番外編その2『終末』後・継承するもの、コルリ
■『終末』後・継承するもの、コルリ■
空には、多くの色があると教えてくれたのは、アンドレアだった。
あの日、絵を描けと言われ、白いスケッチブックを黒で塗りつぶした。
ボクは、生まれ育った町を描いていた。
「黒い夜は怖いんだ・・・」
そう、言われた。
アンドレアとジョルジャにとって、その一面の黒は、彼らから大切なモノを何度も奪った『夜』だった。
あの日見上げた空の色を、ボクは忘れない。
青々と生い茂った葉や、そこから零れて降り注いでくる太陽の光。
大木の生命力はとても優しく、明るさも温もりも生まれ育った町とは正反対だと、ボクは気が付いた。
・・・黒い迷宮・・・
『終末』前、一週間程前まで、そう呼ばれた町があった。
悪の神を封印していたその町は、ならず者の集まる町で、世界中の負の感情が集まり、それを糧に成長する町だった。
そんな町でも、子どもは産まれる。
産まれて直ぐに売られたり、商品としてそこそこ成長するまで育てられる。
そして、放棄されたり、逃げ出して運良く育った子どもは、いつの間にか子どもの強盗組織に入っていた。
強盗組織は見境なしに盗みに入り、他の町の商人や他の組織との交渉手段に使ったりしていた。
そのアイテムに憑いている曰くが大きければ大きい程、その品物は商談では有利になる。
しかし、手に入れるにはそれなりのリスクが伴うため、死んでしまっても構わない末端に盗ませる。
末端の子ども達は、その日食べるパンの為だけにリスクを冒していた。
そんな町も、東のバカブ神が復活し、その分身である風の柱が復活する時には全壊直前までいった。
しかし、生命力の強さか、町は早々に再起し始めた。
『終末』の時、人々は風の柱を囲み、東のバカブ神やジャガー神、悪の神、自殺の女神等に祈りを捧げていた。
そんな町に、コルリは戻ってきた。
もともと、人々の負の感情で緑が育つ迷宮だから、町の風景を見ても何も思わなかった。
ただ、町の毒々しい空気は懐かしさを覚えた。
久しぶりの空気に息苦しさを感じて、教会の空気が恋しくなった。
同時に、もう一度ここに住むことはおろか、長居すら出来ないと確信して、足を進めた。
闇に紛れて進むのは慣れていた。
コルリは盗む事が下手だった。
何かしら盗んで年上に差し出さないと、その日のパンが貰えない。
貰えないどころか、上の子達の機嫌が悪いとリンチに合うこともあった。
それが嫌で、コルリは逃げ足と、闇に紛れる事は上手くなった。
小さな声に呼ばれた気がして、コルリは足を止めた。
それは、場末の飯屋の二階、開かれた窓から聞こえた。
コルリは近場の樹に登り、枝に隠れて中の様子を窺った。
部屋には女が客を取るベッドが一つあり、そこに痩せ細った下半身が血だらけの女が倒れ、痙攣をしていた。
その女を囲む男が3人。
そのうちの1人は、産まれたばかりなのだろう、血だらけの、まだ臍の緒の切られていない赤ん坊を抱いていた。
「こりゃあ駄目だな。
泣きやしねぇ」
赤ん坊を抱いていた男は、ピクリともしない赤ん坊を逆さまにしてその背中を叩くが、反応はなかった。
「死んでたって、かまいやしないだろう。
少し、鮮度が落ちるぐらいの事だ」
隣の男が懐から袋を取り出すと、赤ん坊は乱暴に臍の緒を引きちぎられ、無造作にその袋に入れられた。
「この女も、もう駄目だな」
「なら、女も鮮度がいいうちに届けようや。
妊婦だって言うのに、たいした肉はついてないがな」
男たちが部屋を出ようとした瞬間、痙攣していた女の体が鈍い音を立てて変形し始めた。
「お、おい、この女・・・」
「ビースト病感染者かよ!」
四肢は幾つもの節を持ち、昆虫のように床に着いた。
目は小さな顔の中に幾つも現れ、長い黒髪はごっそりと抜けて頭蓋骨が見える個所もあった。
口は大きく裂け、のこぎりの様な歯が2重3重に生えていた。
女だったそれは、更に脚や手を生やし、男たちを捕まえた。
「助けてくれ!」
「助けて・・・
たすけ・・・」
男たちは抵抗もむなしく、順番にのこぎりの様な歯に頭から齧られ、ギリギリと分断され、時には食いちぎられ、咀嚼され、断末魔と共に飲み込まれた。
噴き出す鮮血は壁を染め、床は食べこぼした肉や臓物と共に血だまりを作った。
「ぎぃぎぃぎぃ・・・」
鳴き声なのか、呼び声なのか、その声を発しながら、女だったそれはグズグズと崩れ始めた。
断末魔らしきものもなく、人間の原型も化け物の原型も無くなった頃、コルリの所まで、腐敗臭が漂ってきた。
今までなら、嗅ぎなれたその匂いも、今では嘔吐してしまう匂いだった。
「顔色が悪いですよ」
口元を押さえ、枝に膝をついたコルリの背中を、細めの手が優しく摩った。
「・・・あれが、ビースト病?」
「そうです。
この町では、珍しいですね。
『終末』で、世界は一変しました。
人間の作ったものは、強い結界が張っていなかったところは、ほぼ壊滅ですよ。
モンスター除けの結界もほとんど壊れて、あまり機能していませんね。
モンスターの襲撃に、ビースト病の発病者の対応に・・・
それを考えたら、この町の再起するスピードは、さすがとしか言いようがありませんね」
胃の中の物を全て吐き切って、少し落ち着いたコルリは、ゆっくりと振り返った。
そこに、待ち望んでいた人が立っているのをその目で確認すると、声もなく泣き出した。
「・・・良かった、ガイさん、生きてた」
「色々と事後処理に追われていまして。
アイビスちゃんや教会の皆さんは、無事ですか?」
右手で胸元の服を握り、左腕で両目を隠しながら泣くコルリを、ガイは優しく抱きしめた。
「皆、無事。
町も全壊はしなかった。
毎日、町の人たちに炊き出ししてる。
アブビルトさん、僕たちを守るためにたくさん魔力を使ったのに、まだ夜は警備用の兵隊を出しているから、なかなか太くならない」
「・・・良かった。
皆さん、生きていてくれて」
ガイはコルリの報告を聞いて、安堵のため息をついた。
そして、胸元でグズグズとなくコルリを抱き上げて、樹から樹へと飛び移り、あっと言う間に町の外に出た。
「歩けますか?
と言いますか、なぜこの町に?
どうやって来たんですか?」
町の臭気が薄れた頃、ガイはコルリを森の入り口に下ろした。
普通に歩いたとしても、大人の足でも一か月はかかる。
しかも、今は『終末』後で、整備されていた旅路もなくなってしまっていた。
「歩ける。
ガイさんが帰ってこないから・・・
ボクみたいな子どもを助けているのかと思って・・・
アブビルトさんが、馬を描いてくれた。
翼のついた馬だったから、飛んでここまでこれた」
なるほど、と納得して、ガイは辺りを見回した。
「僕を、探しに来てくれたんですか?」
ガイは目当ての物を見つけると、茂みの葉を一枚とり、口に入れて奥歯ですり潰して飲み込んだ。
そして、もう一枚とり、コルリに差し出した。
青緑色の幅広いそれは、ガイの手ほどの大きさで、葉脈が赤かった。
「・・・何となく、ガイさんはこの町に来ると思って」
「ここは、僕の管轄ですからね。
柱が機能しているか、教会に行く前に確認しようと思いまして。
毒消し草ですよ。
昔から、ここら辺によく自生していたんです。
体内に入った町の毒が消えますよ」
言われて、コルリはガイがしたように口に入れ、奥歯ですり潰した。
瞬間、渋みが口の中全体に広がり、唾液と共に喉元に落ち、コルリは目を白黒させた。
「はい、我慢です」
そんなコルリの口元を、ガイは手で押さえ、強引に飲み込ませた。
経験したことのない渋みに、コルリは舌を出し、涙目でガイを見た。
「よく出来ました。
この味は、保証しますよ」
言って、ガイは腰に下げている皮の袋から、小瓶を取り出した。
中には、虹色に輝く小さな粒がいくつか入っていた。
「夢見のキャンディです。
これを舐めて寝ると、とてもいい夢が見られるんですよ」
ガイは小瓶から一粒取り出すと、コルリの口に入れてやった。
すると、今までの渋みがたちまち消え去り、優しい甘みが口の中に広がった。
思わず、コルリの頬が緩んだ。
そして、体が軽くなったことに気が付いた。
「今夜はいい夢が見れますよ。
帰りましょう、皆さんの待つ教会へ。
・・・コルリ君?」
森の中に足を進めようとしたガイだったが、コルリはジッと町の方を見ていた。
「ボクは、何も知らなかった。
ガイさんに助けられるまではあの町が全てで、世界は灰色とか黒とかで・・・
それが夜の色で、世界にはいろんな色があるって、アンドレアやガイさんが教えてくれた。
アイビスは、汚いものを知らなくて済む。
暖かいものに囲まれて、幸せになれる」
「コルリ君は、汚いものを知っているからこそ、その美しさがどんなにすばらしいか、わかるんですよ」
「・・・知らなくていい事もあると思う。
アイビスは、あんな町、知らなくていい。
そう思ったら・・・
他にもアイビスのように助けられる子がいるんじゃないかって・・・」
コルリは今まで、自分とアイビスが生きていくことだけを、食べることだけを考えていた。
それがガイに助けられ、教会で色着いた世界を知り、『終末』で世界が壊れる中で初めて祈りながら、いつしかこの町で生きる子ども達の事を思った。
「今までは、ジャガー病への対応が確立していました。
でも、今はその機関も崩壊し、研究は大きく後退しています。
子どもに限った事ではなく、大人も、保護した者がジャガー病感染者かどうかも分からず、いつ発病するかわからない状態です。
そんな状態では、今教会に居る皆さんが危険に晒されます。
アンドレア君とジョルジャ君は、発病者に襲われる経験を2回もしています」
「・・・ボクは、何も出来なかった」
コルリは町を見つめたまま、数刻前の飯屋の2階の惨状を思い出していた。
助けるどころか、喉が恐怖で引っ付き、悲鳴すらでなかった。
ガイはそんなコルリの手を握り、一緒に町を見つめた。
「そうですね、今は、何も出来ませんでしたね。
もし、本当に人を助けたいのなら、コルリ君は自分を守る術を身につけましょう。
人を護るには、自分が強くならなければいけません。
大丈夫です、僕の指導は易しいですから。
それから、世界の物事を学びましょう。
物事を知っていれば、余計な争いを回避できます。
助けたい方を、安全に確保できるのが一番ですから。
ジャガー病に関しては、ニコラス君が何とかしてくれると思いますよ。
まずは、皆さんの元に帰って、相談ですね。
こういう事は、一人ではなく皆でやることですから」
「僕の考えは、間違っていないの?」
「立派ですよ。
間違えではありません。
ただ、順番があるってことですよ」
「・・・じゃあ、ガイさんを師匠って呼んでいい?」
コルリは、横に立つガイを見上げた。
ガイはそんなコルリを見つめ、繋いだ手のぬくもりに、『繋がり』を感じた。
「僕は、亡くしました。
初恋の方を、その忘れ形見を、自分の命を無くしても守ると誓った大切な方を・・・
誰一人として、守ることは出来ませんでした。
たとえそれが、決められていた運命で、変えようがないとしても、僕は守り抜きたかったんです。
でも、コルリ君とこうして手を握っていると・・・
ああ、『繋がって』『続いていく』んだなって、思いました」
「繋がる・・・?
続いていく・・・?」
人の良さそうな糸目を見つめながら、コルリは小首をかしげた。
そんなコルリに、ガイはいつもの微笑みを向けた。
「『継承』です。
僕の総てを、君に託しましょう。
そして君は、多くの子ども達に、世界には多くの色があると教えてあげてください。
次は、その子達が、さらに多くの子ども達に教えてあげるでしょうから」
その言葉の意味を、その時のボクは良く理解できていなかった。
師匠の姿が消えて、もう数十年になる。
テーブルの上に広げたアイテムの数々を、確認しながらかわの袋に詰め込み、腰ひもに下げる。
マントの裾や、靴、服の至る所に仕込んだ小型の武器の確認。
これらは見落としが無いよう、出来るだけ明るい日中やること。
・・・全部師匠仕込みだ
仕上げに、壁に飾った絵を見る。
真っ黒に塗りつぶされたスケッチブックの一枚は、ボクのスタートだ。
この部屋を出てあの町に向かう時、ボクは必ずこの言葉を口にする。
「空には・・・
世界には、多くの色がある。
さぁ、新たな『継承者』を見つけに行こう」
そして、部屋の窓から飛び出て、風を身に纏い、あの町へ向かう。