少年ニコラスその12(再現される悪夢とリンゴの夢の終わり)
12・ 再現される悪夢とリンゴの夢の終わり
「今日のデザートも、美味しかったね」
一日の汚れを落とし暖かな夕飯で空腹を満たすと、自然と瞼が下がってくる。
まだ年端もいかない少年は、しっかり歯を磨きはしたが、脳内で数分前のデザートの味を思い出し、何も入っていない口をモグモグと動かした。
「そうだね」
ニコラスと同じぐらいの少年はベッドの毛布を持ち上げ、そんな小さなルームメイトをその中へと誘った。
最近の夕飯のデザートは豪華だった。
マークのくれた林檎のおかげで、デザートのレベルが上っていたが、ちょうど昨夜で品切れとなった。
けれど、今夜のデザートはニコラスが作ってくれた乾燥ココットのパイで、皆で美味しく食べた。
「夢の中でも、食べたいなぁ・・・」
ベッドに横になり、暖かな毛布をかけてもらいながら目をこすった瞬間だった。
その指先に、ズルリと、何かが絡み付いた感触がした。
「え・・・」
何が起こったのか、目の当たりにしたのは毛布をかけた少年だった。
小さなルームメイトの右目は、こする指の動きに合わせてズルズルと剥けた。
熟れた柑橘類の様に。
「あれ?
もうランプ消した・・・・ノ?」
痛みを感じる間もなく、幼く愛らしい顔はグズグズと崩れ出し、小さな体は不気味な音を立てて変形し始めた。
「あ・・・ああ・・・」
それを前に、少年は数年前の両親を思い出した。
「なんで・・・
なんで・・・」
あの時も、両親はこの子のように人間でなくなった。
新月の夜、自分の目の前で、奇妙な声を上げながら見たこともないモンスターとなった。
そしてあの時も、夜の闇よりも暗い穴が大きな口を開けて眼の前に迫ってきた。
ただ、あの時と違うのは、この瞬間、自分の体も凄まじい痛みに襲われ始めたことだった。
マークは日々、体の疼きが酷くなっていくのを感じていた。
それは指先からはじまり、徐々に体の中心へと広がっていった。
朝は我慢できるものの、夜になると一層ひどくなり、発熱も手伝ってか寝ることもままならなかった。
だから、動けるようになってからは、毎晩のように中庭に出てきた。
「神よ、私はこのままここで過ごしたい・・・」
体中を掻きむしりながら、男は大きな木の根元に倒れ込んだ。
最近は、意識も危うい。
亡くした者達との時間と、今ある者達の時間がマークの中で重なることが多々あった。
「私はここで、子ども達に勉強を・・・」
「オ前ハ私ダ・・・オ前ノ手足ハ私ノモノ・・・」
マークの口から、マークのものとは違う掠れた声が出てきた。
「私は生きたいのだ!
私は人間として・・・」
その声を飲み込むように、マークは胸を掻きむしりながら叫んだ。
「言ッタダロウ、オ前ハ私ノモノダト。
私ノ意思二抗ウノナラ・・・」
「マーク先生、火が!家事だ!!まだ、何人か中に・・・」
そこへ、パジャマ姿のままのカリフが5人の子どもを連れて、建物から逃げてきた。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
月明かりはない。
建物からチロチロと覗き出した炎の舌先が、濃い闇夜をうっすらと照らし、その光景を子ども達に見せ付けた。
小さな口はこれでもかと言うくらい大きく開かれ、絶望の悲鳴が上がった。
「栄養ヲ・・・」
ミシミシと体中から木の育つ音を立てながら、マークは恐怖で動けなくなった子ども達に腕だった根を伸ばした。
そこに、マークの意思はなかった。
火は、確実に建物内を喰らい始めていた。
しかし、その舌をチロチロを見せるぐらいで、本格的ではなかった。
それよりも煙がひどく、ニコラスは服の袖で鼻と口を抑えながら、逃げ遅れた子どもが居ないか、一部屋一部屋確認していた。
「ニコ、もう外に出よう」
毛が燃えるからと、胸元に押し込まれたココットは、顔を出すことなく声をあげた。
「半分はカリフ君が確認しているから、あとちょっとで終わるよ。
それに、アンナさんを見てないし、マークさんも居ない。
あんなヨロヨロの状態で、ここから逃げるのは無理だよ」
「ニコ、嫌な匂いがする!」
言いながら次の部屋のドアに手をかけたて引いた瞬間、ココットが今まで以上に声を荒げた。
瞬時に、ニコラスは腰に下げていた剣に手をかけた。
「・・・なんで・・・」
それは、大きな影だった。
肉の塊の中、ブヨブヨと波打つ黒いものの上の方に、崩れた幼い顔が張り付き、大きく裂けた口で小さな手を食べていた。
「ニコ!
逃げよう!!」
服の上から胸元をココットに噛まれ、ニコラスはハッとして走り出した。
が、しっかりと最後の部屋のドアを開けた。
「ここも!」
ココットの鼻が異臭を感知したのと、ドアが開くのは同時だった。
そこには幼い子供の頭をした鳥が居た。
それは声にならない声を上げ、骨を鳴らしながらその幼い顔を鳥のものへと変えていった。
「あ・・・」
腰が抜けた。
思考が止まった。
へたりこんだニコラスの視界いっぱいに、闇が口を開けた。
瞬間、ガラスの割れる音を聞いた。
「・・・ガイさん」
細身の体がムチのように靭やかに動き、瞬く間に鳥はその瞳の色を失った。
「悪い予感は、よく当たっちゃうんです。
さて・・・
動けますか?」
軽く頬を叩かれ、ニコラスは小刻みに頷いた。
止まった思考が動き出し、自分の心臓が激しく動いていることに気が付いて、思わず胸を押さえた。
「動けます。
・・・動きます」
さっきココットに噛まれた傷が、ズキズキと痛かった。
「では、結界を張ってください。
結界、張れますか?」
戦闘準備なのか、ガイの服の下で、何やら小さな金属音が複数聞こえた。
「・・・簡単なものでしたら、クレフさんに教えていただきました」
そうだ。
何のために部屋を見て回っていたのか?
自分はもう戦う側なのだ。
ニコラスはそう自分に言い聞かせ、少し震えながら立ち上がった。
「では、術の併用は?」
「多分、頑張れば・・・」
弱いけれど、使える召喚獣も増えた。
剣の腕も上がったはずだ。
守備力を補うアイテムも装備している。
自分は戦う者だ。
そう自分を奮起させて、腰に下げた袋から小さなアクアマリンのペンダントを付けて、確り剣を構え直した。
「クレフさんから、火へのお守りと頂きました。
大丈夫です。
やれます」
自分を見上げる瞳に力強さを感じたガイは優しく微笑むと、ニコラスを抱えて入ってきた窓から一気に外に飛び下りた。
身を包む熱気が一気に冷たい外気に変わり、すぐにネットリと獣臭いものに変わった。
「では、子ども達を頼みます」
数メートル先に、恐怖で固まった5人の子ども達と、守ろうと両腕を広げて立つカリフが見えた。
そして、そんなカリフが対峙しているのが、動く巨大な樹木だと確認した。
「カリフ君!!」
剣を構え、樹木とカリフの間に滑り込んだ。
四方八方から襲い来る根や枝を薙ぎ払いながら、召喚獣を召喚するタイミングを見計らっていた。
「ニコ、早く召喚獣」
「呪文の詠唱に集中できないし、そもそもどの召喚獣がいいのか、分かんないんだよ」
「分からなくなる程、契約してないくせに」
ココットの意地の悪い一言に、ニコラスは返す言葉もなかった。
胸元から急かされるも、剣を振るうので精一杯だった。
「んじゃあ、せめて結界ぐらい張らないと・・・」
「分かっているけど・・・」
剣が受ける衝動で腕が痺れ、上がらなくなり始めた。
教会の裏にあるこの立派な木は、他の木と同じ様に去年まで多くの実を付けていた。
それはルビーの様に真っ赤で、一つ一つが大きく、芳醇な香りで数多の鳥を誘っていた。
持ち主である老夫婦は、毎年その実を売り歩いて生計をたてていた。
しかし、クレフの目の前には、焼けて今にも倒れそうな巨木の成れの果てだった。
「これは・・・どうして、林檎の木が・・・」
やせ細った神父は、林檎の木の成れの果てを見つめるクレフの後ろで、ランプを片手に信じられないといった声を上げた。
「・・・もう一度、お伺いします。
これが最後です」
今にも崩れ落ちそうな幹を見つめながら、クレフは口を開いた。
「貴方はなぜ、まだこの村に留まっているのですか?」
「それは、ここが私の村だから・・・」
クレフの声と言葉が、神父の不安を煽る。
「村・・・
それは、ここで生活するものが一人もいないこの焼け朽ちた場所を言っているのですか?」
「・・・一人もいない?」
分からないと言った神父の呟きを聞いた。
クレフの足元が銀色に光りだし、巨木をも包み込む繭状の魔法陣になった。
それは月明かりのない新月の空間で幻想的なまでに輝き、ガラスのように四方八方へと砕け散った。
繭の中から現れたのは、燃える前とは似ても似つかない巨木だった。
太さにばらつきのある根が絡み合い幹となり、枝には葉の代わりに多様な髪が絡みつき、実の代わりに大人や子どもの顔や、目や耳や手足といった人間の一部分が巨大化して垂れ下がっていた。
「ひいいいいいいいっっっ・・・」
神父は喉の奥から掠れた悲鳴を出し、その場にへたり込んだ。
ランプが地面に落ちると、溢れたオイルに火が燃え移って広がり始めた。
「お・・・おおお・・・」
そんな巨木の中央に、崩れた顔があった。
個人識別は難しいであろうその顔には、大きな特徴があった。
顔の中心、大きな鼻の頭に大きな黒子が二つ、重なってついていた。
神父はそれを確認すると、言葉とも嗚咽とも区別のつかない声を出し、両腕を使って後ず去りを始めた。
「やはり、いらぬ情けでしたね」
クレフがパチンと顔の横で指を鳴らすと、銀色に輝く魔法陣が幾つも空中に現れた。
「どなたか存じませんが、そろそろ宜しいでしょう?」
パチンパチンと指を鳴らす度に、空中の魔法陣はその数を増やし、その輝きは昼の太陽よりも明るく、夜の月よりも厳しかった。
「ラズルシャーチ」
最後にひときわ大きく指が鳴らされると、それらの魔法陣は次々に音を立てて割れ始めた。
その銀色の破片は、大地に落ちる前に姿を消し、代わりに泉の表面に風が巻き起こり、水を巻き上げ光り輝く大きな龍となった。
その衝撃に引きずられるかのように村中の空間が振動し、闇が欠片となって落ちていく。
闇が剥がれ落ち、また闇が姿を見せた。
「薄いのですよ・・・
私を縛りたいのでしたら、もっと強くなくては無理ですね」
クレフの呟きとともに、龍は天に向かって輝く息を吐いた。
それは風に乗り、輝くヴェールとなって国中に広がり、一瞬、爆発的に輝いた。
その光が収まると、輝く龍も消え、いつもの新月の夜があった。
泉は枯渇し、村が焦げた匂いは新しく芽吹き始めた緑と、小さな生命のほんの微かな匂いと音に変わっていた。
それが、この村の真の一年間の変化だった。
「綺麗だったな。
坊主が見たら、喜んだろうな。
何だかんだ言ってても、見に来てやっちゃうんだから、お優しいね」
どこからか、感心した声が聞こえた。
「・・・私の魔力を抑えこんでいた結界を壊したまでです。
術をかけた方までは分かりかねますが・・・
やはり、お二人のようでしたね。
あの子なりに考え動いた事に、私の仕事の後始末が含まれていただけです。
さて・・・
あとはお任せします」
巨木はその醜悪な姿のまま、その根を四方八方からクレフへと勢いよく伸ばした。
「お前からの報酬、キス一回な」
それは、音もなくクレフの前に舞い降りると、夜の闇より深い翼を悠々と広げ、同時に抜け落ちた羽根が炎に変わり根を燃やし始めた。
「まずは身を清めてください。
そうしたら、私の足元に跪き、靴先になら許しましょう」
その声が、男にはいつもより優しく聞こえた。
「なら、一緒に湯浴みしようぜ。
紅蓮炎上」
幾つもの炎が闇を照らし、その全てが巨木を襲った。
「おおおおおおおおおおお・・・・」
熱いのか痛いのか、巨木は焼けながらも顔や目が垂れ下がった神の絡みつく枝を、絡み合った根で攻撃を止めなかった。
「鈍いんだよ」
炎の明かりで、青年の両手に構えられたクナイが鈍く光った。
瞬間、闇の塊が巨木に飛び込んだ。
遅いくる枝や根はクナイによって切り刻まれ、樹液が出る前に傷口から燃やされた。
「おおおおおおお・・・・」
巨木は業火に包まれた。
襲ってきた枝や根は燃えながら天へと向けられ、枝から垂れ下がる口や顔からは断末魔が上がった。
業火の中、巨木の中央の顔の眉間に、二本のクナイが深々と刺さった。
そこから、どの炎よりも明るく熱い炎が吹き出した。
「もう、還れよ」
熱風がその呟きをクレフに届けた。
それは、どこか寂しくも悲しくも聞こえた。