バカブ神その1(開かれた門)
1・開かれた門
ニコラスとガイを包む闇は歩みと共に色濃くなり、それとともに悪臭が鼻につくようになってきた。
あの時、暴れ狂う炎が闇色から光輝く柱に変わった瞬間、ニコラス達の後ろに巨大な門と共にシンが現れた。
門はシンの手でいとも簡単に開けられ、夜よりも暗い闇がその向こうに広がっていたのに、シンは躊躇なく足を踏み入れた。
その後ろを、ニコラスが躊躇なく追いかけた。
予想外のその動きに、ガイは驚き慌ててその横に着いた。
「ガイさん、僕、怖いです。
悲しいですし、悔しいです。
でも、シンさんは言っていました。
『この幼き魂が、姉上のかけた封印の一つ』と。
もしかしたら、アルルさんの魂はまだ生きているんじゃないかと思うんです」
ガイが声をかける前に、ニコラスは前方のシンの背中を見つめたまま話し始めた。
「お父さんに言われて、考えたんです。
姉さんと母さんの願いは何だろう?
ガイさんやアレルさん達のお母さん達の願いは?
サーシャさんの、創造女神様の本当の願いはなんだったんだろう?って・・・
考えたんです」
「分かりましたか?」
ガイの口調はいつもと変わらないが、さっきまで我を忘れ、嘆き悲しんでいた少年が、確りと前を向いていることに驚いていた。
気配は有る。
人間でも動物でもない、『モンスター』や『魔物』の気配。
姿はないが、ガイ達の様子を伺っていることは分かった。
「・・・分かりません。
けど、きっと、皆さん、自分のお子さんを愛していたんだなぁと思いました。」
「十分ですよ」
その返答はガイにとって十分満足のできるもので、聞けたことがとても嬉しかった。
自分は愛されていた。
ニコラスは強く確信できた。
「ニコラス君は、素直で優しくていい子ですね。
良い子すぎますから、たまには自分の気持ちを思いっきりぶつけてください。
さっきのように」
「・・・僕、お父さんに叱られたんですよね?」
ニコラスは父に殴られた右頬をさすった。
殴られたからか、戦いでか、ニコラスの頬と言わず顔や体の至る所が腫れていた。
「アレルさん風に言えば、『愛の鞭』ですね。
痛みますか?」
「痛いと言うなら、体中です。
・・・なんだか、嬉しいです」
「そうですか」
照れたように微笑んだニコラスに、ガイは優しく微笑み返した。
「なぁなぁ、ここ、姫さんの気配がする」
胸元からココットが顔を出して辺りを見渡すが、相変わらず闇ばかりだった。
「ここは第四層、地下界です。
人間の不の感情の塊や汚れた魂、モンスター、魔物等々・・・
僕らの国では『悪鬼』と総称していますが、人間に害をなすモノがウヨウヨしているはずなのに、襲ってこないのは何故だろうと思っていたんですよ。
で、仮説なのですが・・・
そもそも月の女神は、この地下界を見張り落ち着け、浄化をし他の世界とのバランスをとる役目があります。
その女神が不在となったら?
そして、ケルベロスの『中』はこの空間と繋がっているとしたら?
この仮定が正しければ、飲み込まれた姫様が、この・・・
今僕達が歩いているこの『道』を浄化してくれていたんではないでしょうか?
姫様にそのつもりはなくても・・・」
ガイの説明に、ニコラスは足を止めて辺りを見回した。
確かに、不審な気配が充満しているが、今すぐに襲ってくるような気配はない。
こちらの出方をじっと見ているようだ。
「強制的に、システムを戻したってことですよね。
それも、シンさんの計画の内でしょうか?」
きっと、そうなのだ。
シンも、無闇に血を流したくは無いのだ。
だから、自分たちに手を貸したり、発破をかけたりしたんだろうと、ニコラスは思った。
前方で錫杖の鳴る音が聞こえた。
その音が早く来いと、立ち止まった自分達を呼んでいるように聞こえ、慌てて走り出した。
「門、開きっぱなしだろ?
魔物、出ちまわないか?」
「会場も、跡形もないでしょうね。
城も無傷ではないでしょうし。
まぁ、タイアードさんが何とかしてくれるんじゃないですか?
慣れていますから。」
とガイは答えながら、何やら袖下を探り始めた。
「タイアードだけか?」
「姫様が攫われて一度国に戻られた時、手はずを整えていました。
姫様はジャガー病の研究を通して、国王とは別に格地方の権力者と独自のパイプを築いていましたから。
それは、来る『終末』に、一人でも多くの者を助けるためにです。
すぐに増援が来ますよ。
僕も、微力ながら、アブビルトさんやサーシャ様の神殿の方々の協力は、お願いしておきましたので。
ただ、人数が人数でしょうから、姫様が結んだ空間の移動にそこそこの時間はかかると思います。
まぁ、馬を飛ばしてくるより時間も費用も比べ物になりませんから。
・・・それまで国に張られている結界が持てばいいのですが」
「姫さん、すごいんだな」
と言いながら、ココットはニコラスの胸元から飛び出て少年の姿になった。
「オレッちも、ニコが大好きだよ」
そう言って微笑み、ニコラスと手を繋いだ。
その温もりがとても嬉しくて、ニコラスは僕もだよ。
と、微笑み返した。
そして、ふと思った。
「光と引き換えの封印・・・
何度も何度も転生を繰り返しても、その瞳に光は映らなかった時間・・・
永い永い時間・・・
サーシャ様はそうしてジャガー神を護っていたんですよね?
産んだ時、聖樹に封印する短い時間しか、抱っこできなかったんですよね・・・」
前方で聞こえている釈杖の音が、不意に大きくなった。
追いついたシンの後ろ姿は変わらない。
「シンさん・・・
ラ・パンヤ様は、ずっと待っていたんですね。
この時を」
永い時を過ごすシンの気持ちを、ニコラスは思った。
「創造女神様の作った結界は、第四層を封印するものだったんですね。
第四層を通らなければ、最下層には行けないけれど、それは上層に住まう神達。
死の神のチィムさんは、魂を引率していたみたいですし・・・」
「封印はシンさんだけに有効とか?
他の神様が聖樹に近づかない様にとか?
でも、シンさんは『駒は揃った』って言ってましたよね?
バカブ神の生まれ変わりも、今回初めて確認したような事を言ってましたし・・・」
「所詮は大昔のこと。
他人の気持ちですよ。
あれこれ詮索しても、当事者ではありませんから、統べてはわかりませんよ」
ニッコリ笑って言うガイに、ニコラスはガイではなくシンやアレルの台詞だと思った。
「世の中は、裏も表も知ってしまうと、余計に動けなくなったりするものです。
大好きな人と自分を信じれば、それでいいと思いませんか?」
「・・・ガイさんは、アレルさんが死なないと信じていますか?」
ニコラスは、シンとサーシャの会話が引っかかっていた。
「ガイさんの忠誠心を利用して、アレルさんの命を奪い、完全なるバカブ神の復活を阻止しようとしていたと・・・」
「フレイユから僕が出る瞬間、クレフさんの張った結界が薄れ、僕はサーシャ様をその瞬間に招き入れました。
サーシャ様から・・・
アレルさんからバカブ神の力を奪うとは聞いてはいましたが、方法までは聞いていませんでした。
ニコラス君、僕は忠誠心の塊です。
主の願いは必ず叶えます。
それだけは信じてください」
ガイの視線が、ニコラスとココットの繋いだ手に向いた。
それに気が付いた二人は、お互いの顔を見て微笑んだ。