バカブ神その12(新しき神)
12・新しき神
アレルの背中は広く、頼もしかった。
クレフを右腕に抱き、背に乗っているガイとニコラスは翼の根元に必死にしがみついていた。
アレルは輝きを失い、朽ちた聖樹の幹を添うように上昇していた。
その体制は殆ど真上で、風圧はアレルやクレフが受けていたが、ニコラスやガイもと凄まじい圧力を感じていた。
そんな中、ニコラスは翼にしがみついてるのがやっとだったが、ガイはたまに手を出してくる魔物を確実に打ち落としていた。
ニコラスの胸元にある女神像の輝きが、段々と薄くなっていく。
それに比例して、魔物の攻撃が激しくなっていった。
「・・・っ・・・
これは・・・」
「しっかり抱き着いてろよ」
気がついたクレフは、アレルの言葉にいつもの様に反論しようとしたが、一瞬だけ目を見開いて口を閉じた。
「もう少しで脱出できますが、女神像の結界も、もう終わります。
迅雷風列・乱舞」
襲ってくる敵の数が時間と共に確実に増えていた。
ギリギリまで敵を寄せ付け、技を放つ。
激しい雷と強い風が縦横無尽に暴れまわり、敵を一気に蹴散らした。
しかし、ガイの技の威力も一回ごとに落ちているのが、ニコラスにも分かった。
「ニコラス君、これは僕の仕事ですから」
手を貸そうとしたニコラスを、ガイはいつもの笑顔でやんわりと嗜めた。
瞬間、ニコラスのすぐ横の空気が悲鳴をあげた。
「クレフ、ニコ、お前らは確りくっついてろ!」
「僕も戦えます!」
しかるようなアレルの声に、ニコラスは少しムッとした。
「ガイが言っただろう。
ここで戦うのはガイ、お前らを運ぶのは俺だ!
お前らの仕事は出てからだ。
それまで少しでも魔力を回復しとけよ」
アレルに叱られ、ニコラスは自分の魔力が全然戻っていないことに気がついた。
地上に出る前に、少しでも戻さないと、と素直にアレルの翼にしがみついている事に集中し始めた。
「見えました!」
ガイの声がした瞬間、アレルの勢いが止まった。
翼の動きはとても緩やかで、ニコラスはようやく首以外を動かすことが出来た。
夜空に三日月が出ていた。
朽ちた聖木は遥か空まで伸びていて、その中腹辺りにぽっかりと・・・
違う。
それは穴だった。
聖樹とジャガー神が開けた穴。
聖樹が影になって三日月に見えていた。
「行け」
それは、とても冷たい声だった。
アレルの命令に、ガイはいつものように素直に従った。
ニコラスを抱いて、アレルを踏み台に、穴の淵まで飛んだ。
「アレルさん!」
穴から出たニコラスは地面を数回転がり、慌てて穴を覗き込んだ。
そこには、闇に抱かれた女神が見えた。
「アレルさん・・・
早く、上がってきてください。
いつまでも、そんな所で・・・」
何で気づかなかったんだろう・・・
アレルさんの翼は黒かったじゃないか。
燃える翼じゃなくて、闇の翼・・・
薬草と共に食べたのは、ジャガー病の薬の月の石・・・
アレルさんが言った『魔力を回復しとけ』は、神の力がもう無いからだ。
それは、アレルさんだけじゃなくって、ガイさんもクレフさんも、皆そうだ。
神の力が無くなっている・・・・
ニコラスは自分の観察力のなさが情けなくなった。
「迎えにいく」
耳元で優しく囁かれた言葉にクレフはそっと頭を振って、自分を抱きしめる片腕をきつく抱きしめた。
「ここの封印は、俺がやる。
レビアから、手順も聞いてるし、魔力アイテムも貰ってる」
「封印結界なら、私が適任です」
「お前はニコラスの側にいろ。
保護者だろう?」
「大きくなりました。
もう、保護者はいらないでしょう?」
「あいつは、まだまだお前を必要としている。
師として。
あいつに必要なのは俺じゃない、お前だ」
「私を・・・
置いて逝くのですか?」
顔を伏せ逞しい腕に抱きついたまま、クレフは涙声で静かに問う。
「迎えにいくって、言っただろう」
幼い子どもに言い聞かせるよう、優しい声で囁き、銀糸の髪にキスをした。
「私の気持ちは・・・」
「じゃあ、何か?
ここに、お前を迎えに来いって言うのか?
それまで、お前は一人で戦い続けるのか?
いくらその体が再生するって言ったって、痛みはあるだろう!
俺が迎えに来るまで、光の無いこの空間で、戦い続けるのか!」
クレフの言葉を遮って、アレルは声を荒げた。
その声に、クレフは思わずアレルの顔を見た。
「お前に闇は似合わねぇよ。
たまには、俺にかっこつけさせてくれよ」
「私が求めているモノは・・・」
薄い青紫の瞳に映ったのは、今にも泣きそうな悪魔の笑顔だった。
「愚問だ」
「・・・嫌い、大っ嫌い・・・」
小さく呟いて、クレフは微かに自分の唇をアレルの唇に重ねた。
「待ってろ」
震える唇が離れると、アレルはいつものように言った。
そして、ニコラスは見た。
暗い穴の中で、黒い翼をもつ悪魔が銀糸の女神を手放した。
「ニコ、クレフを引きずって走れ!」
穴の中で、アレルが吠えた。
「走れ!」
転がり出たクレフの体を抱き止め、ニコラスは穴を覗いた。
「アレルさんも早く!」
ニコラスは分かっていたが、穴に向かって手を伸ばした。
その手を、ガイが握り締めた。
「アレルさんが・・・」
愕然と自分を見つめるニコラスに、ガイは無言で首を振った。
「ここは俺の戦場だ。
お前らは邪魔なんだよ、帰れ!
美味い飯いっぱい作って待ってろ!」
再度、穴の中からアレルが吠えた。
「でも・・・」
「行きますよ、ニコラス」
いつもの冷静な声で、クレフはニコラスを促した。
「でも・・・」
ガイに手を取られ、ニコラスの体はふわりと浮き上がった。
「でも・・・」
アレルの翼は黒かった。
闇がどんどんとアレルを被っていった。
それは、闇よりも美しい羽・・・。
「最後まで、あの人を『アレル・レビィ』でいさせてください」
ニコラスの手を引き走りながら、ガイは呟いた。
そうだ、これ以上ニコラスが見なければ、アレルはニコラスたちの中で『人間』として残る。
『神』として戦った男の最期を『モンスター』にしてはいけなかった。
周囲を悪鬼に囲まれ、骨や筋肉がいびつな音を立てながら変形を始めていた。
皮膚を覆う産毛は真っ黒な羽毛に変化し、一気に全身を覆った。
「これからは、俺様が、てめぇらの神だ」
鳥の顔へと変形し始めた目と口をニヤリと動かし、アレルは何の躊躇もなく自分の左胸を、鳥の前足に変化した腕で貫ぬき、心臓を抉り出した。
レビアの魔法で結晶化した心臓は、赤黒く不規則に動いていた。
「崇めろよ」
長く鋭い爪の手で、その心臓を一気に握りつぶした。
涙と戻りたい気持ちを飲み込み、自力で走り出したニコラスの後ろ・・・
這い出てきた穴から、大量の光が噴出した。
「急ぎましょう!
姫様を始めとする結界班が、この辺り一帯に時空間結界を張る手筈になっています。
今の光が合図で、詠唱が始まります」
そこで初めてニコラスは気がついた。
地上に戻ってきたはずなのに、辺りは薄暗く嫌な気配に満ちていた。
「壊滅していなければ、の話ですね」
クレフは皮肉交じりに言うと、走りながら呪文の詠唱を始めた。
どのくらい走ったのか、少しの距離だったか、たくさんだったか、ガイの援護の下足どころか体中が幾度目かの悲鳴を上げはじめた時、墨を零したような暗い空に、一つの星が見えた。
「・・・アルル様」
何かを堪えるガイの声。
ニコラスは、堪えることを忘れ泣いていた。
泣きながら走った。
ニコラスたちは星の導きのおかげで、薄暗い空間を抜けた。
その少し先、小高い丘にレビアが立っていた。
その後ろ、けっこうな距離を空けて、魔法依を着た人達が立っていた。
「あそこまで、走ってください!」
クレフにせかされ、ニコラスとガイはクレフを横切った。
魔道士や魔術師達による時空間結界の呪文が始まっていた。
力ある言葉が、形ある楔となって、ニコラスたちが出てきた薄暗い空間を縛りつけようとしていた。
「師匠!」
走りながら、ニコラスは気がついた。
クレフが立ち止まり結界の詠唱をしている場所は、封印範囲の中だと。
気がつき、慌ててクレフの元に戻った。
「ここで待っていたら、アレルさんに怒られちゃいますよ」
しょうがないなぁ、と言うニコラスの声に目を瞑り、詠唱に集中していたクレフの頬が微かに動いた。
「僕も、怒られます」
そう言うと、動かず詠唱したままのクレフを、ニコラスは引きずって走り出した。
ニコラス達が丘の下まで来ると、力ある言葉が光りの鎖となって、聖樹を中心とする薄暗い空間を戒め始めた。
銀色に輝く魔法陣が言葉の鎖の上から幾重にも張りついていく。
これで終わるんだ・・・
ニコラスは、ただそれを呆然と見ていた。