バカブ神その7(祈る心)
7・祈る心
タイアードの一番古い記憶は、血と腐敗臭。
ただ『生きる』ためだけに日々を過ごしていた。
護りたい者も、無くして困る物もなかった。
北星の導きで、小さな教会を見つけたが、残っているのは壁だけで、屋根もステンドグラスもなかった。
ドアが開け放たれたまま残っているのが滑稽だった。
奉られていた像は、床の上で机や椅子と共に無機質へと還り、人間だったのか魔物だったのか、あちらこちらに見える血痕と、食い散らかされた後。
それらが少しだが、浮き上がるのが視覚で確認できるほど、地鳴りも激しくなってきていた。
まだ、少しは椅子の形を残した物にレビアを降ろした。
礼を言う小さな唇の色も顔色も、まだ真っ白だった。
「タイアード・・・
貴方が震えるなんて、初めてですわね」
小さな体を抱きしめると、タイアードは自分が震えているのを自覚した。
あの頃と違い、今のタイアードには護りたい者が、無くしたくない物がある。
初めて恐怖を感じていた。
「俺は、どうすればいい?」
戦うことでしか、自分を見出だせなかったのだ。
あの街も、今とは変わらなく暗く血生臭かった。
兵士となって、幾度となく戦場にたったのに、『今』が一番恐ろしかった。
自身の腕に抱きしめている命が消えてしまうのを、一番恐れていた。
「助けてー!」
開け放たれたドアから、小さな子どもが何かを抱えながら逃げ込んできた。
その後ろを、幾つもの触手を持つモンスターが追ってきた。
「あの女の人の所へ」
体は瞬時に動いた。
子どもの後ろに素早く立つと、斧を構えた。
「母さんを殺さないで!」
子どもの悲鳴にも似た叫びと同時に、モンスターの触手が襲ってきた。
ビースト病感染者の発病と瞬時に理解し、触手を紙一重で避けながら、斧頭が半月形になっている大きな斧タバールを振り下ろした。
一撃必殺だった。
モンスターが絶命したのを確認して振り返ると、子どもは確りとレビアに抱かれ、震えていた。
その膝には、産まれて間もないのか、布に包まれた赤ん坊が眠っていた。
「俺を恨め」
子どもはしきりに母親を呼んでいた。
そんな子どもに声をかけようとしたレビアを制して、タイアードは子どもの背を軽く擦りながら小さく囁いた。
子どもはレビアの胸で声をあげて泣いた。
そんな光景を見て、タイアードはアレルを思った。
落ち着く間もなく、今までにないほどに大地が揺らいだ。
あまりの揺れに、子どもは泣くのを止め、代わりに赤ん坊が泣き出した。
「この子は妹ですの?
それとも弟?
貴方がしっかりと抱いて、貴方がしっかりと護ってあげてくださいな。
貴方は、私がこうして抱いていますから。
タイアード、穴が開きますわ・・・
とても大きな穴。
封印の門なんて可愛く思えますわ」
レビアは空を見上げた。
夜空は恐ろしいほどに澄み、星々は等しく美しく瞬いていた。
次の瞬間、空間が悲鳴を上げた。
それはあまりにも巨大すぎて、逆に何も聞こえなかった。
天地がひっくり返り、『自分』という存在すら喪失する中で、タイアードはレビアに覆いかぶさる様に抱きしめた。
揺れは止まらない。
今までと違い、その揺れは収まるどころかさらに威力を増していった。
タイアードは震えながらも、レビアを抱きしめる腕に力を込めた。
いつもなら潰してしまうのではないかと加減していたが、今はどんなに力を込めても失ってしまうのではないかと恐ろしかった。
そんなタイアードの胸元が暖かく明るくなりはじめ、月色の風がタイアード達を包んだ。
タイアードにとって、神は信じるに値しないモノだった。
神は生きるのに関係のないモノだった。
だから、一度も祈ったことはなかった。
神という不確かなモノより、自分の力を信じていた。
それは、レビアの配下に付いてからも変わらなかった。
けれども、レビアは祈っていた。
そんな力、とっくに尽きているはずなのに、この激震の中、子ども二人を抱えこみ、祈っていた。
それは、小さな鈴が転がるように、とても心地いい歌だった。
どこから現れたのか、その姿は龍なのか蛇なのか、それは長い尾を何かに巻き付けるかのようにしながら、上へ上へと上がっていった。
そんな姿を、何人の者が見れただろか?
あそこにあった国はどうしたのだろうか?
あそこにいた人々は、避難していたのだろうか?
そんな事が頭に浮かんで、今までは、そんなことは微塵も思いもしなかったのにと、
タイアードはなぜか可笑しくなった。
激震はまだ続いていた。
なのに、なぜかタイアードは落ち着いていた。
ああ、レビアのおかげだ。
自分が抱きしめているはずなのに、レビアに包まれている。
この他を心配する感情も、レビアのものが流れ込んでいるのだろう。
目は硬くつぶっているのに、『外』の映像が見えた。
黒い尾の間から、何かがこぼれ落ちていた。
それは世界に降り注ぐ。
雪のように細かなそれは、少しずつ少ずつ、全てに降り注いでいった。
レビアの祈りに力がこもった。
四人を包む輝きがまし、柱の様に天へと伸びていく。
自然と、タイアードもレビアの手に自分の手を重ねた。
祈ったことはない。
神を信じたこともない。
しかし、今は信じたい。
神としての自分の力を。
祈りたい、大切なこの人の願いが叶うことを。
護りたい、この人を。
それは、タイアードの願いだった。
完全復活した南の柱は、何処までも高く高くマグマを吹きあがらせ、アリシャの城下町や周辺の町村から避難していた人々の恐怖を煽っていた。
しかし、今までにない大地の揺れが人々を襲った瞬間、火山のマグマは赤く輝く龍の姿、ファイアー・ドレイクへと変わり、人々の願いとなった。
北の柱は氷の神殿で粛々と天地を支え、その前には幼い姿のルイが跪き、ポセ・ティアムへ祈りを捧げていた。
その中心に悪の神『イッキュ・バスティス』を抱いたまま激しく活動する東の柱は、再び集まりだした、ならず者達や、黒の迷宮の近隣の人々の恐怖心を糧に、更に成長した。
アルジェニアの中心にある、サーシャの創造女の神殿をはじめとする各神殿では、他国からの避難者で溢れかえっていた。
そして、激しい揺れと今までにないモンスターの襲撃に、恐怖心でいっぱいになってしまった人々を、神官やフォラカが励ましていた。
そして、一番激しく揺れた瞬間、人々は見た。
各神殿に祭られている神や女神の像の上に、皆を抱え込むように両手を広げる透き通ったサーシャの姿を。
その表情はとても穏やかで慈愛に満ち、人々の心を落ち着かせるには十分だった。
「サーシャ・・・」
しかし、フォラカだけは静かに涙を流した。
そして、西の柱の根元にも、避難してきた人々が居た。
アブビルトは、魔力を使って絵の鳥や動物や兵士を出した。
それらは、混乱に乗じて襲ってくるモンスターと戦ったり、逃げ遅れた人々を助けて西の柱まで連れて来たりしていた。
「アブビルトさん、死んじゃうよぉぉぉ」
「私は大丈夫。
まだ、いけるわ」
大量の魔力を使い、一気に体が痩せたアブビルトを、子ども達は怯えながらも心配した。
そんな子ども達に微笑みながら、アブビルトは更に小さなメモ用紙に月色の鳥を描いた。
「皆、西のバカブ神様が、世界を守ろうと頑張ってくれているわ。
私達は、そんな神様を信じて祈りましょう。
大丈夫、姫様も一緒よ。
皆で、明日を迎えられるように・・・」
アブビルトの呼びかけは、頭上を飛ぶ月色の鳥が人々に伝えた。
そして、祈り始める。
激しく揺れる大地に跪き、大木に向かって両手を組んで。
どうか無事に帰ってきて。
ジョルジャとアンドレはニコラスの、
ぐずるアイビスを確り抱いたコルリはガイの、
今にも魔力が底をつきそうなアブビルトは、仲間皆の無事を祈った。
そして、ニコラスが戻ってきたら、美味しい料理をたくさん作ってもらおうとも思った。
タイアードは、どれくらいそうしていたのだろうか。
大地の揺れが幾分緩くなると、雨が降り始めた。
それはとても暖かく、恐怖をやわらげてくれた。
顔をあげると、廃墟の教会は色とりどり花や草木の緑で覆われていた。
新しく芽吹いた命の上に、暖かい雨が降り注ぐ。
「レビア・・・」
タイアードの心は温かく、今までに感じたことの無い優しい感情に溢れていた。
そっと、胸元のレビアの顔を覗き込んだ。
「タイアード・・・
ありがとう」
いつもの様に微笑むと、レビアはゆっくりと自分の胸元を覗き込んだ。
子どもと赤ん坊が、安らかな寝息をたてていた。
それを見て、レビアの頬はさらに緩んだ。
「封印の門は、あれに飲み込まれ、消えたと思いますわ」
「さっきのは・・・」
「はい。
破壊の神・ジャガー」
「降っていた雪みたいなものは、聖樹の破片か?」
「そうかもしれませんわね。
転生の樹の破片と、タイアードの神の力『復活』の雨が世界に万遍なく降り注ぎましたわ」
風が、草花を揺らしていた。
「大地はここまで戻りましたわ。
穴は小さくなったと思いますけれど、空いてますから、門の代わりに空間結界を張っておかないとですわね」
雨が止み、黒い雲が切れて太陽の光りが差し込み始めた。
「タイアード、愛してますわ」
その笑顔はいつも以上に美しく、月色に輝いていた髪は真っ白になっていた。