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零地帯  作者: 三間 久士
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東のバカブ神その15(導きの星)

15・導きの星


 空気の淀みが止まらない。

臭気に呼吸がままならなくなり、視界も悪くなっていく。

ローブを抱きしめるようにして、ニコラスは町中を走った。

アレルに言われるまま館の敷地から飛び出したものの、クレフを探す宛などない。

少し前の自分なら、あの場から動けなかったとニコラスは思っていた。

アレルの殺気を隠そうとしない空気に、一歩も動けなかっただろう。

しかし、今は自分のやることは分かっているつもりだった。

胸元にしがみついているココットの温もりが、ニコラスの支えになっていた。

宛もなく、迷子のようにさ迷っているうちに、ついに数歩先までしか視界がきかなくなってしまい、何かに足を取られて転んでしまった。


「ごめん、ココット。

大丈夫?」


胸元のココットに声をかけながら、ゆっくりと立ち上がった。


「大丈夫、大丈夫」


いつもの調子で顔を出したココットを見て、安堵のため息をついた。

そして、改めて辺りを見た。


「30分もたってないよね」

「・・・人間、いるのか?」


ココットの言うとおりだった。

何やら影らしきモノが動いているのは分かるが、人間のそれとは思えなかった。


「クレフさんをお探しですか?」

「・・・シンさん

・・・なぜ、ここに?」


建物の影から、涼しい顔をしたシンが出てきた。

ココットは咄嗟に胸元に隠れた。


「顔色があまり良くないですね。

そのローブがあっても、ここまで臭気が強いと、無傷ではいられませんよ」


気持ちがザワザワと騒ぎ出した。

悲しみ、焦り、恐れ・・・

警戒。


「本能に従うのは、利口ですよ」


クスクス笑って、ニコラスの後ろを指差す。


「見てご覧なさい。

弱き者達の末路を」


視界が開けた。

淀みは漂っているものの、そこに何があるのかは分かった。

人間が変形していく。

黒煙を身に纏い、悲愴な嗚咽を漏らしながら、異業の者へと姿を変えた。

それは、ジャガー病の発症とはまた違った変化だった。


「それを餌に、ほら・・・」


影という陰から、黒く小さなモノが姿を現す。

それは、夢でみたモノだった。

カシカシ・・・

ポシポシ・・・

それらは人間を、もと人間だったモノを食べていた。


「この町は冥界に近き町。

人間の『負』が集まり、冥界のモノたちが地上への門を開け姿を現す」


ナンデ彼奴ダケガ幸セニナル・・・

私ノ方ガ才能ガ有ルノニ・・・

コンナニ愛シテイルノニ・・・


カシカシ・・・

ポリポリ・・・


金ガ欲シイ モットモット欲シイ・・・

殺シテヤル 殺シテヤル 殺シテヤル・・・

アノ女ガ欲シイナァ・・・


カシカシ・・・

ポシポシ・・・


夢か現か、ニコラスには分からなかった。


「これは夢ではないですよ」


シンが、ニコラスを見て笑っていた。

無垢なその笑顔が怖くて、ニコラスは思わず剣に手をかけた。


「敵の力を見極めないと、長生き出来ないですよ。

貴方の使命はクレフさんを探し、供にこの町を出ることでしょう」


クスクス笑うシンの身体が、黒煙に飲み込まれた。

しかし、それはシンだけではなく、ニコラスの体も黒煙が絡みついていた。

どこからか、幼子の泣き声がしてきた。


「あの星を追ってください!」


泣き声に意識を取られた瞬間、頭の中に夢の少女声が響いた。

反射的に視線を上げると、真っ暗な空に、青白い星が流れて行くのが見えた。夢の中に出てきた星だと確信し、ニコラスは黒煙の中に消えた手足を動かし、星を追いかけた。




 クレフの召喚呪文が発動しない。

印を結ぶ指先に黒い霧がまとわりつき、呪文と印の楔を断ち切る。


カシカシ・・・ポシポシ・・・

殺シチャェ

オ前ノ力ガアレバ 簡単ダロウ

殺シチャェ・・・

オ前モコッチニ来イヨ 素直ニナレヨ

楽ダゾォォォ・・・


結界の外は、まるで闇だった。

人影すら見えない。

ただ、「声」だけが聞こえた。


自分の浄化呪文で、どこまで効果があるか・・・


召喚術も上手く発動しない今、浄化呪文を唱えようとした瞬間、結界を破ってクレフの頬を空気が裂いた。


「いい腕で」


防御結界を強めても鞭先は容赦なく入り込み、クレフの身体を刻んでいく。


「あんたの姿、よぉく見えるよ。

どうせなら、少しは脅えてくれてもいいんだよぅ・・・

闇に漂うあんたの血が見えるかい?

散っていく花弁のように美しいじゃないか」


鞭先が襲う中、対峙していたはずのアネージャは、クレフを後ろから羽交い締めにした。

喉元に押し当てられた、冷たく硬い感触にクレフは息を飲んだ。


「この細い首筋から、どれだけの血が流れるか知っているかい?」


唇が、アネージャの温もりが首筋に当たる。

ナイフの刃先が、ゆっくりと喉に食い込み始めた。


「安心おしよ。

無駄にはしないさ。

あんたの血の一滴、髪の一房すら、無駄にしないよ」


皮膚が裂け、プツリと小さな赤い球体が刃先に乗った。

なおも刃先はゆっくりと中へと押し込まれる。


「ほら、綺麗だねぇ・・・」


流れはじめた血を舌先ですくい、クレフの頬に唇を押し当てた。


「一気には引かないよ。

これぐらいなら、まだ喋れるだろう?」


確かに、薄皮一枚っといったところだった。

クレフは頬に当てられた唇の温もりに、アレルに咬み契られた熱さを思い出し、今回はずいぶんと温いとボンヤリと思った。

そして、そんな自分の危機感のなさが、少し可笑しかった。

そんなクレフの視界、指先すら見えにくい空間に、スゥーと流れる白銀の光りを見た。


「師匠!」


ニコラスの声がした瞬間、鈍い衝撃と供に、背中のアネージャと供に後ろに倒れた。


「大丈夫ですか?」

「ありがとうございます」


クレフは喉元を押さえながら立ち上がると、ニコラスがアネージャの上に馬乗りになり、その喉元に剣先を当てていた。


「おや、見かけ通りの坊やだねぇ。

そんな優しい目では、相手を威嚇できないし、何より手が震えてるよぅ」


ニコラスの下で、アネージャは余裕の笑を浮かべていた。

自分の喉元で小刻みに震える剣先を指先で摘み、優しく囁いた。


「坊や、怪我をする前におどきよ」


急所を捉えているのはニコラスなのに、逆に心臓を鷲掴みにされ、今にも握り潰されそうな危機感があった。


「ぼ、僕はアレルさんから言われたんです。

師匠を連れて、この町を出るようにと。

お願いします、退いてください」


その名前を聞いた瞬間、アネージャの顔色が変わった。


「嫌な名前を聞いちまったね。

・・・合点がいった。

興醒めだね」


アネージャはニコラスを抱え込むように立ち上がると、優しく立たせた。

困惑しながらも剣を構えるニコラスに、アネージャは力なく微笑む。


「興醒めしたって言ったろう。

安心おしよ、もう殺る気は萎えたよ」


そう言って、アネージャはクレフへと視線を向けた。


「こんなにも、アンタに執着したのが分かったよ。

今日は引くとするよ。

ここを、第二のアフィーティにされちゃ、たまらないからねぇ。

坊や、良いことを教えてあげようじゃないか。

あの方が動き出したよ。

アタイはあの方に付いていくよ。

坊やはどうするんだい?」


ニコラスの記憶の片隅に、靄がかったところがあった。

自分の記憶だけれど、自分のではない記憶。


「選ばないなら、死ぬだけさね。

人間に試練と罰を・・・

また今度会おうじゃないか・・・

お前の瞳は変わらないねぇ、クレアス」


そう言って、アネージャは笑いながら黒煙の中に姿を消した。


「僕をクレアスと・・・」

「・・・試練と罰。

元より目覚めていたのか、この町の封印が解かれたと同時に目覚めたのか・・・

あの方は、自殺の女神、ジ・エルフェのようですね」


その名前を聞いた瞬間、ニコラスの瞳から涙が溢れ出してきた。


なんで、戦わなくてはいけないのだろう・・・


その気持ちが、ニコラスの心に広がり、締め付けるように痛くなった。

そろりとニコラスの胸元から出たココスは、ローブから出ないよう気を付けながらもいつも通り肩に落ち着くと、その頬を流れ落ちていく涙を舐め始めた。


「ニコラス、目が・・」


そして、いつの間にか、ニコラスの瞳は金色に変わっていることに気が付いた。


「自殺の女神はジャガー神の涙から生まれたといいます。

神々の戦いでは、破神軍としてジャガー神の封印を解こうとしていたと、神話には残っていますね」


クレフは泣きじゃくるニコラスの肩を、そっと包んだ。

もう、誰も傷つけたくない、傷ついてほしくない。

そんな想いが、涙と共にとめどなく流れた。

ニコラスは泣きながら思った。


その時の自分は泣けなかったから、だから今、こんなにも涙がでるんだろうな・・・


「『記憶』より、『想い』を思い出しているのですね。

西のバカブ神ネメ・クレアスは世界の中心にある聖樹ラ・パンヤから生を受けたといいます。

その身は地上にあっても、世界の最下層・冥界まで自由に往来出来き、第一層の天上界まで上れる・・・

誰よりも、風の者よりも世界を回っていたのかもしれませんね。

きっと、貴方は神の一族を愛していたのでしょう。

愛し慈しんだ人間を護るためとはいえ、同じ一族同士での戦いが、よほど心苦しかったのでしょう。

最下層の神々との交流も誰よりも強かったでしょうし。」


アネージャの去り際の言葉が気になった。


「選ばないなら」・・・何を選べと言うのだろうか?

神であることを?

人間であることを?

この剣先をまた誰かに向けるのだろうか・・・


「ジャガー神は終末の神・・・

よからぬ者が動いているのは確かなようですね。

さあ、仕事を片付けてしまいましょう」

「でも、アレルさんは早くここを出ろと。

・・・顔は見えませんでしたが、めちゃくちゃ怒っていました。

それに師匠も怪我を・・・」

「これぐらいなら・・・」


クレフはニコラスに首を見せた。

そこには掠り傷一つない、美しい肌があった。


「師匠、回復呪文も出来るんですね。凄いです!」

「・・・それとは違います。

しかし、私のダメージについては気になさらなくて結構ですよ。

ニコラスは私やアレルより、自分の身を第一に考えなさい」


純粋な目を向けられ、クレフは一瞬言い淀み、ニコラスの頭を優しく撫でた。


「水晶は割れてしまったのでしょう?

結界魔法も使えないのですから、勝ち目は低いでしょうに。

サーシャ殿が来るまで、時間稼ぎの結界でも張らないといけませんからね」


クレフに背中を軽く押され、ニコラスは歩き出した。

そんな二人を待っていたかのように、闇の中に青白い星が輝いていた。


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