零その2(美しき恐れる女神襲来)
2・美しき恐れる女神襲来
「・・・産まれそう」
みるみるうちに、乳白色の肌は大粒の汗で覆われた。
ココットはニコラスの姉たちを呼びに部屋を飛び出し、ニコラスは咄嗟に部屋に結界を張った。
「悪いものは寄って来れませんから」
バタバタとアニスとレオン神父が部屋に入ってくるのと入れ替わりに、ニコラスはココットと共に廊下へ出た。
「さて、ココット、僕達は僕達で仕事しようか」
「アルジェニアに喧嘩売るなんて、度胸があるっていうか、馬鹿って言うか・・・」
「まぁ、西のバカブは『樹』だから、ここに火の属性をぶつけるぐらいの頭はあるみたい」
「喧嘩売る相手の力量を知らなきゃ、馬鹿は馬鹿だ。
こんな時に寝不足なニコラスも馬鹿だ」
「はいはい」
廊下の窓から中庭に飛び出た二人は、白衣を脱ぎ捨て部屋を出るときに持って出た剣を構えて夜空を見上げた。
今日は満月のはずだった。
が、夜空は黒く厚い雲で覆われ、その姿は破片も見えない。
しかも、夕方振り出した雨は、激しさを増していて、二人はみるみるうちにびしょ濡れになった。
「ココット、研究所の外側の結界解いて。
あれが入ったら、異空間結界張って、空間ごとここから切り取っちゃう。
その後は・・・
任せるよ」
「オレっち、見張り?
物足りないなぁ・・・」
「第二段が来るかもしれないでしょ。
そんなところまで、似ないでいいんだよ。
きた!!」
不自由な視界の中、鳥ではないものが飛んでくるのが確認できた。
ココットはやる気の無い返事をすると、短い詠唱で空間を手刀で切って、研究所にかかっている結界を解除した。
「あー・・・相手、馬鹿じゃないや。
時間かかるから、ココット、後、よろしくね」
二人の視界にはっきりと映ったのは、翼の付いたモンスターに乗っている赤毛の女性だった。
ニコラスは術の射程範囲にそれらが入った瞬間、術を発動させた。
それによって、ニコラスはモンスター達と共に違う空間へと場所を移した。
そこでは、雨は止んでいた。
しかし、視界が認識する周囲の景色は変わらない。
そこに居るのだが、居ないのだ。
「へぇ~こんな術、初めてだよ」
空から降り立った女性は、ウェーブのある赤い髪を肩の上で揺らし、真っ赤な紅を引いた唇を湾曲させ、力強い赤い瞳で二人を見ていた。
「久しぶりの再会だって言うのに、あまり成長してないんじゃないかい?
二人とも?
二人と言って言いのかい?」
「お久しぶりです。
その様子だと、アネージャさんも記憶があるんですね。
でも、貴方があの方以外の下で動くとは思えないんですが?」
殺気は向けられていた。
昔を懐かしんでいるが、隠すことなく、殺気は確りと向けられていた。
そんなアネージャの後ろで、モンスターの集団は大人しく控えていた。
「当たり前だよ。
まぁ、今回は大人の事情ってやつさね。
まぁ、相手がお姫さんと聞いて、楽しみにはしていたけどねぇ」
腰に巻いていた鞭が解かれ、アネージャの足元で小気味良く一撥ねした。
「あの時はやられっぱなしだったけど、オレっちも成長したかんね。
甘く見ると、痛い目見るよ」
「そうです、成長・・・
ココット!
なんでこっちに!?」
いつも自分の隣に居るのが当たり前だったので、今の今までココットが自分の作った結界内に居ることに、ニコラスは気がつかなかった。
「あっちはレオン神父も居るから、何とかなるって。
こっちの方が大事だろ」
寝不足のお前を一人にできるか。
その言葉を、ココットは飲み込んだ。
それはそうだが、研究所には多くの文献や資料、書きかけの論文、開発中の薬もある。
研究所自体を護りたかったから、異空間結界を張ったのに。
と、ニコラスは肩を落とした。
「タイアードさんとは?」
大きなため息をつき、気持ちを切り替えた。
「会ってないねぇ。
まぁ、アタイがこの件に関わっていると分かったら、あの兄さんは姫さんの側を意地でも離れないだろぅ?」
二人は素直に大きく頷いた。
そんな二人を見て笑ったアネージャは、大きく鞭を振るった。
「それより、このアタイと一人でやり合おうとしていたのかい?
舐められたもんだねぇ。
さぁ、アタイを楽しませておくれよ」
開戦の合図だった。
鞭の一振りで、二人をモンスターから大量の炎が襲った。
「元召喚獣の召喚魔術、受けてみろ!」
ココットは、準備していた召喚魔法を一気に発動させた。
「走れ水龍!
切り裂け風の龍!!」
二人に向かってくる炎は水龍の息で瞬時に消され、モンスターの合間を小さな風の龍が数匹、縫うように飛び交いその体を切り裂いていった。
「飲み込め、大地の龍!」
ココットは間髪入れず、次の召喚獣を放つ。
モンスター達の足元がパカッと開き、何本もの闇の舌がその体を巻き取って飲み込んだ。
「いいねぇ・・・
ゾクゾクするよ。
さぁ、もっともっと、楽しませておくれ!」
空間に、裂け目はなかった。
けれど、何処からともなく、モンスターは湧いて出てきた。
「我が剣は氷。
汚れなき水の乙女の涙を纏いし剣
カラリエーヴァ!」
ニコラスの剣が瞬時に冷気をまとい、周囲の空気も凍らせ始めた。
その剣を振るうと細かな氷の結晶が散った。
斬り付けると、そこから全身を氷の粒子が襲った。
さほど強くなければ、瞬く間に氷の彫刻となり崩れて消えた。
「ずいぶんと、腕を上げたじゃないか」
それはそれは心底楽しそうに、アネージャは鞭を振るう。
「時間はたっぷり有りましたから。
剣はタイアードさんに、魔法は世界屈指の魔道召喚士に叩き込まれました」
今度こそ、大切な者を護りきるため。
ニコラスはそれだけを思い、終末の後を生きてきた。
もう一度、出会える事を信じて。