バカブ神その13(夢語り)
13・夢語り
「それから?」
そう言って、幼い子ども達はその曇りなき瞳で物語の続きをせがむ。
今日みたいな雨の日は、暇つぶしに村の子ども達が、年老いた男の昔話を聞きに来るのが常だった。
男はとても年老いていた。
声はしわがれ力を無くし、よく掠れた。
不自由になった目は、何十年も光を感じることなく閉ざされていた。
世界中を飛び回った両足は数年前から動かなくなり、ここ数年はベッドの上か背もたれの大きな椅子が、男の定位置だった。
男は触れてくれる子ども達の手の大きさ、形、温もり、そして声で誰が何を思い、何を感じているのかを悟っていた。
「世界の中心だった聖樹は崩れ落ち、四方のバカブ神の『柱』はそれ自体が神となり、唯一この世界を支えるようになったんだよ。
その『柱』を中心に、生き残った者たちが、新しい村を、国を・・・
今を造っているんだ」
「ニコラス様、『石』はどれぐらい集まったの?」
「『石』かい?
石は沢山沢山集まったよ。
何年も何十年も、世界中を探したからね。
水の石は、水の石同士くっつくと大きくなるんだ。
他の石もだよ。
同じ石はくっつき、大きくなる。
そして、水の石は水の柱に持っていくと、柱に吸収されたんだ。
樹の石も、風の石も」
「メシア様の石は?」
声はとても優しかった。
優しく柔らかく、子ども達に語る。
新しい世界で、最前線であの空間を封印したレビアは『メシア様』と呼ばれ、誰もが崇めていた。
しかし、そのレビアは封印結界を施すと、長い長い眠りについてしまった。
「メシア様の石は、きっとナイト様が探していたんだよ。
私は、一つも見つけられなかった」
あの日、レビアの元に戻ったタイアードの哀しみは、数人しか知らない。
レビアの命令通り国境を護る部隊に合流したタイアードは、総てが終わりレビアの元に駆けつけると、レビアはすでに眠りについていた。
タイアードは取り乱すことなく、眠りについたレビアを抱え誰に告げることもなく姿を消した。
「私が見つけられたのは、『樹』と『水』と『風』だけだった」
『終末』を迎えたとき、ニコラスはここに話を聞きに来る子ども達より、少し大きいぐらいだった。
『終末』の後、長い時をかけて旅をしても、それだけしか見つけることが出来なかった。
「ニコラス様が首にかけているのは、『樹』の石?」
その石はあの戦いの中、ココットは結界呪文を発動させ意識を失った後、目覚めた時に握りしめていた石だった。
ダイヤモンドより透明ではないが、不思議なことに月の光で良く輝いた。
今は『終末』と呼ばれるあの数日を終え、ニコラスとガイが別々にだが、旅を始めたのはこの石があったからだった。
「この石は『北星の石』だよ。
いつでも私を導いてくれた。
この石も、他にないか探したんだけどね・・・
結局、見つけることができなかったね」
皺だらけの乾いた指で、小さな石を触った。
その感触は、昔と変わらず暖かかった。
「ほらほら、あんた達!もうすぐ夕飯の時間だよ。
ニコラス様が疲れてしまうから、また今度になさい」
住み込みで、ニコラスの身の回りの世話をしてくれる中年の女性が、いつもの様に子ども達を帰路へと促した。
「ニコラス様、またお話ししてね」
小さな友達が口々に挨拶をして部屋を後にすると、淋しさが充満した。
「しばらくは雨が続くようですよ。
お話し、また明日もせがまれますね。
今夜は冷えるようですから、スープにたっぷり水薔薇の実を入れましたよ」
女性がカーテンを閉めると、その音に片手が上がった。
「ああ、窓はそのままで。
今夜は風を感じたいんだ」
「寒かったら言ってくださいね」
そう言って女性が部屋を出て行くと、部屋は急に温度を下げ、音がなくなった。
いや、耳を澄ますと、風の息遣いが聞こえた。
カーテンを揺らし、懐かしい香りを鼻先に運ぶ。
乾いた肌に、微かな水分を与えた。
『終末の神』の復活は成された。
世界の最下層から解放され、各階層の世界を破壊しながら天を貫いた。
弱い人々の祈りは、世界を護ろうとする神々の力となった。
東西南北のバカブ神の柱は、神の分身ではなく柱自身が神となり、地を固定し、天を支えた。
永遠とも思われる時間が終わった後、人々は手を取り合い立ち上がった。
ジャガー神が開けた穴に国があったカティ王は、負った傷の治療もそこそこに、南方の国々の再建の先頭に立った。
ガイは東の柱と『黒い迷宮』の様子を見に行くと、姿を消した。
ニコラスはクレフと共に北の柱の様子を見に、フレイユへと向かった。
そこは雨の神の『復活の雨』と『聖樹の破片』によって、植物と水が豊かな土地へと変貌していた。
周囲にある逆流する大小数々の滝の中心で、盛大に大地から天に向かって上がっていく水の柱があった。
そこで、モルガンとフェイが、クレフが来るのを待っていた。
森の泉に住まう妖精達は、クレフの姿を見ると、人間のように手を取り合い短い言葉を交わした。
そして、『風の女神の石』だと、小さな石をクレフに手渡した。
アルジェニアは結界を張っていた神殿が多かったのと、クレフの山の結界、西の柱のおかげで、被害は最小限で済んでいた。
メロウ王は早々に各国の救済に手を差し伸べ、移民を受け入れつつ、国内の復興にも力を入れた。
それは、いつかサーシャやレビアが帰ってくると信じる人々たちの力も大きかった。
ニコラスは、生まれ育った集落に立ち寄った。
そこは、白月花とよく似た青い花が咲き乱れていた。
集落には、その花しかなかった。
そして、復興で湧く研究城の城下町を、皆の無事を願いながら走って教会に向かった。
教会の手前から、美味しそうな匂いが漂い、人々の列が見えた。
その列が、炊き出しを待つ人々だと分かった時には、その先頭に暖かな料理を手渡す瘦せ細ったアブビルトや、ジョルジャとアンドレアが見えた。
「幸せでしたか?」
再開した時のアブビルト達の笑顔を思い出していた時、不意に風が問い掛けてきた。
「・・・まだまだ、旅をしたいです。
正直、ベッドや椅子の上で過ごす時間は歯痒いです。
僕の体はこの通り、もう『レダの書』を書き写すことも出来ません」
子ども達に話す昔話。
幾度となく繰り返す昔話。
繰り返す度に自分の人生を見返す。
多くの人と出会い、多くの人と別れた。
得たものと、失ったもの・・・
村や国の復興、世界の秩序の回復に手を貸せはしたが、アルルを見つけることは出来ず、ジャガー病の治療方法や効果的な薬も作ることは出来なかった。
それでも、レビアが残してくれた研究資料をクレフの家に避難しておいたことは、とても大きな成果だった。
未練も後悔もある。
しかし・・・
「幸せでしたか?」
そう聞かれると
「不幸ではありませんでしたよ」
風の声は懐かしい人の声。
貴方も、不幸ではなかったですよね?
心の中で、そう呟く。
世界を壊してまで、願いを成し遂げたのだから。
「もう、何十年も前、一度だけガイさんにお会いしました。
その時、聞いたんです。
なぜ、あの時、アレルさんがジャガー神に手を出さなかったのか・・・」
その頃のガイは、まだ『主』を探していた。
「『シンの奴、幸せそうにジャガー神に抱かれてやがった』って、アレルさんが言っていたそうです」
あの人らしいと、今思い出しても口元が緩んだ。
「ありがとう」
強い風が吹き込んだ。
懐かしいあの人の気配が消えた。
そして、瞳に光りがさした。
ベッドは窓に向いていた。
いつでも空が見えるように。
いつでも星が見えるように。
随分前から瞳は光りを失っていたが、空を見ていたかったから、ベットは動かさなかった。
星が見えた。
何十年ぶりかに、視界いっぱいに広がる星空が見えた。
大きく、小さく・・・
大小様々な星々が、瞬きも様々に視界で輝いていた。
そして、少女はそこにいた。
いつもと変わらない輝きで、年老いた男を見ていた。
どの星々より大きく、どの星々より明るく輝く、導きの星。
それは変わることなく、自分を見ていたんだろうと思った。
「ずいぶん、年をとってしまいました。
年ばかりとって、今だに貴女を見つけることができない。
もう少し、待っていてください。
貴女との約束、忘れていませんから。
また・・・
旅立ちますから・・・」
少女の笑顔が見えた。
「束の間の供をしよう」
癖のある柔らかな黒髪と、闇色の瞳を持った黒い騎士が現れて、乾いた手を取った。
そこに視線を落とすと、金に近い薄茶色の小さな動物がいた。
二本の出っ歯にウサギのように長い耳、リスのように太く長い尻尾をもつそれは、クリクリとした大きな目を向けていた。
「ココット、君の姿を見るのも、何年ぶりだろうね?
僕がこの教会に戻った頃から、君は召喚しても出てきてはくれなかったね」
「待ってたんだ。
そろそろ、行くんだろう?」
小さな友人は、定位置の胸元に潜り込んだ。
「そうだよ、久しぶりに旅に出るんだ。
ちょっと休憩が長すぎたね。
迷子にならないかって?
大丈夫、チィムさんと、あの星が僕達を導いてくれるから。
きっと、アレルさんやガイさんも旅を続けている。
僕だけ寝てばっかりなんて、おかしいからね」
黒い騎士に手を引かれると、岩の様に動かなくなっていた器から、魂はすんなりと離れた。
「僕は、まだ旅を続けるよ」
白くなった髪はこげ茶色に色付いた。
曲がった背中は真っ直ぐに伸び、固まった四肢は滑らかに動いた。
多くの皺が刻まれ、乾ききった肌は皺が無くなり瑞々しくなった。
緑色の猫目は確りと導きの星を映し、確かな足取りで歩き出した。
「さあ、行こう。
次の冒険を始めよう」
そして、夜空に一番美しく輝く北星の隣に、大小の星が増えた。