東のバカブ神その18(ニコラスの思い)
18・ニコラスの思い
記憶の奥深く、魂に刻まれた声があった。
どんなに時が経ち、お互いにどんな名前になっても、呼ばれれば分かるその声。
「・・・アレルさん」
自分を覗き込む瞳は力強く、燃えるように朱かった。
ぼんやりとした視界に、その色は強烈に飛び込んできた。
「いつまでも寝てんじゃねーよ」
乱暴に言い放つと、アレルの姿が視界から消え、大小様々なシミの付いた天井が見えた。
粗粗しく席を立った音が聞こえ、ガイは顔を横にした。
「アレルさん、どこにいくのですか?」
「飯」
ガイが体を起こすより早く、ドアの閉まる音がした。
入れ替わりに、ニコラスがガイの枕元に腰を落ち着かせた。
それまで、ガイはニコラスの気配を感じていなかったので、少しビックリした。
「もう、素直じゃないですね。
ずっと、枕元にへばりついてたんですよ、アレルさん」
ガイが体を起こすのを手伝いながら、ニコラスが説明をした。
その瞳は、まだ金色だった。
「あの方は、昔からああですから。
で、ここは?
町はどうなりましたか?」
クラクラする頭をゆっくり動かし辺りを見渡すと、質素な部屋だということは分かった。
「町から一番近い村の宿です。
あの後・・・
実はあの繭が爆発して、皆吹き飛ばされたみたいです。
町の外まで。
っていいますか、町そのものが竜巻に飲み込まれてしまったみたいです・・・」
ニコラスから水の入ったグラスを受け取ると、手が震え冷たさが染みた。
「あの時封印しようとしていた方は、爆発で拡散してしまったみたいです。
ただ、『核』となっているものが、竜巻の中心に残っていたと、姫様が言っていました。
あの水晶に封印されていたのは、『悪の神イッキュ・バスティス』で、ここで倒しても人々の心にやましさや妬み恨み、悪しき思いが集まれば、いつでも復活するから、今、無理をすることはないそうです。
ただ、その『核』は、姫様が見る限り、なんだそうですが、自分の意思であの場に留まっているみたいですよ」
「そうですか・・・」
確かに。
光り有るところに闇がある。
闇があるからこそ、光りがある。
「あの、悪の神は見る者によって姿が変わると師匠に教えてもらいました。
ガイさんとアレルさんは、同じ方を見ていたんですよね?
どなたが見えていたのですか?」
「とても魅力的な方々ですよ。
ニコラス君はお母上ですか?」
「なんで、皆さん分かるんですか?」
顔を赤らめたニコラスに、ガイは椅子を勧めた。
「悪の神を封印していた水晶が割れたことで、僕の封印も解けたようですね。ニコラス君のように、身体的変化はないようですが」
そう言葉にして、先ほどのアレルの瞳が気になった。
いつもは黒いはずなのに、目が覚めたとき、自分をのぞき込んでいたのは燃えるように赤い瞳だった。
「ガイさんは、どこまで記憶が戻りましたか?」
チョコンと促されるままに、ニコラスは椅子に腰を落ちつかせた。
「多分、最期の記憶でしょうね。
それでも、夢を見た感覚で、もうほとんど覚えていないのが正直なところです」
「夢・・・」
「神の力というのでしょうか?
今までとは違う力があることは分かりますが、まだ、上手く使いこなせないでしょうね」
「悪の神を封印する時、バカブ神の力を使いました。
皆を助けたい、何とかしたいと思って・・・
でも、僕とは違う誰か?
いえ、それも僕なんですけれど・・・
うまく言えないんですが・・・
実は僕、他人の意識に入り込めるんです。
寝ると、夢をみますよね?
僕の夢は誰かの目から観たものなんです」
「力を使った時、そんな感じだったと?」
金色の瞳が、不安で彩られていた。
「僕は・・・
僕じゃなくなってしまうんでしょうか?」
大粒の涙が瞳を濡らし、頬を伝った。
「自分が自分でなくなったら・・・
僕の気持ちは何処へ行っちゃうんだろう?
『僕』という存在は消えてしまうんでしょうか・・・」
「大丈夫ですよ」
ニコラスは頭と心でグルグルと回る嫌なことを、静かに吐き出した。
そんなニコラスに、ガイは優しく微笑みかけた。
その顔色は、柱の封印を解いた時に大量の血を使ったせいで、まだ血の気はなかった。
「それは、『夢渡り』ですね。
僕は、ニコラス君と同じ力を持っている方を、二人知っていますよ。
そのうちの一人の方が、言っていました。
『己が己でいたいのなら、己の運命はその手で決めろ。
最期の一瞬まで、己が心と闘い続けろ』」
「なんだか・・・アレルさんの言葉みたい」
ニコラスはその言葉にアレルを想像して、なぜか少しだけ頬が緩んだ。
「女性ですよ。
これを言ったのは。
僕とアレルさんはこの言葉を聞いて育ち、この言葉を心において生きています。
・・・先代の『夢見の姫』が教えてくれた言葉なんですよ」
ガイの笑みが、心なしか寂しそう二ニコラスは感じた。
「過去や未来を夢で観る女性です。
ニコラス君の『夢渡り』も、夢見の姫の技の一つですよ」
ニコラスの頭に、あの少女が浮かんだ。
黒い髪に、伏し目がちな黒い瞳・・・
「まだ、小さかった頃、夢見の姫に言われました。
大切なモノを護りたかったら、強くなりなさい。
心も体も強くなって、運命を切り開きなさい。
あの頃は不思議に思うばかりでしたが、アレルさんがいましたから、引っ張られるように鍛練しましたね」
昔を懐かしむように、ガイは静かに笑った。
「ガイさんは、ずっとアレルさんと一緒なんですか?」
「そうですね・・・」
呟いたその口元が緩んだのを見て、ニコラスは少し体を乗り出した。
「あ、あの、聞きたいことが・・・」
瞬間、ドアが荒々しく開いて良い匂いが部屋に充満した。
「しっかり食えよ」
両手両腕、頭の上・・・
持てるだけの料理を持ったアレルが、料理を持った宿の者数人をたずさえて戻ってきた。
「食って、血ぃつくれ。
あんなに血を流しちまったら、力も流れちまう」
小さなテーブルはすぐに料理で溢れ、乗り切らないものは、ガイの足元に並べられた。
「おら、ニコも食えよ。
大きくならね~ぞ」
言うが早いか、アレルは誰よりも早く食べ始めた。
負けじと、ニコラスの胸元から飛び出したココットも、料理にかじりつき始めていた。
「金の瞳もいいですが、やっぱり茶色の瞳が君らしいですね。
さ、温かいうちに食べましょうか」
言われて窓を見たらいつもの自分が見え、ホッっとしたニコラスは、ガイの介助をしながら食事を始めた。
部屋に運ばれた料理の九割は、アレルのお腹に納まり、残り香が漂う部屋でのお茶は、眠気を誘うのには十分だった。
「さ、お子ちゃまは寝る時間だろ?」
アレルとガイの間に座ったニコラスは、少し重くなってきた瞼を擦り、すでに自分の肩の上で寝てしまったココットを、胸元にしまった。
「僕、聞きたいことが沢山有るんです。
アレルさんにも師匠にも・・・」
時間の経過と共に、ニコラスの中の疑問はどんどん膨らんでいく。
しかし、分からないことだらけなのに、なぜだか、皆の顔を見れば安心ではあった。
「なんだ、ママがいないと淋しいか?」
「アレルさん」
アレルの言葉に、ニコラスの表情が微妙に反応した。
その微かな反応を逃さず、珍しくガイが窘める声をだした。
小さく舌打ちすると、アレルはニコラスの首ねっこを掴み、ガイのベッド脇に下ろした。
「お前の師匠を呼んできてやるよ。
話はそれからだ。
いいか、寝たら次はないからな。
ガイ、余計なこと言うなよ」
ニコラスたちを振り返ることなく、アレルは足音も荒々しく部屋を出て行った。
「不器用なんですから」
そんなアレルをみて、ガイは静かに笑った。
「アレルさん、ニコラス君に悪いことしたと思っているんですよ」
「でも、僕は皆さんが思っている程、母さんのことは・・・
確かに、アレルさんに聞きたい事はあるんですが」
「貴方は強いんですね」
ニッコリ笑ったガイを見て、ニコラスは自分の心が落ち着くのが分かった。
「僕は弱いです。
泣き虫だし、皆さんに護られてばかりで」
護りたい人を護れなかった。
教会の地下、僕に向かってくる母さん・・・
母やレオンの笑顔は、もう見れない。
「僕とアレルさんは泣けませんでした。
慰めあうことも、責め合うこともせず、ただただ悲しんで、自分の非力さを恨んで・・・」
あの時、二人が見て戦った人物。
失ってしまった大切な人なんだと、ニコラスは分かった。
アレルとガイも、大切な人を失ったんだと。
「あの時も、こんなふうに手を握られました。
もっともっと、小さな手でしたが」
無意識に、ニコラスはガイの手を握っていた。
「・・・暖かいですね。
遺された者の笑顔が、何よりの薬なんです。
僕たちには」
ガイは自分の手の上に乗せられた小さな手をそっと両手で包み込み、その温もりを愛おしく感じた。
ニコラスの目には、その笑みが淋しく映った。
「あの、僕、ガイさんに聞きたいことがあったんです。
アレルさんのお名前は、本当のお名前ですか?」
どこかしら、しんみりしてしまった空気を打ち消そうと、ニコラスは声のトーンを上げた。
「・・・と、いいますと?」
「以前、師匠の書斎で見つけた神話にあったんです。
『南のバカブ神であるエル・アレルは、恋人である北のバカブ神ポセ・ティアムが亡くなったショックで、心を壊して力のコントロールが出来なくなってしまい、自分の国を滅ぼした、罪深き神である』と。
すっかり忘れていたんですが、あの赤髪の女の人が
『ここを第二のアフィーティにされちゃたまらない』といって、戦うのをやめたんです。
その時はまだ思い出さなかったんですが、この宿屋で目が覚めた時に思い出して・・・
そんな神様の名前を、親は自分の子供につけるでしょうか?
それとも、あの能力があるから、通り名として名乗っているんでしょうか?」
「『罪深き神』・・・
それほどに、愛していたんですよね。
自国の民を自分の力で殺してしまうほどに我を忘れてしまう程に・・・
アレルさんの名前は、実名ですよ。
名付けたのは、先程『己が己でいたいのなら、己の運命はその手で決めろ。
最期の一瞬まで、己が心と闘い続けろ』と僕たちに言った、先代の夢見の姫ですよ」
まただ。
また、ガイの表情がスっと憂いを帯びた。
それは直ぐに消えたものの、ニコラスはガイが言う先代の『夢見の姫』が、二人が幻として見て戦った人物なのだろうと思った。