月の女神アル・メティスその2(ジャガー病について)
2・ジャガー病について
豪華な調度品に囲まれた円卓に、十数人の正装した中年男性が座り、その後ろには甲冑に身を包んだものが一人〜二人づつ立っていた。
皆、険しい表情で手元の資料に視線を落としながら、耳はうら若き姫の鈴を転がしたような声に集中していた。
後ろに控える三人の影は、目に入らないようだった。
「まず、モンスターがこの病に罹ることを『一次感染』または『自然感染』と呼んでおります。
この一次感染したモンスターから感染することを『二次感染』と呼んでおり、この病に罹る感染経路は血液や体液と分かりました。
つまり、病にかかったモンスターに噛まれたり引っ搔かれたりと、血液や唾液が傷口から入ることで二次感染いたします。
この感染経路はモンスターから人間だけではなく、モンスターどうし、人間どうしでも感染することが分かっています。
感染者の血液や体液が非感染者の傷口や粘膜に触れることが主ですが、稀に母胎感染もあることが確認されております。
妊婦は子宮内で胎児を育てるのに、必要な栄養を血液にのせて送っております。
つまり、感染した血液で胎児は育つのです。
感染した胎児は月齢にもよりますが、九割の確率で死産もしくは流産してしまいました。
けれども、稀に産まれてくる命もありました。
しかしその命の一割は、産まれても直ぐに発病してしまいました。
出産直後に投薬治療を開始しても、もって最長一週間。
その一週間は、刻々と人間としての姿を無くしていきました。
血液や体液外での感染は、今のところ確認されていません。
このことから、感染者への接触方法と、発病したモンスターや動物への接触に気をつければ、必要以上に恐れる事もなく、防ごうと思えば防げる病気だととらえておりますが、大元となる病の発生源や感染モンスターの特徴などは分かっておりません」
鈴の音を転がしたような声はとても柔らかく、話す内容には似つかわしくなかった。
講師を務めるレビアは、スーラ国の隣国であるアルジェニア国の第一姫であり、ジャガー病の研究者の間では名のしれた人物で、頼まれれば今日のように勉強会も開いた。
今回は会場となったスーラ国と、その他に数国の代表者が参加していた。
「次に、ジャガー病の発症についてです。
この病気は月の動きと大きく関わりがあることが分かっております。
満月の頃はウイルスも大人しく、発病する可能性はとても低いです。
満月がどんどん欠けていくにしたがい、ウイルスは体内で暴れ始めるようで、それは性格にも影響が出るようです。
主な症状としては、怒りっぽくなったり、我慢が効かなくなったりと自我のコントロールが難しいようです。
最も発病率が高いのが新月です。
発病すると、精神と肉体が同時に壊されます。
見かけもそうですが心も理性を失い、自分以外を襲い始めます。
肉体の変化は、感染源のモンスターによって変わっていきます。
感染源が鳥型のモンスターでしたら鳥に。
狼型でしたら狼に。
発症した時点で、『人間』ではなくなります。
発症してしまうと、長いと一ヶ月程、短いと一〜二時間で絶命することが確認されています。
この時間のバラつきについては、感染者の体力なのか、感染者とウイルスの相性なのか、まだ分かっておりません。
また、相反するウイルスを保有するのは基本難しいようです。
もう一つのウイルスが体内に入った瞬間、一気に発病し絶命してしまいます。
基本、先に入ったウイルスが発症することが多いようです。
相反するウイルスの相殺は、未だ確認出来ておりません。
次に、薬についてです。
発病してしまった時の特効薬はございません。
今、ジャガー病の薬として使われているのは、感染してしまった後、発病を遅らせる薬です。
『月の石』を原材料としています。」
資料の最期の1頁が終わった。
そこにいる誰もが息を呑み、ただただ資料を見つめていた。
「今日お集まりの国々は、これからジャガー病の研究に着手するとのことですが、これだけはお守りくださるよう、お願いいたします。
ウイルスに感染したモンスターが領域に出現した場合、隣国に報告をしてください。
これはお互いの国を守るため、不要な詮索・争いを避けるためです。
この報告を怠った場合・・・
研究から手を引いていただき、私の方で全ての後始末をさせていただきます。」
レビアの声色はいつもと変わらないが、いつもより少し早口なのと口調のせいか、厳しく感じた。
そのせいか、部屋の空気はとても重々しい。
そんな中、一人の男が軽く手を挙げた。
「おたくのジャガー病の集落、全滅したんだって?
なんでも、患者を診ていた医師や看護師も感染したって聞いたよ。
その集落、馬鹿でかい月の女神像の結界まで使ってたんだろ?
なのに全滅って、月の女神様も破壊神様には敵わないんだな。
研究所も全壊したと聞いたよ」
身なりは良い。
レビアの側近であるタイアードより少し低めの身長だが、横幅は鍛え上げられたタイアードの2倍はあった。
その身に付いている肉のだらしない柔らかさは、服の上からでも良く分かった。
服は質素だが、ジャラジャラと身に付けている装飾品の一つ一つが大きく、数も多いい。
そんな体の上に乗っかっているのは、締りのない分厚い唇と、木の実のような黒い瞳が目立つ、たるんだ顔だった。
二年程会わないうちに、だいぶ変わるものですね・・・
と、レビアはその人物、スーラ国の新しい王を見ながら思っていた。
「全滅は免れましたわ。
月の女神像の結界は、発病した者が集落から出ないようにするためのものですの。
研究城の破壊は計画的であり、研究資料や城下町への被害は全くございませんわ。
そうですわね・・・
そもそも、なぜこの病気をジャガー病と呼ぶのでしょうか?
この病は人が人でなくなりますわ。
心だけではなく、容姿さえまったく創り変えられてしまいますの。
このウイルスは終末の神である破壊神ジャガーが人間だけではなく、この大地に生きる全ての命を奪うために造ったものだと何時の頃からか言われてきましたわ。
この考えのせいなのでしょうか?
ジャガー病を利用してジャガー神を自身に降ろし、破壊神になろうなどと考える方がたまにいらっしゃるようですわ」
レビアの口調がいつもの様に戻ると、スピードもおっとりと感じられ、気持ち緊張感が和らいだ。
「聡明な皆様でしたら、お分かりだと思います。
ジャガー神は聖樹に封印されておりますわ。
神々が創りし人間の絶滅を望むのでしたら、自身を封印しています聖樹を呪えばいいのですわ。
聖樹は輪廻転生を司ります。
肉体を失い、次の生へと聖樹の中で準備をしている剥き出しの魂を狙えばいいこと。
ジャガー病とジャガー神を同一に考えるのは、私はナンセンスだと思っておりますの。
ここにお集まりの皆様も、考え違えなさらないよう、お気をつけくださいな。
この研究は、一歩間違えれば身の破滅を招きますわ」
いつもは穏やかなレビアの瞳に、瞬間だが険しい色を見た。
「・・・しかし、場所がなければ何も出来ないだろう。
なんなら、うちの研究所貸そうか?」
ずいぶんと寂しくなった髪をかき上げながら、スーラ王はニヤニヤとレビアの顔を見ていた。
「お気遣い、ありがとうございます。
けれども、それには及びませんわ。
それと、認識を改めて頂こうかと思います。
アルジェニアに、国営としてのジャガー病の研究施設や医療施設等は一つもございませんの。
件の集落や研究所等は、土地から施設、医療や研究機器全て私個人の私営であり、国とは一切無関係ですわ。
私がジャガー病の集落を作った目的は、感染者の最期の安住の地であること。
家族や愛しい方と離れ離れになってしまいますが、感染者がその方たちを危険にさらさないように、心安らかに最期を迎えることができるようにと、あの集落をつくりましたの。
あそこで行なっていたのは『治療』であり、『研究』ではありませんわ。
それでも、その存在が国民の脅威であることにかわりありませんわ。
国民すべての理解が得られてはいません。
その気持ちも、理解しているつもりです。
だからこそ、一国の王ではなく私が、私の私営で行っております。
国民への被害は一つも出すことは許されませんわ。
国によって、それぞれ考え方や立場や事情が異なるかと思います。
ですから、私はこの病気の共同研究や資金提供を強要は致しませんわ。
ただ、知っていただきたいのです。
この病気がどんなものかを。
原因と感染源を理解していただければ、不要な虐待や差別は無くなると私は思っておりますわ。
前スーラ王はこれらを理解頂いたうえで、共同研究ではなく資金提供をしていただいておりましたわ。
資金提供して頂いている国はまだございますので、被害にあった研究所の他にも、施設は幾つかありますの。
ご安心くださいな。
では、小一時間ほど休憩とさせていただきますね。
質疑応答は休憩の後によろしくお願いいたしますわ」
いつもの笑顔のまま、レビアは捲し立てるように言い切ると、優雅にお辞儀をしてタイアードが開けたドアからさっさと退出した。
「失礼」
クレフが続き、正装したニコラスは慌てて一礼して三人を追いかけた。
毛足の長い真っ赤な絨毯を敷き詰められた廊下を歩き、あてがわれていた部屋に入ると、レビアがニコラスを抱きしめてきた。
「ニコラス、さっき言ったことは嘘ではありません、本当ですわ。
あの集落は『治療』のための集落ですの。
私もアニスも・・・」
自分を抱きしめ、肩を震わすレビアを見て、ニコラスは思った。
アニスの報告書と、クレフの報告で教会の地下でどんな事が行われていたのか知ったとき、レビアはどんなに心を痛めたのだろうと。
「姫様、僕はもう大丈夫です。
アレルさんから頂いたお薬で、気持ちの整理がつきましたし、僕は母さんや姉さんの意思を継ぐと決めたんです。
いつまでも悲しんでいたら、時間の無駄使いになっちゃいます。
カリフ君との約束もありますし」
風の柱が復活したあと、アレルがニコラスに手渡したのは夢見の姫が調合する物で、『過去を観る水』だった。
あの時視た夢は、アニスとアレルの『過去』が 混ざったもので、アニスが自分に伝えたかった事だったと、ニコラスは解釈した。
「・・・そうですわね。
だから今日、同席を願い出たんですものね」
夢から覚めたニコラスは過去を悲しむのを止め、ジャガー病の勉強に更に力を入れ始めた。
レビアから許可をもらい、自分の教会に収められているジャガー病の研究資料をクレフの家に持ち帰っていた。
あの教会では、子ども達と過ごす時間を大切にしたかったから。
「はい。
母さんや姉さん・・・
先生の意思を、僕が継ぎます」
「レオン神父の?」
「はい。
最期はあんな事になってしまいましたが、きっと先生もジャガー病の完璧な治療法を探していたんだと思うんです。
・・・じゃなければ、姉さんだってもっと早くに姫様に助けを出していたと思うんです」
ニコラスから放れたレビアは、まだ小さな頬を両手で包んで小さな鼻の頭に軽くキスをした。
「女神様からの祝福です」
「あ、ああ、ああああありがとうございますぅ」
鼻の頭に、微かに触れただけだが、その唇の温かさと柔らかさが伝わり、ニコラスの顔は一気に真っ赤になった。
アニスの報告書だけは、ニコラスには見せていない。
それだけは、レビアの部屋にしまってあった。
自分の姉が人間でなくなっていく過程を、文章とはいえ、誰が見たがるだろうか。
ただでさえ大好きな姉に殺されかけ、その凄惨な最期を目の当たりにしたのだ。
レビアは幼いニコラスに、これ以上知らなくてもいい事だと、話もしなかった。
しかし、幼いながらもニコラスなりに考え、この問題に取り組もうとしているのだと、レビアは頼もしく思った。
「・・・私も落ち着きましたわ。
しっかりしなくては、駄目ですわね。
・・・それにしても、『鳥』は、まだ戻ってないようですわね」
レビアが軽くため息をつきながら大きな椅子に腰を落とすと、その体は半分ほど椅子に沈んだ。
「戻っていたら、今頃あそこは火の海です」
クレフの言葉に頷きながら、レビアは三人に着席を勧めた。
が、三人とも座ろうとしない。
「前スーラ国王は、質素倹約を絵に書いたようなお方でしたのよ。
我が国とも友好が深くて、良い関係を築いていたのですが・・・
一年ほど前から姿が見えなくなってしまって・・・」
「今の王様は、息子さんなんですか?」
「・・・昔から、あまり好きではなかったんですの。
あの方、会うたびに私をジロジロ品定めするような目で見るんですのよ。
でも、二年程前まではまだ引き締まっていたのですが、人間二年もあればあそこまでブヨブヨになれるのですわね。
きっと、内側の醜さがにじみ出たのですわ。
頭もだいぶ寂しくなったようですし、いっそのこと剃ってしまえば・・・」
ニコラスの質問に、堰を切ったかのよに言葉が飛び出した。
そんなレビアをこれ以上見てはいけない気がして、ニコラスはクレフに耳打ちをしてそっと部屋を出た。
「姫さん、けっこう言うね」
ココットが、驚いたようにニコラスの胸元から顔を出して呟いた。
その言葉に、ニコラスは苦笑いで返した。