東のバカブ神その20(神の名前)
20・神の名
アレルが一同を連れて戻って来たのは、一時間以上たってからだった。
ニコラスはガイの上で少し寝ていたが、アレルの足音が聞こえてきたのと同時に、ジ・エルフェの中から追い出されて目を覚ました。
戻ってきたアレルは心なし機嫌が悪く、右頬が赤く腫れている上にあちらこちらが軽く凍っていた。
「また、師匠の着替え覗いたな?」
ニコラスの胸元から顔を出したココットが面白そうに言うと、不機嫌なままの目で睨みつけられ、直ぐに胸元に隠れてしまった。
そんなココットを服の上から撫で、ニコラスはお茶を入れることにした。
部屋の奥のベッドにガイ、その枕元の椅子にレビア、すぐ隣の椅子にタイアード、その反対側にクレフ、ドアに背をあずけて立っているアレル・・・
ニコラスはこの部屋で自分がどこに居ていいのか分からなかった。
「ガイ、お疲れ様でした。
まだ顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。
飯食ったから、すぐ治る。
それより・・・」
ガイが答えるより早く、アレルが不機嫌を隠そうともせず口を開いた。
「はいはい、到着が遅くなって、申し訳ありませんでしたわ。
私が来たのは、サーシャ殿が消えてしまいましたので代わりに」
はんなり笑顔から出た言葉は表情とは裏腹で、ニコラスを除いた三人は固まってしまった。
「全く、分からないのか?」
「そうなのです。
大地の柱が復活した後、教会に戻られたようなのですが、私の方にはお見えにならず、そのまま・・・
時期的に、今回の仕事はあらかじめ予定に入っていましたわ。
サーシャ殿が消えてしまいましたので、父上もお城から捜索を出してくださいましたわ。
けれど、収穫がないんですの。
フォラカも見つかりませんわ。
ありがとう。
とってもいい香ですね」
レビアの口調では、事の重要さがニコラスには伝わらなかった。
ニコラスからお茶を受け取ると、レビアは何時ものように微笑んだ。
「相変わらず、緊張感ねぇな。
あの女シーフが見つからないのは、いつもの事だろう。
で、何でお前が来るんだよ。
他の高僧四~五人よこせばいいだろうが!
てめぇも止めろ!」
機嫌の悪さを隠そうともせず敵意を剥き出しにしたまま、アレルはタイアードの衿元を掴んだ。
「あ~、そっか!」
ピリピリした空気が、ニコラスの場違いな声で一転した。
視線を独り占めしたニコラスは、慌てて頭を下げた。
「あ、すみません。
姫様と会う時のアレルさんって、高確立でイライラしてるのはなんでかな~?
って思ってたんですけど、危険な場所に連れて来たタイアードさんにイライラしていたんですね」
とってもスッキリした表情のニコラスとは裏腹に、アレルはパッとタイアードの胸元から手をはなした。
「こっ!チビ!てめぇ・・・」
「図星突かれてどもっていないで、話を戻しますよ」
いつの間に移動したのか、顔を赤くして動こうとしたアレルの額を、クレフが人差し指で弾いた。
痛くはないものの、アレルは勢いを削がれ、ブスっとした表情で腕を組み、再びドアに背をあずけた。
そんなアレルを見て、1番放れた場所にいて良かった。
と、ニコラスはお茶のポットを持ったまま、ドキドキしていた。
「アレル、貴方は高層を・・・と言いましたけど、現状を解っていないわけじゃありませんわよね?」
珍しく、レビアの声が緊張感を持ち、アレルを見るその瞳に笑が消えた。
「・・・わあってるよ」
アレルは乱暴に頭を掻きむしり、クレフにお茶を催促した。
その顔と声が、ニコラスにはまるで母親に怒られた子供みたいに思えて仕方なかった。
が、ここで頬を緩めると、今度こそ噛み付かれると思い、必死に平常を装って、回ってきたカップにお茶を入れてクレフに渡した。
「大丈夫、タイアードがいますわ」
いつもの様に微笑み、鈴が転がるようないつもの声で放たれたその一言に、アレルの表情が険しくなった。
「その『現状』ですが・・・
神の力に目覚めたとは言え、思うように力は使えず、断片的に神であった時の記憶はあると・・・」
そんなアレルを横目で見ながらカップを手渡し、クレフは軽くため息をつきながら口を開いた。
「僕は、記憶は殆どないみたいです。
記憶というより夢を見た感覚で、もうほとんど覚えていないのが正直なところです。
僕もニコラス君も、記憶より『想い』が残っていると言うのが、正しい感じですね」
「私もタイアードも、『想い』のほうですわね」
「そうですか・・・
タイアードも・・・
それは、初耳ですが?」
重要なことをサラッと言ったレビアに、意外そうな感じは一切なく、静かにクレフが突っ込みを入れた。
「あら?
言ってませんでしたかしら?」
「うふふっ。
じゃね~よ。
まぁ、あえて言うことでもなかったからな、今までは」
アレルは熱いお茶を一気に飲み干して、空のカップを今度はニコラスに突き出した。
そそくさと、ニコラスはそれを受け取ると、熱々のお茶を用意し始めた。
「そろそろ、まとめた方がよろしいですわね。
タイアードは『雨の神チャク・ポア』
私が『月の女神アル・メティス』
ニコラスが『西のバカブ神、ネメ・クレアス』
ガイが『東のバカブ神、ヘル・ステル』・・・」
レビアの声が止まり、視線がアレルと隣に立つクレフに向いた。
「かまわねーぜ。
俺は『南のバカブ神、エル・アレル』様だ。
まぁ、まだ覚醒はしてないし、記憶も『想い』もないがな」
ニコラスは、納得した。
いつもの炎は魔法や特殊能力ではなく、神の力なんだ。
だからビースト病と共存できるんだ。
ガイと話していたこともあり、素直に納得した。
「でも、なぜ『アレル』って名前のままなんですか?わざわざ『罪深き神』の名前をそのままなんて・・・」
アレルの好きな、少し濃いめのお茶を入れて渡しながら聞いた。
「夢見が付けたんだ。
見えてたんだよ、あの人にはな」
素直な質問に、アレルはすごく寂しそうに答えた。
同時に周りの空気がしんみりしたのを感じて、ニコラスはそっと辺りをみると、ガイとレビアもどことなく寂しそうだった。
その空気に何となく居た堪れなくなり、ニコラスは何となくガイの傍に立った。
「人は亡くなると、体は土に帰ります。
魂は死の神の導きの下、最下層の聖樹の根元へ。
聖樹は世界の中心にあり、その根は最下層にあり、幹は第三層の人間界を貫き、第二層・第一層の天界に枝を広げ葉を茂らせています。
聖樹の根から吸収された魂は、聖樹の胎内を上昇しながら浄化、生前の記憶を消されていき、聖樹の先端、生茂る一枚の葉の先から一滴の雫となって転生します。
落ちる先は、それこそ神のみぞ知る・・・。
また、聖樹の胎内を上昇するスピードは、生前の行いによって変わります。
良い行いが多かったものは早く、悪しき行いが多かったものは遅く。
また、余りにも悪行が過ぎた者は、その魂は完全に浄化されることなく、その魂に『業』という傷が付きます。
『業』の深き者は、前世の分も現世で良い行いを積まなければなりません。
それでも足りなければ来世でも。
本来なら、浄化されていなければいけない『記憶』や『想い』がなぜ残っているのか?
前世を視る者は、『業』までも観るのでしょうか?
私も覚醒はしていませんが、『北のバカブ神ポセ・ティアム』だそうです」
クレフの口からその名前が出て、ニコラスはジ・エルフェが手を引いた時の言葉を納得し、同時にいつものように伏せがちな瞳で何を見て、何を思っているのだろうと、じっとクレフを見つめていた。
その横で、アレルはどこを見るともなく視線を上げたまま、静かにクレフの話を聞いていた。
「クレフ、貴方と私が初めて会った日に、サーシャ殿から伺いましたわ。
けれど、それはどなたからかは・・・」
「町の臭気に長く触れすぎたようです。
私は先に休ませていただきます」
「失礼」と言って、クレフはレビアの質問に答えず、静かに部屋から出て行った。
アレルがすんなりとドアから放れたのを見て、てっきり止めるかと思っていたニコラスは拍子抜けした。
「きっと、『始まり』は同じなのだと思いますわ」
そんなニコラスに気がついて、レビアはニコラスに微笑んで続けた。
「アレルに名前を付けた方も、私やタイアードに神の力があることを教えて、覚醒に導いてくれた方も・・・
クレフに神の力があることを告げた方も・・・
一人の夢見の姫ですわ。
そしてニコラス、貴方がアニスに育てられたのも、あの方には視えていたのだと思いますわ」
「その夢見は『レダ』。俺の母親だ」
母親の名前が出て、ニコラスの心が揺らいだ。
アレルの母親が『夢見の姫』であり、皆の覚醒に関わっていた。
しかも、自分の今までにも関わりがあるかもしれない・・・
今までの物事が、ニコラスの頭の中でパズルのピースの様に合わさって行く。
しかし、まだ引っかかっていることがあった。
ニコラスは、その引っ掛かりが何なのか、まだハッキリと分からなかった。
「ニコラス、貴方の本当のお母様は西のバカブ神ネメ・クレアスを崇める神官でしたわ。
そして、貴方のお父様は私の国に仕えた騎士でしたの」
そんなニコラスの心情を知ってか知らずか、レビアはニコラスを見つめ優しく話を始めた。
「お前の父はとても優しく、強く、誰からも好かれる男だった。
戦場では、俺の背中を護っていてくれていた。
お前が産まれてすぐ、他国との戦いで行方が分からなくなってしまった。
見つけることが出来なくて、すまない」
アニスの手紙に書いてあった事だった。
初めて聞くタイアードの声はとても重厚な声で、とても聴き心地が良かった。
その声に乗った言葉は、抵抗なくニコラスの心に入って来た。
「姉さんは、僕の時間を奪ってしまってごめんなさいって・・・
僕は、母さんが姉さんだと分かってから、姉さんから手紙を貰ってから考えたんです。
僕の時間を奪ったって姉さんは言うけれど・・・」
少し前まで、ニコラスの思い出はあの集落だけだ。
春の木漏れ日の様に・・・
温かい料理が並ぶキッチンの様に・・・
ホンワリとした雰囲気・・・
柔らかく流れる時間・・・
アニスのあの・・・
「その時間が、今のお前を作ったんだ。
奪った時間じゃなくて、お前を育てた時間だわな。
母親だと偽った理由はわからんが、お前を手放さなかった理由は、お前が一番身に染みてんだろ。
俺は子供いねーけどな・・・
親は、子供の幸せを願うんだと」
アレルの大きな手が、ニコラスの頭を掻き回した。
「愛おしくて、護りたかったんだろう。
アニスにとって、お前の成長や笑顔が、一番の幸せだったんだろ」
その言葉が、ニコラスの心に素直に入って、心の底に落ち着いた。
「アレル、どちらへ?」
「よ・ば・い」
ニコラスの髪をぐちゃぐちゃにしたアレルは、ニコラスの手に青い小瓶を握らせて、機嫌良さげに部屋から出て行った。
その後ろ姿を見送るニコラスの視界は、涙で滲んだ。




