零その1(再び始まる物語)
1・再び始まる物語
西の国に栄えるアルジェニアは、『終末』以前からある数少ない国で、『西のバカブ神ネメ・クレアス』である大木が国の最北端の山の麓に祭られていた。
国には西のバカブ神の教会はもちろん、その他にも『月の女神アル・メティス』『雨の神チャク・ポア』『創造女神エル・アロム』も祭られ、それぞれの教会はいがみ合うことなく共存していた。
国自体はそんなに大きい方ではなかったが、長い年月、国内外問わず、小さな諍いから国の存続にかかわる諍いまで、国王と其々の信者達が力を合わせて解決してきた。
そして現在、国政は国王が、各宗教は第一王位継承者である姫が取りまとめ、実質二体制で国は動いていた。
「で、オレッちとの約束の時間は、何時だったっけ?
先生」
国の最北端にある、西のバカブ神の大木に一番近い所に、そこそこ大きな研究所権、西のバカブ神の教会があった。
そこそこ大きいと言っても木造の質素なもので、教会の窓にはステンドグラスではなく普通の薄いガラスがはめ込まれ、教会の外も中も目立った装飾は一切なかった。
ただ、結界だけは厳重に張り巡らされていた。
そんな研究所の一室に、彼らは住んでいた。
間取りは自分の部屋と変わらないのに、書籍の量が比べ物にならない。
壁の棚だけでは収まらず、床やベッドの上にもそれらは鎮座していた。
多くは各宗教の歴史や神話、ジャガー病に関するものだったが、幼い子供向けの絵本も混じっていたりした。
そんな部屋のドアを開け、十を少し過ぎた成長期の体を白衣に包んだ少年は、嫌味を隠すことなく部屋の主に声をかけた。
「まさか、時計の見かた、忘れた?」
日に透かすと金色に輝くほど薄い茶色の癖ッ毛を簡単に束ね、丸い顔に乗ったクリクリとした茶色の瞳で相手をじっとりと睨み付け、他の歯より成長の良い上の前歯二本を剥き出しにし、数時間変わらぬ体制で書き物をしている後姿に言葉を投げつけた。
「ごめんごめん、ココット先生。
神父様から頼まれた書類が、思ったよりてこずっちゃって」
机に向かっている少年も、同じ年頃で同じく白衣に身を包んでいた。
焦げ茶色で猫っ毛のショートヘアーを上げもせず、一心不乱にペンを動かしていた。
「こないだ言ったばかりだよな!
自分のキャパ考えてから手伝えって!!
お前だってジャガー病の論文、締め切りが近いだろう、ニコラス!」
「あ、そっちは終わってるんだ」
名前を呼ばれ、ようやく少年は振り返った。
緑色に輝く猫目がニッコリと細められ実年齢より幼く見えるが、顔色は優れなかった。
「・・・何徹目だよ」
またか。
と深いため息をついて、ココットはニコラスのベットに腰を下ろした。
「ほら、今夜は姫様が教会にみえるから、どうしてもそれまでにこの報告書を終わらせたくって」
そう言って再びペンを走らせるニコラスの横顔は、疲労の色が濃く出ていた。
目の下の隈も色濃い。
「・・・どんどん、師匠に似てくるな」
小さな小さな独り言だったが、ニコラスはピタリと手を止めた。
「あ、邪魔した?
ごめん」
「大丈夫だよ。
この報告書が終わったら、二~三日帰ろうかと思ってたんだ」
手は動かない。
止まったまま、視線も目の前の窓の外を見ていた。
窓の外、そこには西のバカブの立派な幹があった。
「だから、おれッチに仕事回さなかったんだな」
「僕より、ココットの方が要領悪いから時間かかるでしょ。
一緒に帰れなくなっちゃうし、休暇中に呼び戻されるのは嫌だからね。
それに、他の研究員だって十分に力はあるよ」
「わーってるって。
一時間。
一時間待ってやるから、それ、終わらせろ」
言って、ココットはニコラスのベッドに上半身を投げ出し目を瞑った。
ニコラスはそんなココットに軽く返事を返して、再びペンを動かし始めた。
「自分はアレルさんに似たじゃないか」
こっそり呟いて、ニコラスは微笑んだ。
二人が住居権職場とする研究所は、今では治療が可能となったものの、難病に認定されている『ジャガー病』を研究しその治療方法や薬の開発まで行っていた。
ニコラスとココットは、この研究所で年若くして『先生』と呼ばれる存在だった。
そして、併設している教会との境に診療室と六人部屋の病室があり、ジャガー病患者の受け入れもしていた。
その診察に当たるのが神父でもあるレオンという四十手前の男性で、看護を受け持っているのがニコラスの姉であるアニスだった。
アニスとレオンは二十程年が放れていたが、仲の良い夫婦で、まだ子どもも居ないせいもあり、弟のニコラスやその友人のココットを実の子どものように可愛がっていた。
レオンは時々ニコラスに接する時、何とも言い表せない雰囲気を出し、触れることを戸惑う事があった。
それは瞬間的な事で、周囲の者は気がついていないが、ニコラスとココットは思っていた。
「レオン神父も前世の記憶がある」と。
そして、ニコラスとココットは、産まれながらに前世の記憶を持っていた。
「・・・とても、心配性になりましたわ」
長くふんわりとした月色の髪は柔らかなウェーブを描き、乳白色の肌の小さな顔には少し垂れた金の瞳と、薔薇色に色ずく頬、薄紅色の唇が乗っていた。
女神像のように美しい女性は、身重の体をゆったりとしたドレスに包み、ココットと肩を並べてニコラスのベッドで寛いでいた。
「タイアード、変わってないと思うけど?」
「タイアードさんが心配なのは、姫様のことだけですよ。
少しでも放れたら、また・・・。
タイアードさん、記憶はなくても本能的に覚えているんですよ。
きっと、片時も放れたくないから・・・
タイアードさんがお仕事で姫様の側を離れるときは、必ず雨が降るじゃないですか。
雨は、タイアードさんの代わりですよね」
「夕方から雨が降った理由がそれか」
「本当は、四日前には出立しているはずだったんですのよ。
よほど、私のことが心配だったようで・・・
今回はぐずられましたわ~」
ニコラスから暖かいお茶の入ったカップを受け取ると、白い湯気と共に立ち上る香りに金の瞳を細めた。
「・・・想像できない」
「ココット、しないであげて。
で、こちらでの連泊が、交換条件ですか?
そろそろですか?」
「ここなら、ニコラスもココットもいますし、西のバカブ神の隣ですし。
産まれそうになったら、アニスがいますもの。
今は入院されている方もいないようですし」
「お城やご自分の教会よりも、こちらを選んでいただけるのは光栄ですが・・・
角、立ちません?」
心配するニコラスに、鈴が転がるような声で笑って答えた。
「今回は、内偵ではあるのですが、事によってはそのまま処分してもらおうかと思っていますの。
それで、もしかしたらなのですが、『とばっちり』がくるかもしれないんですの。
万が一、が起こってしまった場合、ここが一番都合がいいかと」
「ってことは、ニコラスの両親も一緒?」
「はい。
・・・以前も、戦地でタイアードの背中を護っていたのは、ニコラスのお父上でしたわ。
私、思っているのですの。
皆、あの頃からやり直しているのではないかと。
記憶が有る無しに関わらずこうして再び集まって、お互いに惹かれあって・・・」
暖かなお茶が、喉を潤した。
「そうですね・・・
僕も、そう思います」
でも、まだ足りなかった。
ニコラスは探していた。
それこそ、歩けるようになったその時から、ずっと探している人がいた。
「大丈夫、会えますわ」
そんなニコラスの気持ちを察して、鈴が転がるような声が優しく答えた。
「でも、それならここより師匠の家の方がいいんじゃないですか?
僕、明日からそちらに帰ろうと思っていて、よかったら一緒に・・・
姫様?
大丈夫ですか?姫様
・・・もしかして」
身重の体は下腹部を中心に、全身を襲いだした痛みに体をくの字に曲げて、ベッドに倒れこんだ。




