東のバカブ神その13(変化)
13・変化
昔から人混みは苦手だった。
行き交う人々の体温・臭い・話し声・自分に向けられる視線・・・
全てが苦痛だった。
だから、出来るだけ外出はしなかった。
家を出る時は、決まって出来るだけ深くフードを被り、気配を消して人混みに紛れきった。
そうすれば、誰も自分を見ない。
・・・それなのに、人混みに紛れながらも誰かを探していた。
自分と同じ姿をした者を。
「急いでいる所をすまないねぇ。
一応、この街を収めているアネージャって者でね」
何時ものように人混みに紛れ込んだと思っていたクレフだったが、数人の男と一人の女によって行く手を阻まれた。
周囲の強面の男たちは皆、自分の目の前に立つ女の仲間だと確信した。
女はウェーブがかった朱い髪を肩で揃え、力強い朱い瞳でクレフを真っすぐに見つめ、朱い紅をさした唇を美しく湾曲させていた。
その瞳の力強さは、一人の男を思わせていた。
「ちょいと、人を探していてねぇ」
自分を囲む男たちの中に数名、手当済みの者が居るのをみて、クレフは誰の仕業か想像がついた。
急いでいるというのに、あの男の皺寄せとは・・・
クレフは神経質そうに眉を痙攣させた。
「溜息が似合うねぇ。
そんなフード、お取りよ」
アネージャの右手が動いた瞬間、クレフの右耳が空気の悲鳴を聴き、同時にフードが外された。
「貴女の捜し人は、私では・・・」
アネージャの後方、クレフの視界の恥で、今まで以上の黒煙が上がった。
「お分かりでしょう?」
あの男が暴れている。
どこに居ても、あの男は分かる。
まるで、その存在を誰かに見つけて貰いたいかのようだ。
「そのようだね。
でも、あんたの方が話が分かりそうだ」
「何が聞きたいのですか?」
先刻、風が変わった。
街がいつになくザワつき始めている。
黒い霧が濃くなり始め、心弱き者は街の一部となり始めている。
クレフの目の前、この女の仲間も例外ではなかった。
「アタイはこの町を納めて長いが、こんな状況にまでなったことがなくてね」
自分の真後ろで、自分の部下がモンスターに姿を変えても、アネージャは動じることはなかった。
モンスター化した部下は、他の者たちの手によって片付けられていく。
「アンタ、強いだろう?」
「なぜ、そう思うのですか?」
黒い霧が刻々とその濃度をあげていく。
「この町で、こんなにも・・・」
上がる黒煙と街の霧が混ざり合い、みるみるうちに町を被っていく。
臭気が強くなった。
町の狂気に踊る人々
人の姿すら捨て去り、欲望を貪るもの
狂気に抗い悲鳴を上げる者
狂気が渦巻く中、アネージャは変わらず強い瞳でクレフを見ていた。
「美しいからさ」
アネージャにとって、こんなにもざわついた日はなかった。
立ち込める臭気
そこかしこから聞こえる悲鳴
ねっとりとした血の臭い・・・
「アタイはいつになく気分が良いし、落ち着いているんだよ」
この状況に、懐かしささえ感じていた。
「随分と、猟奇的な嗜好をお持ちで」
なんて美しい顔。
こんなにも汚れた街の中で、女神像の様に白い。
さぞかし朱が映えるだろと、アネージャは想像した。
「数年に一度、臭気が濃くなり始めると、ある国から位の高い僧侶がやってくるんだよ。
アタイの館にひっそりとある、開かずの間に入り、数時間もすると出てきて、とっとと町を出ていくんだ。
その後は、この町も綺麗な空が見えて、綺麗な空気が吸える。
そして、一日一日と汚れていく。
アタイは、綺麗になんかしてほしくないのさ。
この町が汚れれば汚れる程、心地いいんだよ。」
黒い臭気
血の混ざった腐臭
絶望の悲鳴・・・
気分が向陽した。
心臓の高鳴りが、耳のすぐ横に聞こえた。
力がみなぎるのが分かり、今にも暴れだしたかった。
「なのに、あの女が来るんだよ。
あんたと同じ、美しい女でねぇ。
何度あの首を切ってやろうかと思ったことか。
でもねぇ、不思議と近寄れないんだよ。
この町に入ったのは確認出来るのに、気づけば女の仕事は終わり、気付けばその姿は町のどこにも居ない・・・」
ああ、なんて綺麗な首だろう・・・
アネージャの視線は一点で固まっていた。
「余計なことをおしでないよ。
そう、言いたいのさ、その女に。
でも、今回は違った。
あんた達だろう?
あの部屋に入ろうとしているのは?」
「はい。
しかし、もう手遅れのようですね」
抑揚のない声に顔。
あの顔が悲痛に歪んだら、高ぶっているこの気持ちをどれだけ満たしてくれるかと、アネージャは想像した。
「あの部屋に、何があるんだい?」
いつからあるのかさえ知らない。
先代からも何も聞いていない。
入ろうとしても、封印の結界に弾かれる。
ただ解るのは、あの部屋とこの街は繋がっているということだった。
「知らない方が幸せですよ。
それより、速くこの町を出ることをお勧めします。
まぁ、貴女のその様子からしたら・・・」
アネージャの右腕が動いた。
クレフの足元の石畳が弾け、ローブの裾がめくれても、綺麗な顔はピクリとも動かない。
挑発に動じない姿を見て、アネージャはますます見てみたくなった。
「あんたの血は、どんな味なんだろうねぇ。
ほら、この子らも、味わいたいと言ってるよぅ」
アネージャの足元から、異形の者が影のように姿を現した。
アネージャは、はやる鼓動に合わせて鞭を振るった。




