醒しましたわ。

覚醒した私の初仕事は、産まれたばかりの赤ちゃんを守ること。

月の結界を張り、それまでの研究で得た知識でその後、その子を成長させることでしたの。

そして、あの方と一緒に感染し共に検体になった息子さんは、産後のあの方を無に還しましたわ。

髪の一房、骨の一欠けらさえ残さず。

その子にとって、それが初めて感染者を無に還した瞬間でしたわ」


「・・・アレルさん」

「感染から免れたガイは、護らなければいけないはずだった大切な二人を見守りながら、自身に誓ったそうですわ。

何かは教えてくれませんでしたが。

私は・・・

アレルに言われましたわ。


『この手を汚さないでくれ。

この手だけは汚さず綺麗なまま、あの子を抱きしめてくれ。

もう、俺の手は綺麗にはならないから』


それは、あの方の望みでもありましたのよ」


それでも私の手は・・・


ささやきよりも小さい声にタイアードが静かに立ちあがり、白く小さな手を優しく取り、口付けをして囁いた。


「さぁ、もう寝る時間だ」


その流れるような動作と優しい囁き声に、ニコラスが慌てて体を起こすと、タイアードがレビアを抱き上げた。

それをレビアは拒否しようとしたが、逞しい腕は細い体を放さなかった。

諦めて、タイアードに抱き上げられたまま、レビアはニコラスを見た。


「ニコラス、貴方が皆の意思を継いでジャガー病の研究に本格的に着手してくれたことは、とてもありがたいです。

けれども、これから先、今よりもっと悲しい思いをすると思いますわ。

悲しくて悔しくて、分かっているのに憎む気持ちが溢れてきて、自分の非力を呪って・・・

今なら、引き返せますのよ?

今なら、ただの魔道召喚士として生きていけますわ。

もちろん、クレフの弟子でも、アルジャニアの所属でもかまいませんわ」


ニコラスは穏やかな顔でレビアの手をとった。

そっと窓際に視線をやると、クレフは本に視線を落としたまま、変わらぬ姿勢で黙ってそこに座っていた。


「姫様、実はここに来る前に、僕は夢でシンさんとお会いしたんです。

夢の中で、僕はシンさんと話しました。

僕の体がタイアードさんのように大きかったら・・・

アレルさんのように、早くにバカブ神の力に目覚めていたら・・・

ガイさんのように素早く動けたら・・・

師匠のように魔法や召喚呪文が使えたら・・・

姉さんを助けられたんじゃないのかなぁ・・・

なんで僕はこんなにも小さく、弱いんでしょう。

そう、僕はシンさんに聞きました。

シンさんはこう、答えてくれました。


『アレルはあの力で大切な人を亡くし、これからも奪っていくことしか出来ない。

そして、奪えば奪うほど、魂の業が深くなる。

ガイはいくら素早く動けても、一番大切なものはつかめない。

タイアードは、大切なものを亡くしたことがないから、亡くすのを恐れている。

自分の命を失うことより。

クレフは多種多様の魔術を使えるが、肝心な時間まで遡る事は出来ない。

皆、他人に触れられたくない傷の一つや二つ、持っているものですよ。

皆、弱い自分が嫌で、そのままだと大切な人を護りきれないと分かっていたから、前を向いているんですよ』


だから、僕も前を向いて進もうと決心したんです。

『もしも、もしも・・・』

なんて考えるのは止めたんです。

今よりもっと悲しくて悔しくて憎むことがあっても、後悔はしたくないんです。

時間は巻き戻らないので。

僕はまだまだ頼りないですが、それでも皆さんのお役に・・・

違いますね。

姉さん達の意志を、繋ぎたいんです。

僕がやるべきなんです。

僕も、姫様の代わりに、自分の手を汚す決心はつきました」


そうだ、ここで自分がアニスやレオンの『意志』を継がないと、本当に『無く』なってしまう。

『無くして』はいけない。

自分が『繋げる』んだ。

そう、ニコラスは心に強く思った。


「ニコラス、強くて優しい子。

でも、出来ることならその手は汚さないでくださいな。

きっと、アレルたちも同じ思いですわ」


とても優しい笑顔だった。

とても優しく、とても悲しい笑顔だった。

ニコラスは、アレル達がレビアを大切にするのがなんとなく分かった気がした。

そして、そんなニコラスを、窓際のクレフは優しく見つめていた。


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