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零地帯  作者: 三間 久士
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少年ニコラスその8(お礼のリンゴ)

8・お礼のリンゴ


黄昏時。

少し前まで、隣で歩いているお互いの顔は夕焼けで赤く照らされていた。

その明るさはほんのりと顔や体の輪郭を照らし、周りの家々の影もあって、中央に向けて影が刻一刻と濃くなっていた。

孤児院を出た時は、確かに二人だった。

足元の石畳に落ちている影も、足音も二人分。

けれど、隣にいるのは本当に・・・

足元を邪魔する雪もなく、空気も肺を凍らせようとする程ではない。

寒い時期とはいえ、生まれ育った集落よりも過ごしやすいが、この時間帯は寒さに関係なく不安を掻き立てた。

それはカリフも同じなのか、いつになく口数が多かった。


「キルラは、マーク先生やママ先生が大好きなんだ」


不安が大きくなり始めた時、カリフがランプを付けた。

闇に飲み込まれようとしていたお互いの顔が、ランプの明かりでハッキリと見えた。


「二人とも、ううん、あそこにいる人たちは皆、優しいもんね」


あちらこちらに跳ねた茶色の髪や、余り表情が動かないカリフの顔でも、確り見えれば安心した。

ランプの光に釣られて、ココットがニコラスの胸元から右肩へと出てきた。

その小さな頭を軽く撫でて、ニコラスは少しだけ残っていた不安を消した。


「キルラは、寝ている間に両親を失ったらしいんだ。

差別される前にサーシャ様に保護されて、両親は病気で一緒に住めなくなったと説明されたけれど・・・

きっと、もう会えないんだと分かっていると思う。

だから、キルラはママ先生を母親だと、マーク先生を父親だと思いたいんだ。

甘えさせてくれるから」


周囲の家々から、道へと明かりが漏れ始めた。

それも手伝って、小道の影も見やすくなっていた。


「だから、病気になると、また消えてしまうと思っているんだ。

ああ見えて、臆病なんだ」


ニコラスの見てきたキルラは、好奇心旺盛でとても明るい女の子だった。

その明るさは孤児院の中でも一番で、不安を持っているなんて微塵も感じられなかった。

『皆同じよ』

アンナの言葉が思い出されて、ニコラスの心が痛んだ。

キルラは元より、あそこの院に居る子ども達は皆、ジャガー病で肉親を亡くしている。

それがどんなに悲しくて、苦しいか、ニコラスは良く分かっていたし、自分より幼い子ども達がと思うと、さらに心が痛くなった。


「・・・大丈夫。

一人じゃないから」


気持ちが表情に出ていたニコラスの手に、カリフはそっと自分の手を添えた。

ニッコリともしないカリフだったが、その温かさに、ニコラスは心がポッと、ランプの様に温かくなったのが分かった。


「そうだね。

皆、いるもんね」

「オレッちもいるもんね」


焼きもちを焼いたココットが全身の毛を逆立てて、ニコラスの頬に体を擦り付けた。


「分かってるよ、ココット」


そんな焼きもちが嬉しくて、ココットの毛並みがくすぐったくて、ニコラスはクスクスと笑った。


「そのリス・・・喋るのか?」


いつもはニコラスの胸元か肩の上で大人しくしているリスが、人間のように拗ねて話し出したので、カリフはびっくりしてのぞき込んだ。


「あ・・・うん。

ココットはリスじゃなくって、召喚獣なんだ。

クレフさんが、僕にくれたんだけれど


『あなたに一番必要なモノが出てきますよ』


って言われて・・・」


初めて召喚獣の卵を貰い契約をした後で、クレフに言われた言葉を思い出し、ニコラスの気持ちが揺らいで何かが分かりそうになった。

その時、幼い少女の悲鳴が微かに聞こえた。


「キルラか!?」


カリフの声に反応して、二人の心臓がきゅっと縮んだ感じがして、声の聞こえた方向に走り出した。

周囲の家々は直ぐになくなり、闇に慣れた目に、少し先にぼんやりと町を囲う壁が見えて、端まで来てしまったのが分かった。

ランプの明かりが届いていなかったが、その壁に向かって二本の足で不格好に立っているモノが居ることが分かった。


「ガルルルル・・・」


喉から発せられる低い唸り声。

鼻を衝く獣臭。

牙なのか爪なのか、カチカチと発せられている音。

そして、明るさを増し始めた月明かりに作られた影には、長く大きな尾と、頭の真横から大きな耳が天に向かって生えていた。


「人狼だ!」


叫びながら、ニコラスは腰の剣を抜いて一気に間合いを詰めて構えた。

体温が一気に上昇し、剣を握った手に汗がにじんだのが分かった。


ここに、クレフさんは居ない。

自分でここを乗り切らなければいけない。


そんな思いがニコラスの脳裏をよぎり、心臓が跳ねあがり呼吸も早くなった。


「キルラか?!」


人狼の足元にもう一つ小さな影を見つけて、カリフはランプを掲げながら叫んだ。

何とかランプに照らされ、木の靴を履いた足が見えた。


「おに・・・

おにいちゃ・・・

カリフおに・・・」


恐怖でガタガタと震え、掠れた声しか出せない少女は、何とか助かろうと手を伸ばそうとしたが、微塵も動かなかった。


まだ生きている。

まだ間に合う。


分かった瞬間、カリフは全身の産毛が逆立った感触を覚えた。


「薄汚い人狼、オレの妹から放れろ!!」


キルラの声を聞いて、カリフは迷わずランプを人狼に向かって投げつけた。

ランプの蓋が空中で開き、オイルを撒き散らしながら人狼に当たって足元に落ちた。

間を開けず、零れたオイルを伝って、ランプの火が広がった。


「カリフ、キルラを!」


人狼は自分に点いた火に怯み、ニコラスは一気に切り込んだ。

その後ろから、カリフがキルラを人狼の横から攫うように引き離した。

ランプのオイルは人狼が壁になって、キルラにはかかっていなかったが、カリフは自分の外套を脱いでキルラの外套の上に掛けた。


「怪我は?」

「・・・な、ない。

大丈夫・・・

大丈夫・・・」

「ああ、もう、大丈夫だ」


カリフは外套の上から、ガタガタと震える小さな体をギュッと抱きしめて、そっと呟いた。

その言葉はキルラに向けたものだったが、カリフは自分の気持ちも落ち着いたことに気が付いた。

二人分の外套の上からでも分かる程肉好きの悪い背中を撫でながら、カリフはニコラスを見た。

ニコラスは燃え盛る人狼を相手に、苦戦していた。

毛を焼かれ、皮膚を焼かれ、肉を焼かれ、人狼は熱さと痛みと怒りで、長く切れ味の良い爪の付いた逞しい腕を、縦横無尽に振り回し、隙あらばニコラスに嚙みつこうとしていた。

不規則な両腕の攻撃と食らいつこうとする大きな口、何より燃え盛る炎で、どう攻撃していいのか、ニコラスは間合いを取るので精一杯だった。


「どけ」


その冷たい程に冷静いな声は、頭上から降ってきた。

思わず大きく後ろに退いたニコラスの前に、黒い影が降り立った。


「借りるぞ」


言うが早いか、その影はニコラスの手から剣を奪い取ると、人狼に向かって投げた。

ニコラスの剣は空気を裂き、吸い込まれるように人狼の頭を貫通させ、その勢いのまま人狼の体を石畳に倒し、その剣先は石畳に突き刺さった。

燃え盛る人狼の体は、数回大きく痙攣をした。


「近づくのが怖けりゃ、投げろ」


影は痙攣が収まった人狼の頭を踏みつけ、剣の柄を手に取るとグリっと回してから引き抜いた。

火は一層激しく、人狼の全身を飲み込んだ。

その声とその姿に、ニコラスは安堵して全身の力が抜け、石畳に座り込んだ。


「あ、ありがとうございます。

その・・・」


自分の剣を目の前に差し出され、ニコラスはお礼を言いながら顔を上げた。

が、自分を映す黒い瞳に怒りの色を、軽く痙攣している口元と眉間の深い皺を見て、ニコラスは人狼と対峙した時以上の恐怖を覚え、生唾を飲み込んだ。


「ばっ・・・かやろう!!!

今何時だと思ってやがる!」


青年に頭ごなしに怒鳴りつけられ、ニコラスは委縮した。


「モンスター除けの結界が張ってあると言っても、子どもが出歩いていい時間じゃねぇんだよ!」

「あの・・・

その・・・」


弁明をしようとしたニコラスだったが、青年がホッとしたようにカリフを見たのに気が付いて、口を閉じた。


凄く、心配してくれたんだ。


そう分かったものの、青年が纏うオーラは怒りのものだった。


「ガイ!

そこの二人を送っていけ。

俺はこっちだ」

「かしこまりました」


何処からかもう一つの影が現れ、カリフとキルラの優しく声をかけていた。


「おら、帰るぞ、坊主」


荷物のように軽々と青年の右肩に担がれたニコラスは、火が人狼を燃やし尽くし消えたのを見てホッとしつつも、これからどうなるのかと心配でもあった。

ココットは潰されまいと、ニコラスの胸元から背中の上に避難した。


「あの、おにいさん!」


ニコラスを担いで歩き始めた青年を、まだ震えるキルラの声が呼び止めた。


「あ、ありがとうございました。

黙って一人で出てきた私が悪いの。

だから、ニ

コラスおにいちゃんを怒らないで」


まだ足元もおぼつかないのだろう。

よろよろと、それでも歩み寄ろうとするキルラの姿に、青年は自分から歩み寄り腰を落とした。

ニコラスを肩に担いだまま。


「買い物か?」


小さな手が、布の袋を握りしめているのを見て、青年がボソッと聞いた。


「うん。

マーク先生のお薬が、もうなくなりそうだったから。

皆忙しいから、私が買いに出たんだけれど、道に迷っちゃって・・・」

「そうか。

優しいな。

・・・優しい子には、これをやるよ。

手を出しな」


青年のその声は、今までにない程優しかった。

骨と皮の小さな両手がオズオズと自分の前に出されると、青年は左手で胸元から小さな袋を取り出し、器用に中身をその手に落とした。

それは、黄色の紙に包まれたキャンディだった。


「北星の女神様のキャンディだ。

寝る前に舐めると、いい夢が見れる。

ああ、舐めた後、ちゃんと歯は磨くんだぞ」


青年はそう言ってキルラの頭をガシガシを撫でて立ち上がった。


「おにいさん、ありがとう!

私からは、これ!」


キルラは握りしめていた袋にキャンディをしまうと、代わりに油紙に包まれたものを取り出した。


「マーク先生が作ったリンゴを干したものなの。

お日様をタップリ浴びているから、とっても甘くて美味しいの」


いつもの明るいキルラの声でリンゴという言葉を聞いて、ニコラスはびくっと体が反応した。

青年は再びキルラに向かい合い、腰を落としてその油紙を手に取った。


「全部か?」

「もちろん。

少ないんだけれど」


恥ずかしそうに微笑むキルラの前で、青年は油紙を開いた。

薄くスライスされ、乾燥した林檎は全部で5枚あった。

そのうちの一枚だけ、ニコラスには果肉の部分が真っ黒に見えていた。


「いいや、ちょうど腹が減っていた」


青年は真ん中の一枚、ニコラスには真っ黒に見えるその一枚を摘まみ、一気に口に入れて確りと嚙みしめた。

ニコラスが止める間もなく。


「甘いな!」


青年は笑って、もう一枚口に入れた。


「でしょう?

マーク先生のリンゴは、とっても美味しいの」

「残りは、そっちのおにいさんと、仲良く半分こするな」


すっかりいつものキルラに戻ったようで、ニコラスはホッとしたものの、青年が食べた林檎は気になった。


「皆が心配しているだろうから、そっちのおにいさん達と帰るんだぞ」


そっちのおにいさん、と言われたガイは、右手で優しくキルラの手を取り、左手でカリフをキルラの右側に促した。

すると、カリフは当たり前のようにキルラの手を確りと握った。


「ありがとう」


とお礼を言って歩き出したキルラ達の姿が見えなくなるまで見送ってから、ニコラスは担がれたまま恐る恐る聞いた。


「お腹・・・大丈夫ですか?」

「お前、帰ってから説教な」


想定外の返答に、ニコラスは再び青年が怖くなって口を閉じた。



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