零その3(零地帯)
3・零地帯
『文明』は、人間の歴史である。
建築物や文献は、それまでの人間の歩みを分かりやすいように後世に残していた。
多くの人々は、そこから見たことも経験したことも無い『過去』を想像する。
そんな文明を、何百年前に世界を襲った『終末』が、数多く消し去った。
天地をも揺るがし、輪廻転生のシステムをも破壊した終末が唯一作り出したものがあった。
『零地帯』
そこには国があった。
終末に飲み込まれ、空間が歪み、冥界から天上界までが混ぜこぜになった、封印された空間。
地上の生き物以外が息づく空間。
終末を生きながらえた者は、口伝えで後世に残した。
『命が欲しければ近づくな』
と。
強力な結界の中に存在するそこは、普通に呼吸をすることさえ難しいほどの濃い臭気が漂い、黒い霧のため五十センチ先も見えず、気を抜くと己の不の感情に人間としての心も体も飲み込まれ、異形のモノとなってしまう。
そんな空間に、人間の影があった。
マントを纏った黒髪の幼い少年は、敵意を持って向かってくるモノ総ての命を消していった。
長めの前髪の下で、黒い右目が獣のような光を放ち、左目は固く閉ざされていた。
「足元が甘いです」
何処からともなく飛んできた男の声と小石が、異形のモノと戦う少年の足に当たった。
少年の足は、その小石に瞬時に反応した。
鋭い蹴りが顔らしき部位にめり込むと、それは激しく震えて四散した。
体を休ませる暇もなく、次の攻撃が少年に襲い掛かった。
「炎は、無しですよ~」
周囲を二重に囲まれた少年が両腕を前に開いた瞬間、またしても男の声と小石が少年の頭に当たった。
少年は軽く舌打ちすると、腰に下げた大きな青龍刀を構えた。
それは大の大人が持つにも大きい物で、まだ体も出来ていない少年には邪魔になる物でしたなかった。
常識で考えれば、だ。
少年は構えた青龍刀を自分の体の一部のように扱い、みるみるうちに周囲を綺麗にしていった。
それは長いことは続かず、直ぐに静まり返り、死臭が充満した。
その中央で、少年は呼吸を荒げることなく青龍刀に着いた体液を振り払い、腰に治めた。
「あんたの目、細いくせに相変わらず良く見えてんのな」
音もなく、何処からか自分の隣に現れた男の顔を見ることもなく、少年は呟いた。
「僕のチャームポイントですから。
それに、そろそろ名前で呼んでください」
「・・・名前?」
視線を霧の向こうに向けたまま、少年は呟いた。
「はい、名前。
名前とは、個人や固体を識別する・・・
自分が何者であるのかということですよ」
少年は隣に立つ男を見た。
気がついたら、この男は自分の周りをうろうろしていた。
しかし、今のように戦いになると姿を消し、何処からか見張っては戦い方に口を出してきた。
細面の顔についている目は線を引いただけのように細く、その周りや口元には細かい皺があり、サラサラの黒髪を尻尾のように纏めている。
マントの下の黒い服は喉元からぴっちりと肌を覆い、鍛えられた体の線が良く分かるほど密着していたが、裾は尻の下で体の動きに合わせて揺れていた。
「あんたの名前・・・」
「僕の名前は・・・」
瞬間、少年の黒い瞳に、光るモノが入り込んだ。
男の肩越しに見えるそれは、この空間しか知らない少年が初めて見た美しい光だった。
「あれは?」
黒い霧がかかるこの空間でその光はとても強く、遥か頭上を細い尾を引いて流れ出した。
「行きましょう!」
少年の指差すモノを認識した瞬間、男は興奮した声で少年の手をとり、その光を風のごとき速さで追い始めた。