少年ニコラスその11(リンゴ畑のある滅びた村)
11・リンゴ畑のある滅びた村
アルジェニアには、小さな村がいくつかあった。
国の一番北にある、研究城と呼ばれるジャガー病を研究している城の城下町の隣にあった村は、
北の山と西の山の裾が交わる場所にあった。
数件の住居を構え、山から下ってくる川と小さな泉、小規模の畑と家畜。
そして、村の七割を締めていたのは林檎畑だった。
去年までは。
村唯一の教会は、中央の泉の傍にあった。
他の家と全く同じ木造で、出入り口の扉に『風の女神』の像が置いてなければ、教会だとは気が付かなかっただろう。
祈りの間はとても小さく、明かり取りの窓はステンドグラスではなく薄いガラスで、円形に並べられた少ない椅子も使い込まれた住居のものだった。
その中心に、横笛を吹く木造の女神像が祀られていた。
その像は風を受けているかの様に、長い髪はたなびき、ドレスの裾は軽くめくれ、そこから覗く両の足は何も履いていなかった。
「女神様、なぜこのような場所へ・・・」
明り取りから差し込む夕日は、女神像の前で跪き祈りを捧げる白いローブの者を優しく包み込み、その艷やかな銀糸の髪を神に捧げられた極上の織物の様に輝かせていた。
神父は、とても痩せていた。
平均より少し低い身長に、痩せてサイズの合わなくなった服はまるで借り物のようだ。
白髪交じりの伸びた髪を後ろでくくり、前髪から覗く太い眉にも数本白いものがあった。
その下の目は、黒目に白い膜が張り始まっていた。
「女神ではありません。
ただの使いのものです」
立ち上がるも、その者は女神像を見つめたまま、声をかけた神父に背を向けたままだった。
「風の女神はその笛の音で眠れる者を起こし、四季を伝える女神。
風の女神はその性質上、一箇所にとどまることはありません」
「この村の者は皆、風の女神の笛で真実に目覚めました。
この小さな村で、四季という自然とともに生きることを選んだのです」
笛の音色・・・そうポツリと呟き、振り返った。
銀糸の髪に縁取られた、透き通った白い肌の小さな顔。
どこを見ているのか分からない伏し目がちな薄い青紫の瞳、小さな赤い唇、その美しさに神父は恐怖を覚えた。
「貴方は、いつからこの村に?」
差し込む夕日に月明かりが混ざり始め、銀糸の髪が聖なるローブの様に全身を包んだ。
「・・・私は、産まれも育ちも、この村です」
それは、とても静かな問いかけだった。
しかし、恐怖を覚えた神父にとっては、とても恐ろしいものだった。
「なぜ、まだこの村に?」
覚えた喉の乾きはとても酷く、今すぐにでも水を飲みたかった。
しかし、指先一つ動かしてはいけないと、本能が警戒していた。
「質問の意味が、分かりかねます」
雪こそ溶けたものの、まだ日中でも暖をとるこの時期に、神父の全身は冷やかな汗をかいていた。
「では、私が導きましょう・・・」
音もなく歩き始めると、大きな影がザワリと動いた。
それをみた神父は、一気に腰を抜かしてしまった。
微かに、獣のような匂いを感じた。
「さあ、こちらへ・・・」
そんな神父に声をかけ、音もなく祈りの間から出ていった。
大きな影を連れて。