南のバカブ神その15(二つの鍵、一つ目)
15・二つの鍵、一つ目
会場は戦場だった。
誰もが狂ったように戦っていた。
埃や煙り、血しぶきで、視界も悪い。
争う声、武器のぶつかり合う音、埃や煙りで鼻や目も痛い。
なにより、血生臭かった。
ニコラスは向けられる拳や剣先を避けながらアレル達を探したが、あまりの混乱に自分が何処に居るかも分からなかった。
「アレルさんの気配を見つけられたのに・・・
会場には戻れたけれど、これじゃぁ・・・
ココット、頭出しちゃ駄目だよ」
胸元で動いたココットを覗きこんだ瞬間だった。
「よそ見は命とりだよ」
ニコラスの頭を狙った一撃を、その手首ごと迷いなく切り落とした人物は、この場にそぐわない優しい声をかけた。
「姫様のお城の・・・」
その人物は、タイアードが深手を追って帰った時、ニコラスに手を貸した兵士だった。
兵士はニコラスの手を取ると、視界の悪い中を迷うことなく進んで行った。
右手で向かってくモノを薙ぎ払い、左手でニコラスの手を引いて。
その手の温もりが、ニコラスに落ち着きを与えた。
「カティ王も、ここまでの混乱を予期できていたかな?
まだ、この混乱は会場内に留まっているけれど、時間の問題かな?
ジ・エルフェが皆の心を騒がせたんだ。
しっかり仕事をしてるよね」
ニコラスの息が上がっているのに気が付き、兵士は周囲を警戒しながらその足を止めた。
この惨劇が外に広がったら・・・
ニコラスはぞっとして、頭を振って想像するのを止め、呼吸を整えるのに集中した。
「しかし、まずいな。
この場の狂気に誘われて、一番厄介なモノが来ちゃうな」
『悪の神』と、兵士は呟いた。
「もしかして、姫様をさらったのは、この為ですか?」
「確かに、この場に姫様が居れば、ここまでの混乱にはならなかっただろうね。
ただ、混乱を起こしたいだけじゃないよ、きっと」
ニコラスと会話をしながらも、兵士は警戒を怠らず、襲ってくるものは容赦なく一撃で息の根を止めていた。
その鮮やかなまでの身のこなしに、ニコラスは息をのんだ。
そんな中、数メートル先の雰囲気がピリピリしているのが、ニコラスにも分かった。
兵士はさほど上がっていない呼吸を整えると、慎重に進み出した。
繋いでいる手に、力が入った。
足元に数人の男が倒れていた。
怪我をしているが、死んではいなかった。
音が聞こえた。
シャラン・・・
シャラン・・・
鈴の音とも違う、もっと硬い音が聞こえる始めると、視界を乳白色の霧が覆った。
・・・シャラン
・・・シャラン・・・
声が聞こえた気がした。
兵士の足が止まった。
「そんな顔をしないで下さい。
貴女との再会の為に、最高の舞台を用意したつもりなのに」
どこか人を小馬鹿にしたような言い回しは、とても聞き覚えのある声だった。
ニコラスの中で、警戒が高まった。
「諦めなさい」
静かな、とても静かな女性の声が答えた。
「バカブ神以外の神々の転生を、何度も見てきた。
時代によっては神の力に覚醒し、己が信仰を栄えさせる者もいれば、ただその人生を過ごす者もいた。
けれども、この何千年以上・・・
あの日以来、貴女を見ることはなかった。
上手く、私から逃れてましたね」
「・・・貴方のやり方は、余りにも血を流し過ぎます」
「だから、自分は最小限の犠牲で済ますと?
ガイの忠誠心を利用して、アレルの命を奪い、完全なるバカブ神の復活を阻止しようと?」
「利用はしていません。
あの事は、ガイ自ら選んだこと。
アレル自身の望みでもあります」
「レダは、現世を『業の浄化』と。
皆、現世で清算できますかね?」
「私は、他の方法をとります」
シャラン・・・
シャランシャラン・・・
シャラン・・・
キィン!
戦い始めたのか、音が激しくなった。
「駒は揃いました。
終わりにしましょう」
激しい一撃の音と同時に、視界が開けた。
更なる悪夢の始まりだった。
白い官衣を纏った体を、一本の腕が貫通していた。
力なく下がった手から、金色の釈杖が滑り落ち、乾いた音が響いた。
白い官衣の腹部はみるみる紅く染まり、乱れた豊かな金の髪が縁取っていた。
「姉上には感謝していますよ。
あの時、ジャガーを殺さないでいてくれた」
狂喜の笑みを浮かべるその人物を、ニコラスは知っていた。
胸元に隠れているココットを、無意識に服の上から抱きしめた。
「シンさん・・・
サーシャさん・・・」
左手に構えた白銀の釈杖は、汚れもなく輝いていた。
「駄目・・・」
シンに抱かれる様に腹部を貫かれ、震える両手でシンの頬を包んだ。
「姉上も楽になりましょう。
もう、その美しい瞳をあけてはいかがです?」
ゆっくり・・・
ゆっくりと、シンは笑ったまま、その腕を引いた。
「駄目・・・
嫌ぁ・・・」
サーシャはその腕を押さえようと、シンの腕を掴んだ。
「さあ、返してもらいますよ」
「駄目・・・
ダメ・・・
あの子を、破壊神にしては・・・
お願い・・・」
硬く閉じられた瞳から、次々と涙がこぼれ落ちた。
「終わりましょう、姉上。
もう、束縛から解放され、楽になりましょう」
瞬間、シンの笑みが消えた。
「・・・あの子を・・・」
一気に腕が引き抜かれ、サーシャの体は弓なりに反って崩れ落ちた。
「ジャガー・・・
愛してるわ・・・」
「やはり、姉上の瞳は美しいですよ」
足元に倒れたサーシャを、シンは優しく見下ろしていた。
その穏やな笑みを浮かべる頬は、サーシャの血で染まっていた。
シンはニコラス達に向き直ると、いつもの口調で語りはじめた。
「創造女神はジャガーを産んですぐ、その小さな命を創造男神から護るため、産まれたばかりのジャガーを聖樹の根本に封印しました。
その時、聖樹への影響を考え、ジャガーの力を両目に集めくり抜き、創造女神自ら体内に封印したんですよ」
差し出された手のうえに、真っ黒な球体が二つ乗っていた。
それは禍々しいまでのエネルギーを放っていた。
「創造女神は、己の身から溢れ出しそうになる暗黒の魔力をさらに封印すべく、自らの手で、その両目を潰しました。
以来、何度転生をし繰り返しても、その身にジャガーの瞳は封印されたまま。
転生した身の瞳も開かないまま」
サーシャさんの瞳に、シンさんはどんな顔で映ったのだろう?
悲しみを隠さないシンを見て、ニコラスは思った。
口元は笑っているが、ジャガーの瞳を見つめるシンの目には、悲しみの色が浮かんでいた。
「さあ、扉をあけましょう」
しかし、そんな淋しげな笑みは一瞬だった。