南のバカブ神その12(死合い開始)
12・死合い開始
何が信じられるんだい?
何を信じるんだい?
友情・・・
愛情・・・
血縁の情?
信頼?
信条?
あんたの隣の奴は、本当に信用出来るのかい?
ちょっとでいいんだ、疑ってごらんよ・・・
もしかしたら、あんたの隣の奴は、あんたを裏切っているのかもしれないよ。
あんたの相談を聞いて心配するそぶりを見せて、心の中では舌を出して笑っているかもしれないよぅ。
人の不幸は蜜の味って言うだろう?
あんたの不幸はそいつのせいかもしれないよぅ。
そいつが不幸になったら、あんたが楽しいかもよぅ・・・
あんたは、本当に信じているのかい?
アリシャの国は、城の中に城下町があった。
城を囲む外壁は鉄で作られ、蟻一匹すら通れる隙間も無い。
そんな外壁の外、城の裏に位置する場所に、アルルの住む小さな家があった。
城の前方、外壁の門を出て跳ね橋を渡ると、大きなドーム上の闘技場があった。
アリシャの国は、時として国王が戦いで決まる時がある。
その戦いが正々堂々としたものばかりではない。
鉄の外壁は、他国からの侵略から国民を守ることと、その戦いのとばっちりから守る意味があった。
そして万が一、アルルのジャガー病が暴走してしまった時、城内から闘技場に非難できる様になっている。
しかし、国民はアルルの病のことは公表されていなかった。
公表どころか、アルルは生まれていないことになっていた。
アリシャの国は王妃が第二子妊娠中にモンスターに襲われ、同行していた王子共々命を落としたことになっていた。
だから、身の回りの世話をする者も、限られた者だった。
「存在のない子どもか・・・」
ニコラスの教会で子ども達と食事を共にし、クレフの家でジャガー病の新薬のアイディアをノートに書き留め、時空間魔法でアリシャに戻って来た時には、既に夕方になっていた。
アレルもガイもタイアードの姿も見当たらず、クレフが居るはずの部屋のドアも開かなかった。
アルルはすでに寝ており、ニコラスはそっと寝顔を見て、枕元に自分の部屋から持って来
た絵本を置くと、侍女頭であるガイの母がアルルの部屋に二人分の食事を用意してくれた。食事をココットと済ませたニコラスは、自分が思ったより疲れていたのか、アルルの寝顔を見ながら眠ってしまった。
そんなニコラスを、ガイの母はそっとアルルの隣に寝かせると、ココットは元の大きさに戻り、二人の間の枕元に座って二人の寝顔を見ていた。
二人とも聞き分けの良い、大人にとっての良い子だ。
我儘も、反抗的な態度も、生意気なことも言わないで、何でも一生懸命で、それこそ言葉通り命がけで生きている・・・
ニコラスがどんなに傷つき、どんなにたくさんの涙を流したか・・・
きっと、アルルもそうなんだろうな。
生まれながらに多くのものを失って、それでも諦めなければいけないものが増えていって・・・
二人は、本当に欲しいものを手に入れられるのか?
ココットは2人の額をフニフニと触り、二人の幸せを願った。
願って、そのまま二人の間で丸くなって寝た。
目が覚めると同時に、ガイに朝の支度を急かされ、整うか整わないかのタイミングで、この闘技場に連れてこられた。
アルルとは、挨拶を交わすのが精一杯だった。
闘技場は人々の熱気が立ち込めていた。
ニコラスと少年の姿をしたココットは、天井が空いていればよかったのに・・・と、つくづく思った。
汗臭いと言うか、男臭いと言うか、殺気だっていると言うか・・・
空気が淀んでいた。
アルルやレビアが漂わせる、独特の軟らかな雰囲気がとても恋しかった。
「僕たちにはアレルさんもアルルさんも、存在しているよ」
「ニコ、二人の散歩の4回に1回はオレっちも連れてってね。
毎回は邪魔になるから遠慮するけど、たまには構ってもらわないとオレっちも寂しいから」
ニコラスの気分をあげようと、ココットはいつもの軽い調子で言った。
「3回に1回で、一緒に行こう。
その時は、ココットの好きなお菓子、作ってあげるね」
ココットの気遣いに、ニコラスはいつもの笑みで答えた。
「で、国の人たちは、何処に避難したんだ?
散歩するにも、まずはこの試合が終わらないとだな」
「うん。
国の人たちは、ガイさんの話だと、南のバカブ神の柱の近くだって」
中央のリングを囲むように観客席が有り、観えやすいように段になっていた。
特に席に決まりは無く、筋肉隆々、強そうな装備の青年や中年達に囲まれて、成長期真っ只中のニコラスは気分が悪くなっていた。
とりあえず、これ以上人ごみに揉まれないよう、一番前の席に腰を落ち着かせた。
「ふぅぅん。
あそこ、ものすんごい暑かったけど、住めるのか?
ここの国の人たちは、暑いの平気なのか?」
「まぁ、僕たちよりは強いんじゃないかな?」
「まぁ、そうだろうなぁ・・・
で、こん中の何人ぐらい、試合に出るんだ?
軽装な奴なんて、見当たらないぞ?」
「控え室は二試合前にしか入れないらしいからね。
この闘技場で怪我や最悪死んでしまっても、自己責任なんだって」
「そんなにこの国の王様になりたいのか?」
「この国は南の国の中でもトップクラスの武力があるんだって。
純粋に自分の強さを試したい人も居るらしいよ。
カティさんがそうだったみたい」
「あのおっさんに、国政は無理だろう」
ココットが大きな口を開けて笑った。
「国政はともかく、国民のことは思ってると思うよ。
城壁を鉄にしたのは、カティさんなんだって。
カティさんがこの試合に参加した時も、石の城壁を破壊して、城下町まで被害が出たらしいよ。
それに、アルルさんの事もあるからだと思うけど」
「まぁ、一国の王様がスーラ国みたいな下心満載の国に側近一人だけのお忍びで行ったら、そりゃぁ、姫さんも怒るわな」
そんな関係性が、ニコラスには少し羨ましかった。
ニコラスの気持ちが分かったのか、ココットはいつも以上にふざけた声を出した。
「あ、開会式が始まるみたい」
なんのアナウンスもなく、会場の灯りが突然落ちた。
今まで会場を包んでいた異様な空気が一変し、殺気と緊張感で満たされた。
その重圧感に潰されそうになり、ニコラスは思わずココットの手を握った。
リングの中央に灯りが灯った。
短く借り上げた白髪交じりの頭に金の王冠を乗せ、長いマントに質素ながらも正装したカティが現れた。
眼光鋭く、唇を真一文字に閉めているその表情は、ニコラスの知っているカティではなかった。
「王位継承権は潰えた。
アリシャの次期国王は、この試合の優勝者とする。
尚、この場でのあらゆる出来事に、我が国は責任を取らない。
命がほしいものは、今すぐこの会場から出て行くがいい。
これが、最終警告だ」
恫喝とも思えるその太い声は、腹の底に響いた。
ニコラスやココットだけでなく、この場に居る総ての者に響いていた。
まるで、死の宣告だ。
と、ニコラスは冷や汗をかいていた。
そして、会場は再び灯りが消えた。
「ココット、アルルさんの側に居てあげて」
「オレっちが居ても・・・」
「何だか、嫌な予感がするんだ。
本当は僕も行きたいんだけれど、ここを動いちゃいけない気がして。
何かあったら、強く心の中で僕を呼んで。
直ぐに行くから」
「・・・分かった」
ココットは召喚獣の姿に戻ると、人々の足元をすり抜けて行った。
きっと、カティさんは知っているんだ。
この後、この場でどんな惨劇が起こるかを。
本当は逃げ出したい。
ココットと一緒に、アルルの側に駆け寄りたい。
けど、もう一人の自分が言ってる。
『総てを観ろ』って。
ココットの気配が消えると同時に、会場の灯りが戻った。
いつの間にかリングの上には最初の選手が対峙していた。
審判らしき人影もなく、開始のベルだろうか?
リンと涼しげな音が一つなった瞬間、リング上の二人が動き、観客席からは歓声が上がった。
試合は、カティが責任を取らないと言ったのが頷けるものだった。
勝敗はどちらかが負けを認めるか、意識を失うか、戦えなくなったら終わりだった。
自らリングを降りる者もいれば、意識を失い退場させられる者もいた。
もちろん、その中には生死不明の者もいた。
リング上の血は、一試合ごとにサッと水で流されるだけだった。
会場内の空気が変わっていく。
肉が裂かれ、骨が折られ、刻一刻と濃くなる血の臭いに、人々の理性が飛んでいく。
気が付けば、客席でも所々で小競り合いが起こり始めた。
殺気、怒り、憎しみ、怨み、悲しみ、妬み・・・
それは、身に覚えのある感覚だった。
「これって・・・」
ニコラスはリング上の二人が倒れ、動かなくなったのを見て、その場に下り立った。
会場の中心で全体に結界を張って沈静化しようとしたが、コントロールが上手くいかず自分の周りに張るのが精一杯だった。
「坊や、無駄なことはお止めよ」
そんなニコラスの前に、赤い髪を揺らし、赤い唇を魅力的に湾曲させ、自殺の女神ジ・エルフェが現れた。
「・・・今日は、ケルベロスと一緒じゃないんですか?」
エルフェの後ろに黒い靄が見えるが、ケルベロスのものとは違った。
ニコラスは距離を取りながら、腰の剣を抜いた。
「アタイの獲物はあんたじゃないよ」
「俺だ」
ニコラスの両肩を、大きな両手が包んだ。
小さな体を抱きとめたのは、甲冑姿のタイアードだった。
「タイアードさん!」
朱い髪を揺らして、エルフェが笑う。
腰に巻いていた黒い鞭を携え、そのしなり具合を手の感触で感じながら、赤い瞳はタイアードを挑発していた。
「ニコラス、アルルの元へ行け」
エルフェを見据えたままニコラスの前に出ると、剣を構えた。
ニコラスが動く前に、鞭先がタイアードの鼻先を裂いた。
裂かれた空気は黒い裂傷を負い、そこからドロリとした黒い何かが流れ出した。
ニコラスは咄嗟にタイアードの腕を必死に引いた。
黒い何かは、タイアードの足元に垂れると、耳障りな音を立てて床の石を溶かした。
「こないだより、怖い顔をしているねぇ。
そんなに悔しいのかい?
お姫様を奪われたのが」
タイアードは剣を水平に出し、エルフェの首を狙った。
「せっかちな男だねぇ」
笑いながら刃先から、一歩後退した。
「あのお姫様がいなけりゃ、あんたは何も出来ないのかい?」
休みなく切り付けるも、全てが手前でスルスルとかわされていく。
ニコラスは動けなかった。
椅子が立ち並ぶ狭い空間を、二人は難なく動いていた。
そんな二人を目で追うのが精一杯で、一歩足を出したらタイアードの邪魔をしてしまいそうで動けなかった。
「あのお姫様さえいなけりゃ、昔のように好き放題出来るだろうに」
その体は鞭のようにしなやかだった。
タイアードの手の内を見切って、最小限の動きで避けているその動きは、ニコラスには楽しそうに踊っているようにも見えた。
「あんたも、元はあたいの町の出だろう?」
その言葉に、一瞬、攻撃のリズムが崩れた。
それを待っていたのか、すかさず鞭が剣を握る右手を束縛した。
鞭の茨が皮膚に突き刺さり、肉に食い込む。
影を縛られたのか、身動きが取れないでいた。
それは、ニコラスも同じだった。
「分かるのさ。
どんなに取り繕っても、染み付いているんだよ。
あの町の臭いがさぁ」
絞り上げらるたびに、茨は中へ中へと食い込み、その度に血が吹き出した。
握力を失い、流れる血に滑り、剣は手から落ちて床に突き刺さった。
「あんたも、血に飢えているんだろう?
それとも、お姫様の信頼を厚くして、最後に裏切るのかい?」
茨から、黒い感情が流れ込む。
流血と共に、これまでのレビアへの想いが流れ出ていった。
「素直におなりよ」
エルフェの横の空間が揺らいだ。
黒い煙りが段々と形つくられ、三つの頭と一つの体、四肢をもつ獣へと姿を止めた。
「弱き者たちの末路・・・
光りさすことない、救いようのない感情・・・
本当の自分を思い出すがいいさ」
ケルベロスはその姿を霧のように崩し、タイアードにまとわり付いた。
大きな体が、飲み込まれていった。
「タイアードさん!」
悲鳴にも似たニコラスの声は、飲み込まれていくタイアードの耳にしっかりと届いていた。