東のバカブ神その4(宿の三人)
4・宿の三人
それは瞬きをした感覚だった。
満天の星空の中、ひときわ輝く青い星を目指していたはずだった。
一瞬の瞬きの後、見慣れた顔があった。
「少しうなされていましたが、嫌な夢でも?」
額に置かれたクレフの手がヒンヤリとして、ニコラスは心地良さを覚えた。
そうだ、久しぶりに夢をみたんだ。
でも、夢の中に、僕の目の前に他人が居ることなんてなかったのに・・・
と、ニコラスはゆっくり状況を把握しはじめた。
「飲めますか?」
差し出されたコップには、冷たい水滴がついていた。
テーブルの上に置かれたランプの火で、クレフの影が左右に揺れていた。
「有難うございます」
体を起こし、水を一口含んだ瞬間、身体中が水を欲し始めた。
ニコラスは一気に飲み干してしまった。
「ゆっくりお飲みなさい」
硝子の水差しで、二杯目がつがれた。
「すみません、僕は・・・」
言われたとおり、ゆっくりと二杯目を飲み干した。
「この町についた瞬間、気を失いました。
気分はいかがです?」
「悪くはないです。
体が少し怠いですが」
「この町は、貴方のような人には辛いでしょうね。
この部屋に結界をはりましたから、ここにいる限り安全です。
もう少し、お休みなさい」
それまでそうしていたのか、クレフはベッド脇の椅子に腰をかけると、テーブルに伏せていた本を再び読み始めた。
「すみません師匠、僕サッパリ分からなくって・・・」
体を休めるでもなく、ランプの火で踊るクレフの影を見ながら、ニコラスは静かに問いかけた。
「ああ、この町にふさわしい男のお帰りですよ」
問いかけに答えようと口を開いた瞬間、荒々しい足音が聞こえ、クレフは重い溜息をついて本を閉じた。
それは階段を昇りきると、この部屋のドアを荒々しく開けた。
「おう。
気が付いたか」
その青年はマントを乱暴に振り、クレフが腰掛けていた横の椅子に乱暴に腰を下ろした。その顔は疲れているのか、ランプの揺らぎも手伝ってか、いつもに増して凶悪に見えた。
「会えましたか?」
その行動に、クレフはあからさまに嫌な顔をした。
「駄目。
この町は誘惑でい~っぱい。
どこで稼ぐのか、たんまり持ってやがるがな」
アレルの懐、マントの裏、腰回りの袋から、金貨銀貨色とりどりの宝石が出てきた。
「まさか・・・」
「授業料。
この俺様に声をかけたんだ、これぐらい安いだろう」
ニコラスは益々状況が飲み込めず、キョトンと二人のやり取りを見ていた。
「坊主が訳分からんって顔してるぜ。
説明してやれよママ」
「誰がママですか。
貴方が旅路を急かすからですよ」
「しょーがねぇだろう。
レビアからの時間指定、めちゃくちゃギリギリだった上に、お前等ときたら、やっぱりあと三日は無理だなんて我が侭ほざくから。
でも、楽しかったろう、初めての空中飛行」
荒々しく立ち上がり、眉間に皺を寄せ、口調も粗粗しく言い放った次の瞬間、ニヤッと悪戯小僧みたいに笑ったりと、よくコロコロ表情が変わる。
と、ニコラスは肝心の話を他人事のように流していた。
「あの時、ニコラスは新しい召喚獣との契約中だったんです。
今のニコラスのレベルでは、簡略化した契約ではニコラスの精神と体、両方の負担が大きいのです。
実際、この様です。
第一、なんなんですか、あの荒さは!」
つられるかのようにクレフも立ち上がった。
その口調が、段々と熱を帯び荒くなっていく。
「はぁ?
これでもかっ!
ってぐらい、丁寧に飛びましたけどね。」
「あれのどこが・・・」
「あの、僕を置いていかないでください」
こんなやりとりは、この数箇月で慣れたもので、そろそろか・・・と、ニコラスが二人の間に口を挟んだ。
出立前、ニコラスは魔術の勉強をしつつ、新しい召喚獣と契約をしていた。
この時の召喚獣は、クレフぐらいのレベルになると、数時間ぐらいで終わるのだが、ニコラスのような見習いだと一週間はかかった。
それだけ強い召喚獣は、媒体となる者のレベルが低いと命取りになる。
しかし、ニコラスには神の力があるので、逆に便利だとクレフが判断して契約をしていた。
実際は、もう少しレベルをあげないと使いきれないと、ニコラスは説明を受けていた。
そのニコラスの契約が終わると、シルキーが準備してくれた荷物を持って、アレルの背中に乗って二人は空を飛んだ。
休み休み野宿をしながら一週間かけてこの町に到着したとたん、ニコラスは倒れた。
「この町には、世界中の負の感情が集まってきています。
怒り、憎しみ、怨み、悲しみ、妬み・・・
ニコラスのように純粋な心の持ち主は、素手で毒を触るようなものなのです。
そしてやっかいなのが・・・」
クレフがカーテンを開けると、薄汚れた窓が見えた。
「この町です」
「町が厄介なんですか?」
ベッドをでて、硝子越しに外を覗いたが、窓ガラスが汚すぎてよく見えなかった。
窓を開けてしまおうと鍵に手をかけるも、クレフに止められた。
「毒を入れるようなものです」
ニコラスの前のガラスを、男が息をかけ自分の汚れた袖で磨いた。
幾分、見えやすくなったガラスの向こうには、あちらこちらに建物とは別に緑の壁がみえた。
「この町は『黒い迷宮』と呼ばれていて、迷路のなかにあります」
「目的地につくまで、時間がかかりそうですね。
あ、最初に地図を手に入れなきゃいけないんですね」
なるほど、あの緑が迷路の壁なんだ。
と、ニコラスは納得した。
「地図は無意味ですよ」
「えっ?」
「この町は一日ごとどころか、一秒ごとに成長しているのですから」
「成長って・・・」
「おら、良く見てみろよ」
アレルは汚れた服の袖で、それよりは綺麗になった窓ガラスをさらに磨いた。
ニコラスは目を凝らして見た。
「動いてんだろ?」
確かに、緑の壁が動いていた。
葉の一枚一枚、延びたツルの先端が、ゾワゾワと動いていた。
「この町に集まる負の感情を糧にしているのです」
世界中から集まる負の感情を糧に成長する町。
「はい、おさらい。
あと三日のうちに、この町の中心にある水晶に、結界を張らなきゃいけないわけだ。
なんでも、いつもは担当者が直々に来て、水晶の浄化をしてたらしいんだが、今回は別件で遅れてると。
同時に、孤児院で奪われた水晶の回収」
「結界を張らなかったら、どうなっちゃうんですか?」
「さぁ?
まぁ、失敗したら、レビアに怒られて報酬無しどころか、しばらくはタダ働きってのは、分かってる」
そう言われても、ニコラスはレビアが怒っている姿を想像出来ないでいた。
「まっ、いざとなったら、この壁を焼いて進めばいいだろ」
ニヤッと笑った顔がニコラスにはとても凶悪に見え、冗談で言っているのではないと分かった。